市 町 村 名 |
時代 |
名称・所在地ほか |
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福 島 市 |
縄文 時代 |
福島市宮沢字宮畑 | |
国指定史跡 |
青森県の三内丸山遺跡と同じような非常に太い柱を使った建物が発見されている遺跡です。 |
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獅子内遺跡 | 福島市飯坂町茂庭字獅子内 | ||
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縄文時代前期~中期の土器や石器がたくさん発見された遺跡で、茂庭地区の中心になる集落だったことが発掘調査からわかりました。 | ||
福島市荒井字愛宕原 | |||
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縄文時代中期の集落です。 この時代に福島県地方を中心に流行した複式炉と呼ばれる火をたく場所が竪穴住居の中に作られています。 |
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福島市松川町水原字仙台内前 | |||
出土品:県指定重要文化財 |
縄文時代が始まった頃の石器を1ヶ所にまとめて保管した場所が発見されました。 この石器は、定期的に狩りをする場所に隠しておいたものと考えられています。 |
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福島市飯坂町東湯野字上岡・宮西 ほか | |||
出土品(土偶):国指定重要文化財 |
縄文時代後期ごろの土偶(妊娠した女性を表した腕を組む姿)が発見されており、国重要文化財になっています。 | ||
福島市松川町字南諏訪原・木曽内 ほか | |||
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福島県内では珍しい縄文時代晩期の柵に囲まれた集落が発見されています。 また、「信夫山南」と墨で書かれた平安時代の土器も発見されています。 |
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福島市飯野町明治字南和台 | |||
遺跡:国指定史跡 出土品(人体文土器及び狩猟文土器):県指定重要文化財 |
縄文時代中期の集落で、竪穴住居が100軒以上発見されています。 また、人体を表した飾りが付いた縄文土器が発見されました。 |
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弥生 時代 |
福島市八島田字勝口前畑 ほか | ||
出土品:市指定文化財 |
福島県内ではじめて弥生時代の勾玉の作り方が明らかになった遺跡です。 原石から製品になるまでの各段階の勾玉が発見されています。 |
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古墳 時代 |
福島市鎌田字月輪山 | ||
出土品:市指定文化財 |
古墳時代の終わりごろに福島市の阿武隈川の東側一帯を治めていた豪族の墓です。 全長11mと県内でも最大級の横穴式石室の中から頭椎太刀などが発見されています。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
福島市飯坂町湯野字西原 | ||
県指定史跡 |
平安時代に建てられた寺院で、山階寺の僧智興が信夫郡に開いたと『類聚国史』に記されている「菩提寺」というお寺と考えられています。 | ||
福島市飯坂町天王寺 | |||
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「承安銘の三経筒」の一つが発見された場所です。 経筒には承安元年(1171)に糸井国数らが経典を入れ天王寺如法堂に納めたことが書かれています。 |
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福島市腰浜町・浜田町 | |||
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飛鳥時代までさかのぼると考えられている県内で2番目に古い寺院です。 このことから、当時の福島市には県内でも有力な豪族が住んでいたことがわかります。 |
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福島市御山字仲屋敷 | |||
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平安時代を中心とした集落跡です。 集落跡の北側で確認された河川跡からは、吉祥文字が書かれた墨書土器や、桃の種、トチ、クルミ等の植物遺存体のほか、多量の木製品が見つかりました。 木製品は、容器・農具・狩猟具・漁撈具・紡織具・形代(祭祀に使う道具)等の様々な種類のものがあり、大変貴重な資料といえます。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
福島市杉妻町 | ||
県指定重要文化財 |
福島県庁がある場所は、鎌倉時代に杉妻寺、室町時代に大仏城、江戸時代に福島城があった所です。 この宝塔は鎌倉時代に杉妻寺があったことを物語っています。 |
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福島市下鳥渡字寺東 | |||
国指定史跡 |
鎌倉時代に、平氏ゆかりの女性が亡き母の供養のために建てた板碑です。 阿弥陀如来を中心にした阿弥陀三尊の姿が浮き彫りにされています。 |
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江戸 時代 |
福島市立子山字船場 | ||
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江戸時代から伊達郡と信夫郡を結ぶ重要な交通路の途中にある阿武隈川の渡し場で、明治八年まで使われていました。 | ||
福島市上名倉字大石 | |||
県指定重要文化財 |
もと福島市大笹生にあった平均的な農民の住宅です。 |
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明治 時代 ~ 現在 |
福島市上名倉字大石 | ||
国指重要文化財 |
梁川町に明治時代から続く芝居小屋で、回り舞台装置や桟敷席があるなど本格的な造りのものです。 解体修理を行う際に福島市民家園に移されました。 |
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福島市渡利・杉妻・立子山・松川町金沢・浅川 | |||
県指定名勝および天然記念物 |
福島市蓬莱町周辺の渓谷は、阿武隈川の浸食作用によって、蛇骨岩・蓬莱岩・胎内くぐり・地獄釜・鮎滝など不思議な景色を見せる場所があります。 | ||
福島市町庭坂字大平・神ノ森・蓮平 | |||
国指定天然記念物 |
ハクサンシャクナゲのうち花が八重になるものは非常に珍しく、この品種は明治36年に吾妻連峰の家形山の東側で中原源治氏によって初めて発見されました。 | ||
福島市飯坂町湯野字角門下 | |||
県指定天然記念物 |
今から2500万~500万年前の海岸にできたさざなみの化石です。 このことから、その頃の福島市周辺は比較的浅い海の海岸近くであったことがわかります。 |
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国 見 町 |
縄文 時代 |
国見町高城字岩渕 | |
町指定史跡 |
縄文時代中期に福島県地方を中心に流行した複式炉と呼ばれる火をたく場所が竪穴住居跡の中に作られています。 県北地方では最大級の複式炉が発見されています。 |
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古墳 時代 |
国見町塚野目 | ||
県指定史跡 |
福島盆地の北側を治めていた豪族たちの墓が塚野目古墳群です。 1号墳はその中で最大の前方後円墳で、古墳の周りに埴輪が立てられていました。 |
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国見町泉田字堰下 | |||
町指定史跡 |
直径約20mの円墳で、古墳の表面に石が敷かれていました。 埴輪が発見されていることから古墳の周りには埴輪が巡らされていたことがわかります。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
国見町石母田・大木戸・森山・西大枝 | ||
源頼朝が奥州藤原氏を攻めた奥州合戦の激戦地です。 藤原氏側の防御線として阿津賀志山から阿武隈川まで約4kmにわたって堀と土塁が造られました。 |
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国見町大木戸字中野窪 | |||
町指定史跡 |
奈良時代の須恵器を焼いた窯で、蓋の付いた浅い碗や甕が焼かれていました。 同じ時代の伊達郡内には、この他に伊達町にある伊達窯跡があります。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
国見町石母田字中ノ内 | ||
国指定史跡 |
鎌倉時代に石の供養塔を建てるのが盛んになります。 この石塔には中国から日本にきた僧寧一山によって書かれた、供養塔を建てる意義が彫られています。 |
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江戸 時代 |
国見町藤田字観月台 | ||
県指定重要建造物 |
県北地方の平均的な農民の住宅で、国見町小坂にあったものです。 家の外壁は三方が窓の無い大壁造りでできており、江戸時代の古い造りを残しています。 |
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伊 達 市 |
縄文 時代 |
伊達市霊山町泉原字武ノ内 | |
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縄文時代中期~後期の集落です。 火を焚く場所が二つに分かれている「複式炉」を持つ住居や、墓と考えられる大型の土器を埋めた埋甕などが発見されています。 |
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伊達市月舘町布川字(わく)ノ内山 | |||
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縄文時代中期の集落です。 この時代に流行した火を焚く場所が2つに分かれている「複式炉」と呼ばれる炉が住居の中に作られています。 |
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古墳 時代 |
伊達市保原町字みずほ | ||
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全長約25mの小型の前方後円墳を含む古墳群です。 塚野目古墳群と並んで福島盆地北半を治めていた豪族の墓と考えられています。 |
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伊達市梁川町細谷字新山 | |||
町指定史跡 |
棺を収める部屋(横穴式石室)がある直径10m前後の円墳が4基発見されています。 石室内からは龍をかたどった飾りのついた直刀の鍔が発見されています。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
伊達市瀬戸場・長町 | ||
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奈良時代の須恵器を焼いた窯で、蓋の付いた浅い碗や甕が焼かれていました。 同じ時代の伊達郡内ではこの他に国見町の大木戸窯跡があります |
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伊達市保原町二井田字牡丹原 | |||
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大泉古墳群の北側の地域は古墳時代から集落が広がっていた地域です。 この遺跡からも古墳時代の終わりごろから平安時代の集落が発見されています。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
伊達市梁川町字南町頭、鶴ヶ岡 | ||
遺跡群は、伊達氏が天文元年(1532年)ころまで本拠とした梁川城跡とその城下から構成されています。 梁川城跡は、伊達持宗から伊達稙宗の代まで伊達氏の本拠地として約100年間利用された城です。 現在、本丸御殿の脇にあった当時の庭園が復元されています。 |
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伊達市梁川町赤五輪 | |||
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伊達持宗が祖母蘭庭尼のために建てた寺です。 氏神信仰の強かった伊達氏の菩提寺の一つとして、伊達氏の居城が移る場所に移されていきました。 |
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伊達市梁川町五十沢字八郎 | |||
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常滑焼きのように釉薬を使わず焼き締めただけの陶器を焼いていた鎌倉時代の窯です。 片口鉢を中心に壷や甕などを焼いていました。 |
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伊達市梁川町八幡字堂庭 | |||
県指定史跡および名勝 |
輪王寺と同じように伊達氏の氏神として伊達持宗が祀った亀岡八幡宮は、伊達氏の移動とともに移され、伊達正宗が仙台城を築く際には仙台の川内に移されました。 | ||
伊達市保原町大柳字館ノ越・館ノ内・内越 ほか | |||
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阿武隈川の周囲に広がる平地を見下ろす丘の上に作られた城です。 伊達氏の一族だった保原氏の本拠地として使われたと考えられています。 |
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伊達市霊山町大石字霊山・石田字霊山 | |||
国指定史跡および名勝 |
周囲に断崖が広がる景色のすばらしい山で、平安時代に寺が建てられました。 室町時代の初めには陸奥国司の城として一時的に東北地方の政治の中心地となりました。 |
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江戸 時代 |
伊達市霊山町下小国字行人田 | ||
町指定史跡 |
江戸時代には、村内の安全などを願って石に経典の文字を一文字づつ書いた一字一石経を埋める風習がありました。 この経塚もその一つです。 |
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明治 時代 |
伊達市保原町大泉字宮脇 | ||
県指定重要文化財 |
江戸時代から続く豪農の住宅として使われていたもので、明治時代初めに流行した、和風建築の技術で作られた西洋風建物の特徴がよく表されています。 伊達町から移築されました。 |
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桑 折 町 |
鎌倉 ・ 室町 時代 |
桑折町万正寺字本丸・中館・西館・館表 ほか | |
国指定史跡 |
伊達稙宗が天文元年(1532)に梁川城からこの城に移り、その子晴宗の代に米沢に移るまで陸奥国守護の居城として重要な役目を果たした城です。 | ||
桑折町万正寺字大榧 | |||
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桑折西山城のふもとには伊達氏の菩提寺だった観音寺があります。 この近くで発見された墓で、火葬した骨が入った瀬戸産瓶子などが発見されました。 |
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桑折町字新町 | |||
県指定重要文化財 |
伊達晴宗が米沢に移り、桑折西山城が廃止された際に城内にあった門を移したと伝えられているものです。 門本体のつくりには室町時代の特長がよく残っています。 |
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明治 時代 |
桑折町字陣屋 | ||
国指定重要文化財 |
福島県伊達郡役所は明治16年に現在地に建てられました。 この建物は、東北地方に残る郡役所の建物の中でも当時の姿をよく残しているもののひとつです。 |
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現在 |
桑折町万正寺字大榧 | ||
県指定天然記念物 |
福島県内で最大のカヤの木で、幹周りは約8mあります。木の高さ、幹から枝の先までの長さはそれぞれ約5mあります。 | ||
川 俣 町 |
奈良 ・ 平安 時代 |
川俣町東福沢字双六山 | |
町指定史跡 |
平安時代には地方でも火葬が行われていましたが、火葬されるのはごく限られた人たちだけでした。 この墓に葬られた人も、特別な地位の人だったことでしょう。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
川俣町舘ノ越・東福沢字舘 ほか | ||
町指定史跡 |
室町時代の川俣町は中通りと浜通りを結ぶ交通の中心地で、河股城はこの地方を治める中心の城として重要な役目を果たしていました。 | ||
二 本 松 市 |
縄文 時代 |
二本松市原セ日照田 | |
県指定史跡 |
中央の広場を囲むように住居が建てられた縄文時代中期の集落が発見されました。 現在は、当時の集落のようすがわかるように復元整備されています。 |
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二本松市針道字上台 | |||
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丘陵の上に営まれた縄文時代中期~後期の集落です。 平らな場所に竪穴住居を作り、沢をゴミ捨て場にしていた当時の集落のようすがわかります。 |
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二本松市東新殿字中平 | |||
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発掘調査は行われていませんが、縄文時代晩期の集落と考えられている遺跡です。 人の顔の模様がついた縄文土器が発見されています。 |
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古墳 時代 |
二本松市前田 | ||
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杉田川流域を治めた豪族の墓と考えられています。 古墳の盛土は耕作で削られていましたが、長さ約6mの横穴式石室が発見されています。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
二本松市郡山台・長者宮 | ||
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延喜六年(906)に安積郡から分かれてできた安達郡の役所が置かれたところです。 当時の税金であった米が焼けた状態でたくさん発見されています。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
二本松市郭内三丁目 外 | ||
国指定史跡 |
室町時代には奥州管領だった畠山氏、江戸時代には二本松藩丹羽氏の居城として安達地方の中心地でした。 現在、本丸を含めた城の整備が進められています。 |
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二本松市小浜字下館 | |||
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室町時代にこの地方を治めていた大内氏の本拠地の城で、本丸周辺には当時の石垣が残っています。 本丸周辺の部分は現在、公園になっています。 |
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現在 |
二本松市杉沢字平 | ||
国指定天然記念物 |
福島県内最大の杉で、高さ50m以上あります。 根元の周囲は約20mあり、江戸時代に二本松藩主がこの地を訪れた時に杉沢の大杉と名付けたと伝えられています。 |
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大 玉 村 |
縄文 時代 |
大玉村玉井字山城 | |
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縄文時代中期の集落で、この当時福島県地方を中心に流行していた火を焚く場所が二つに分かれている「複式炉」と呼ばれる炉をもつ住居がたくさん発見されています。 | ||
古墳 時代 |
大玉村大山字小次郎内 | ||
県指定史跡 |
県中地方最大の前方後円墳で、古墳時代の安達地方を治めていた豪族の中では一番勢力を持っていた人の墓と考えられています。 | ||
大玉村大山字愛宕 | |||
県指定史跡 |
二子塚古墳のある平地を見下ろす東側の山の上に造られた全長42mの前方後円墳です。 二子塚古墳以前にこの地方を治めていた豪族の墓と考えられています。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
大玉村玉井字星内 | ||
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竪穴住居の中から、県内でも珍しい金属器を模倣した土師器の蓋と杯が発見されており、金属に近い光沢を出すために両面が燻されて黒くなっています。 | ||
現在 |
大玉村玉井字石橋 | ||
国指定天然記念物 |
桜のある場所が源義家の馬場だったという伝説から馬場ザクラと呼ばれています。 高さ約21m、根元の周囲が約12mほどあり、県内でも有名なサクラの大木です。 |
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本 |
縄文 時代 |
本宮市長屋字信田ノ内 | |
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縄文時代後期後半の集落と考えられている遺跡で、壷・皿・透かしのある香炉・注ぎ口の付いた縄文土器のほか、土偶などが発見されています。 | ||
弥生 時代 |
本宮市荒井字陣場 | ||
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弥生時代中期の集落です。 特徴のある模様のついた土器がまとまって発見されたことから、この模様のついたグループに「陣場式」という名前が付けられています。 |
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古墳 時代 |
本宮市本宮字南ノ内 | ||
出土品:県指定重要文化財 |
埴輪で飾られた古墳として有名です。 武人や巫女などの人物を表した埴輪のほか、鶏や犬などの動物を表した埴輪などが発見されています。 |
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本宮市和田字白旗 | |||
町指定史跡 |
阿武隈川を見下ろす白旗山の山頂に作られた古墳群で、前方後円墳1基と円墳3基が確認されています。 円墳はいずれも直径約10mの小さな古墳です。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
本宮市荒井字関畑・関内 | ||
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平安時代中期の集落で、県内でも珍しい把手の付いた注ぎ口のある土器が発見されています。 | ||
現在 |
本宮市和田字東屋口 | ||
県指定名勝および天然記念物 |
平安時代ごろから信仰の対象になっていた岩角山は山全体が花崗岩でできており、自然の侵食作用で不思議な形をした岩がたくさんみられます。 | ||
郡 山 市 |
旧 石器 時代 |
郡山市田村町守山字弥明 | |
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動物を解体するのに利用した石器などがまとまって見つかっています。 | ||
縄文 時代 |
郡山市田村町谷田川字荒小路 | ||
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縄文時代の後期(約4000~3000年前)を中心とした集落の跡です。 竪穴住居跡や狩猟用の落とし穴、土器を埋めてお墓とした跡などが発見されたほか、多数の縄文土器や石器、土偶や獣形などの土製品が見つかっています。 |
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郡山市中田町高倉字蔵屋敷 | |||
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昔の川の跡に囲まれた中から、竪穴住居の跡や土器が埋められた土坑が見つかっています。 | ||
郡山市富久山町堂坂字寺代 | |||
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台地上に営まれた中期の遺跡で、竪穴住居跡などとともに貯蔵穴からは完形の縄文土器が見つかっています。 | ||
弥生 時代 |
郡山市田村町御代田 | ||
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弥生時代のはじめ頃の土器がたくさん見つかった遺跡で、福島県の弥生時代研究のさきがけとなりました。 | ||
郡山市柏山町・大槻町字柏山 | |||
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管玉などの石の副葬品とともに、地面に掘ったお墓と思われる穴が見つかっています。 | ||
古墳 時代 |
郡山市田村町正直字蓮沼 | ||
- |
たくさんの竪穴住居跡見つかったこの時代の大集落の跡で、石製の模造品を作ったあとやお祭りを行ったと思われる場所も見つかっています。 | ||
郡山市田村町 | |||
国指定史跡 |
全長83mの東北地方でも最大級の前方後方墳で、遺体が納められた場所からは鉄の大刀や車輪石などが見つかっています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
郡山市安積町荒井字猫田・南千保 | ||
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鎌倉時代の町の跡で、道路跡や井戸跡・建物跡などとともに、町の出入り口となる木戸も見つかっています。 | ||
郡山市堂前 | |||
国指定重要文化財 |
鎌倉時代初めにつくられた、この時代に流行る板碑(いたび)のさきがけとなるものとして貴重なものです。 | ||
郡山市堂前 | |||
国指定重要文化財 |
鎌倉時代にたてられたもので、曼陀羅(まんだら、仏教の世界観をあらわしたもの)が彫られています。 | ||
郡山市田村町谷田川字樋ノ口 | |||
国指定史跡 |
自然の地形を利用した山城で、室町時代の初めころ、南朝方が立てこもって戦いをしました。宇津峰は、郡山・須賀川の2市にまたがっている。 | ||
郡山市田村町山中字本郷 | |||
県指定重要文化財 |
細かな装飾がほどこされた禅宗の仏殿形式で、大変残りが良く貴重なものです。 | ||
明治 時代 ~ 現在 |
郡山市堂前町 | ||
県指定史跡 |
まだ、社会福祉の事業が世の中に広がらない明治時代に、貧しい子供たちを救った如法寺の住職である鈴木信教のお墓です。 | ||
郡山市開成 | |||
国指定重要文化財 |
明治時代の建築の特徴をよくあらわした学校校舎で、昭和52年に国指定の重要文化財となっています。 | ||
郡山市開成 | |||
県指定重要文化財 |
明治時代の安積開拓の中心的な役割をはたした建物で、天皇の行在所にも利用された建物です。 | ||
郡山市湖南町赤津字西岐 | |||
国指定天然記念物 |
高さ25m、幹のまわり9mのカツラの大木で、樹齢は350年と推定される大変貴重なものである。 | ||
郡山市西田町丹伊田字宮作 | |||
国指定天然記念物 |
延長68m、幅15mの岩脈で、阿武隈山地の西側にあるものでも最も残りの良いものです。 | ||
郡山市日和田町日和田字背戸 | |||
県指定天然記念物 |
高さ7m、幹の周り1.6mのイチイの大木で、このあたりが森であったころから残ったものと思われます。 | ||
郡山市田村町大善寺字宿 | |||
県指定天然記念物 |
根本の周囲が2mもあるヤマフジの大木で、このように大きく育ったものは大変めずらしいものです。 | ||
郡山市逢瀬町多田野字浄土松 | |||
県指定名勝・天然記念物 |
自然の力によって削られた、きのこ型の岩が立ち並ぶ、大変めずらしい場所です。 | ||
須 賀 川 市 |
縄文 時代 |
須賀川市狸森字王子前 | |
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後期(約4000~3000年前)の円形の竪穴住居跡が大量の縄文土器とともに7軒みつかっています。 | ||
古墳 時代 |
須賀川市小作田字小枝 | ||
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3つの古墳が調査され、石で組まれた箱形の棺からは、鉄製の剣や斧が見つかっています。 | ||
須賀川市堀込字九郎五郎内 | |||
- |
台地上に営まれたムラで、竪穴住居跡24軒、建物跡34棟などが、この時代の土器などとともに見つかっています。 | ||
須賀川市柱田字跡見塚 | |||
出土品:市指定文化財 |
石で作られた棺から、勾玉などの装身具や鉄製の刀が見つかっています。特に刀は金銅製の装飾が施された大変貴重なものです。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
須賀川市西川字坂ノ上 | ||
国指定史跡 |
平安時代末頃のお経を納めた陶器製の筒の容器を埋めた塚で、ほぼそのままの形で残っている貴重なものです。 | ||
うまや遺跡 | 須賀川市中宿・崩免・境免 | ||
出土品:市指定文化財 |
お産の後産を納めたと思われる須恵器の杯の中から古代の貨幣である「和同開珎」が見つかりました。 | ||
須賀川市上人壇・岩瀬森 | |||
国指定史跡 |
屋根を葺いた瓦や寺の建物の配置がわかる跡が見つかった貴重な地方の寺院跡です。 | ||
竹の内遺跡 |
須賀川市矢沢字竹ノ内 | ||
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カマドのついた四角い形の竪穴住居跡1軒と丸い形の古墳が調査され、中からはそれぞれの時代の土器がみつかっています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
双式浮彫阿弥陀三尊来迎供養石塔 |
須賀川市前田川字草池下 | |
県指定重要文化財 |
板状の石で作られており、上には阿弥陀三尊来迎図が左右に浮き彫りされています。 | ||
石造阿弥陀三尊来迎供養塔 |
須賀川市畑田字橋本 | ||
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高さ173cmの石の板に菩薩を従えた阿弥陀如来が彫られており、浄土信仰を検証する上で、大変貴重なものです。 | ||
江戸 時代 |
須賀川一里塚 |
須賀川市一里坦、高久田境 | |
国指定史跡 |
奥州道中に作られた道しるべの塚で、高さ3mくらいの塚が2つ残っています。 | ||
桙衝神社本殿 |
須賀川市桙衝字亀居山 | ||
県指定重要文化財 |
3間×3間の切妻型の建物跡で、たてものの細部にこの時代の地方の特色がよくあらわれています。 | ||
現在 |
永泉寺のコウヨウザン |
須賀川市長沼字寺前 | |
県指定天然記念物 |
幹周り3.7m、高さ30mの大木で、中国南部原産の植物で日本に植えられたものとしては巨木で、大変珍しいものです。 | ||
護真寺のサクラ |
須賀川市横田字北の後 | ||
県指定天然記念物 |
幹周り4m、高さ15mのシダレザクラで、「三春滝ザクラ」を別格とすると、巨木として貴重なものです。 | ||
古舘のサクラ |
須賀川市桙衝字古舘 | ||
県指定天然記念物 |
台地の端に1本自生しているシダレザクラの大木で、幹周り4.4m、高さ17mの大きさがあります。 | ||
須賀川の牡丹園 |
須賀川市字牡丹園 | ||
国指定名勝 |
900株の牡丹が咲き誇る庭園で、江戸時代から続くものとしては最も規模が大きいものである。 |
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西川の太郎マツ |
須賀川市西川字一本松 | ||
県指定天然記念物 |
アカマツの独立した大木で、根本の周囲4.5m、樹高9mほどあります。 | ||
三 春 町 |
縄文 時代 |
西方前遺跡 |
三春町西方字西方前 |
出土品:町指定文化財 |
複数の時期に渡って大滝根川沿いに営まれたムラの跡で、竪穴住居跡や配石遺構が見つかっています。 | ||
柴原A遺跡 |
三春町柴原字柴原 | ||
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後期はじめ(約4000年前)の石を敷いて作られた敷石住居跡が、たくさんの縄文土器とともにまとまって見つかっています。 | ||
堂平遺跡 |
三春町実沢字堂平 | ||
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石を敷いて作られた住居跡が現在は復原されており、見学も出来ます。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
斎藤館跡 |
三春町斎藤字斎藤・里内 | |
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戦国時代の館の跡で、平らな形の部分からは、多数の建物の跡や陶磁器・石臼などが見つかっています。 | ||
西方館跡 |
三春町西方字中ノ内 | ||
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館跡の全体が調査された貴重な遺跡で、空堀と土塁・郭からなる中世館の構造をよく表しています。 | ||
江戸 時代 |
近世追手門前遺跡群 |
三春町大町・南町 | |
- |
三春藩の城下町で、屋敷跡などから、多量の陶磁器や古銭が見つかっています。 | ||
現在 |
三春滝ザクラ |
三春町滝字桜久保 | |
国指定天然記念物 |
幹周り9mのベニシダレザクラの巨木で、海外にも知られた名木です。 三春藩時代には、藩主の御用木にもなっていました。 |
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小 野 町 |
縄文 時代 |
矢大臣遺跡 |
小野町湯沢字新田 |
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中期から後期にかけての19軒の竪穴住居の跡や縄文土器がみつかっており、配石遺構からは獣の骨も見つかっています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
猪久保城跡 |
小野町谷津作字和久・猪久保 | |
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堀や平場などともに建物跡や土器類・鉄製品なども見つかっており、2時期の変遷がたどれます。中世城館として大変貴重な遺跡です。 | ||
現在 |
諏訪神社の翁スギ・媼スギ |
小野町夏井字町屋 | |
国指定天然記念物 |
間が1.3m離れている幹周り10m、樹高47mのスギの2本の巨木で、神社の神木として2本が相対して残ってる例は少なく、貴重なものです。 | ||
田 村 市 |
縄文 時代 |
寺畑遺跡 |
田村市滝根町菅谷 |
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中期(約5000~4000年前)の貯蔵穴と思われる土坑や草創期(約12000~9000年前)の土器が見つかっています。 | ||
岡平遺跡 |
田村市大越町早稲川字岡平 | ||
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中期から後期にかけての石で組んだ複式炉をもつ竪穴住居跡 | ||
堂平B遺跡 |
田村市大越町牧野字西ノ内 | ||
- |
晩期(3000~2500年前)の石を並べて作った配石墓が23基ほどみつかっています。 | ||
曲山A遺跡 |
田村市船引町新舘字曲山外 | ||
- |
この時代の竪穴住居跡と建物跡が土器や鉄製品などとともに見つかっています。 | ||
三百成遺跡 |
田村市船引町北鹿又字三百成・前田仲田 | ||
- |
早期の終わり頃(約6500年前)の竪穴住居跡や土坑、石を集めて作った遺構などが見つかっています。 | ||
石橋遺跡 |
田村市都路町古道字山口 | ||
- |
昭和54年に発掘調査され、縄文時代前期の竪穴住居跡3軒がみつかっています。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
台ノ前A遺跡 |
田村市船引町北鹿又字平畑・三百成 | |
- |
この時代の竪穴住居跡や建物跡が土師器などの遺物と一緒にみつかっています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
深谷館跡 |
田村市大越町牧野字深谷 | |
- |
平場から柱穴や井戸跡などが見つかっており、特に小型の金銅製の仏は貴重なものです。 | ||
堂山王子神社本殿 |
田村市船引町門沢字堂山 | ||
国指定重要文化財 |
室町時代の後期のカヤ葺き(補修後銅板葺き)、寄棟屋造りの大変貴重なものです。 | ||
江戸 時代 |
猪狩治郎右エ門屋敷跡遺跡 |
田村市大越町牧野字田中 | |
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建物跡や池の跡などとともに江戸時代後半の九州産の磁器類や浪江町大堀産の陶器類が見つかっています。 | ||
台ノ前B遺跡 |
田村市船引町堀越字石梨久保 外 | ||
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建物跡やその柱穴が多数見つかっており、3時期の変遷がたどれます。 特に建物跡の1棟は、お堂の跡と思われます。 |
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現在 |
永泉寺のサクラ |
田村市大越町栗出字長根 | |
県指定天然記念物 |
永泉寺の境内にある樹齢300年程のベニシダレの巨木で、幹周り4m、高さ12mの大きさです。 | ||
入水鍾乳洞 |
田村市滝根町菅谷字仙台平 田村市常葉町稲川字早稲川 |
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国指定天然記念物 |
石灰岩で作られた台地を流れる川の水が地下に入って石灰岩を溶かして作られた洞窟で、めずらしい大小の鍾乳石が見られます。 | ||
西戸の森 |
田村市都路町岩井戸字西戸 | ||
市指定天然記念物 |
榎2本・榧1本・樅1本からなる森です。 元和年間(1615~1624)に渡辺家の祖先が大山津見神社を拝持して、勧請したと伝えられ、毎年11月7日が大祭日となっています。 |
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天 栄 村 |
縄文 時代 |
桑名邸遺跡 |
天栄村大里字西畑 |
- |
この時代の大きな集落遺跡で、多数の竪穴住居跡や貯蔵穴とともに完形品を含む縄文土器や石器類も多数見つかっています。 | ||
古墳 時代 |
竜ヶ塚古墳 |
天栄村白子字竜が塚 | |
県指定史跡 |
長さ36m、幅17m、高さ4.5mの大きさの前方後円墳で、この地方の有力な豪族のお墓だと思われます。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
志古山遺跡 |
天栄村白子字志古山 | |
出土品:県指定重要文化財 |
多数の竪穴住居跡や建物跡とともに、地方豪族のものと思われる「丈龍私印」と刻まれた銅製の印も見つかっています。 | ||
石 川 町 |
旧 石器時代 |
上悪戸遺跡 |
石川町中野字悪戸 |
- |
この時代のナイフ形石器などが56点ほど見つかっており、石材には石英が多く使われていました。 | ||
縄文 時代 |
小田口D遺跡 |
石川町母畑字小田口 | |
- |
中期の終わり頃(約4000年前)を中心とした集落の跡で、石で組んだ複式炉がある竪穴住居跡や多数の遺物が見つかっています。 | ||
弥生 時代 |
鳥内遺跡 |
石川町新屋敷字耕上 | |
県指定史跡 |
弥生時代の中頃に作られたお墓で、穴の中から人の骨を入れたと思われる壺がたくさん見つかっています。 | ||
古墳 時代 |
大壇古墳群 |
石川町新屋敷字田上・焼場 | |
県指定史跡 |
前方後円墳3基と円墳6基からなる古墳群で、前方後円墳は最大のもので長さが30mに及びます。 | ||
悪戸古墳群 |
石川町中野字悪戸 | ||
県指定史跡 |
古墳時代後期の円墳が11基あつまった古墳群で、内部には横穴式石室となっています。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
達中久保遺跡 |
石川町赤羽字達中久保・陳場 | |
- |
竪穴住居跡軒、建物跡棟などが見つかった大きな集落の跡で、この時期の土器も大量に見つかっています。 | ||
現在 |
石川の高田ザクラ |
石川町字高田 | |
県指定天然記念物 |
幹周り5.8m、高さ17mのウスベニヒガンザクラの大木で、貴重なものです。 | ||
球状花崗岩 |
石川町北山形字中の内・小桑久保 | ||
県指定天然記念物 |
石が冷えて固まる時に丸い形となった大変珍しいもので、中心部には黒雲母が多く含まれています。 | ||
玉 川 村 |
縄文 時代 |
堂平B遺跡 |
玉川村川辺字堂平 |
- |
阿武隈山地の丘陵南斜面にある遺跡で、遺物が含まれている土層からは、たくさんの縄文土器が見つかっています。 | ||
古墳 時代 |
宮ノ前古墳 |
玉川村川辺字宮ノ前 | |
県指定史跡 |
阿武隈山系の中にある古墳で、横穴式石室が残っており、人骨がみつかったとの記録も残っています。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
石造五輪塔 |
玉川村岩法寺字竹ノ内 | |
国指定重要文化財 |
石川地方の豪族、石川氏の祖先の墓に建つ墓石で、時代が刻んである(治承五年:1181年)大変貴重なものです | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
須釜東福寺舎利石塔 |
玉川村南須釜字根搦 | |
国指定史跡 |
鎌倉時代の初めに仏教の思想に基づいて建てられた石の塔で、内部に舎利を入れたと思われる穴があいています。 | ||
江戸 時代 |
小半弓製鉄遺跡 |
玉川村南須釜字小半弓 | |
- |
製鉄が行われた炉や建物跡がよく残されており、近世のタタラ製鉄を考える上で大変貴重な遺跡です。 | ||
八幡神社本殿 |
玉川村川辺字宮ノ前 | ||
- |
石川地方の豪族、石川氏の氏神を祀った神社で、一間社の流造となっています。 | ||
川辺八幡のさかさスギ |
玉川村川辺字宮ノ前 | ||
県指定天然記念物 |
川辺八幡神社境内にある幹周り6.9m、高さ18mのスギの大木で、枝が下に垂れる特徴をもっています。 | ||
平 田 村 |
縄文 時代 |
三斗蒔遺跡 |
平田村上蓬田字三斗蒔 |
- |
石で組まれた複式炉がある竪穴住居跡から、多数の縄文土器や石器などが見つかっています。 | ||
江名篭D遺跡 |
平田村永田字江名籠 | ||
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平成6年度の調査では、溝跡とともに早期末(約6000年前)の縄文土器がみつかっています。 | ||
浅 川 町 |
古墳 時代 |
蓑輪坂ノ前古墳 |
浅川町簑輪坂ノ前 |
- |
5基の丸い古墳が調査されており、石で組まれた棺の中からは管玉などの装飾品や土師器・鉄製品などが見つかっています。 | ||
古 殿 町 |
縄文 時代 |
三株山遺跡 |
古殿町松川字三株山 |
- |
昭和40・41年の調査で、後期~晩期(約4000~2500年前)の縄文土器や石器・土偶などが見つかっています。 | ||
古墳 時代 |
宮前古墳群 |
古殿町山上字宮前 | |
- |
大正13年に発掘調査されており、横穴式石室からは、鉄製の直刀や勾玉・銅釧などが見つかっています。 | ||
現在 |
古殿町越代のサクラ | 古殿町大久保字ヲテマ地内 | |
県指定天然記念物 |
樹齢400年、高さ20mのヤマザクラの大木で、たいへん貴重なものです。 | ||
白 河 市 |
旧 石器 時代 |
一里段A遺跡 |
白河市白坂字一里段 |
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この「まほろん」の敷地内で見つかった遺跡です。 ナイフ形石器などの旧石器が見つかり、石器の変遷を知る上で大変貴重な遺跡です。 |
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縄文 時代 |
南堀切遺跡 |
白河市新白河・高山 | |
- |
中期(約5000~4000年前)の竪穴住居跡と貯蔵穴と思われる土坑が縄文土器や石器などとともにみつかっています。 | ||
弥生 時代 |
滝ノ森遺跡 |
白河市表郷番沢字滝ノ森 | |
- |
弥生時代の中頃に作られたお墓で、人の顔がついたたいへんめずらしい壺も見つかっています。 | ||
古墳 時代 |
白河舟田・本沼遺跡群 |
白河市舟田字中道ほか | |
国指定史跡 |
遺跡群は、墳長は71.8mの下総塚古墳(前方後円墳)、一辺約70mの溝で区画された豪族居館跡を確認した舟田中道遺跡、古墳時代終末期の谷地久保古墳・野地久保古墳の4つの遺跡で構成されています。 | ||
郭内横穴墓群 |
白河市郭内 | ||
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小峰城東側にある横穴墓で、12基が調査されており、馬具・武具や装身具の他に人骨片もみつかっています。 | ||
三森遺跡 |
白河市表郷三森字月桜 | ||
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38軒のカマドのついた竪穴住居跡が、土器やお祭りに利用された石製模造品などと見つかっています。 西となりの建鉾山祭祀遺跡との関係が注目されます。 |
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笊内古墳群 |
白河市東上野出島字笊内 | ||
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横穴墓からは、ガラス玉や貴重な金銅製の馬具が見つかっています。 出土品は、まほろんで複製品とともに展示中です。 |
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佐平林遺跡 |
白河市東上野出島字佐平林 | ||
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たくさんの竪穴住居跡が見つかっているこの地域のこの時代を代表する大集落で、特徴的な土師器も見つかっています。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
白河官衙遺跡群跡 |
白河市借宿字株木 | |
国指定史跡 |
白河地方の古代の役所跡である関和久官衙遺跡と、それに付属すると考えられる寺院跡の借宿廃寺跡で構成されています。 | ||
白河関跡 |
白河市旗宿字関ノ森・白河内 | ||
国指定史跡 |
関東地方から東北地方に伸びる古代の東山道にあった、東北地方への入口の関所跡で、建物の跡も見つかっています。 | ||
谷地前C遺跡 |
白河市東上野出島字谷地前 | ||
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たくさんの竪穴住居跡が見つかっているこの地域を代表するこの時代の大集落で、文字が書かれた土師器も見つかっています。 | ||
北大久保E遺跡 |
白河市大信下新城字北大久保 | ||
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カマドの付いている竪穴住居跡や土器類とともに貴重な鉄製の蕨手(わらびて)刀も見つかっており、注目されます。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
白川城跡 |
白河市搦目字美濃輪 | |
国指定史跡 |
この地方の有力大名である白川結城氏の本拠地跡で、空堀や土塁などの遺構とともに東の谷からは、宋銭や焼け米も見つかっています。 | ||
小峰寺厨子 |
白河市字道場町 | ||
県指定重要文化財 |
内部に漆絵がほどこされた室町時代後期の特色をもつ禅宗の建物で、現在は地蔵菩薩が安置されています。 | ||
江戸 時代 |
小峰城跡 |
白河市郭内 | |
国指定史跡 |
白川結城氏の親朝である小峰氏が築いた城で、城主を代えて江戸時代末まで継続しており、石垣や堀が調査されています。 | ||
南湖公園 |
白河市字南湖・池下 | ||
国指定史跡・名勝 |
松平定信公が中国の名園を模して造った公園で、湖畔には楓やサクラが植えられており、現在でも市民の憩いの場となっています。 | ||
松風亭蘿月庵 |
白河市字南湖 | ||
- |
松平定信公が愛用した茶室で、南湖公園の中にあります。 | ||
明治 時代 ~ 現在 |
白河ハリストス正教会聖堂 |
白河市愛宕町 | |
県指定重要文化財 |
大正時代に建てられたもので、中には主イエス・キリストや聖母マリアをはじめ様々な聖像画が配置されています。 | ||
金山のビャッコイ自生地 |
白河市表郷金山字上谷地 | ||
県指定天然記念物 |
この地特産のホタルイ属の植物であるビャッコイが自生している大変貴重な場所です。 | ||
棚 倉 町 |
弥生 時代 |
崖ノ上遺跡 |
棚倉町棚倉字崖ノ上 |
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土坑の中に大量の壺などの弥生土器を埋納したお墓と思われ、戦後の古い時代から知られた遺跡です。 | ||
古墳 ~ 平安 時代 |
松並平遺跡 |
棚倉町下山本字松並平 | |
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たくさんの竪穴住居跡が見つかった大きな集落遺跡で、古墳時代から平安時代までの時期の変遷がたどれます。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
流の廃堂跡 |
棚倉町流字東山 | |
- |
平安時代初めの寺院跡と思われ、付近からは古瓦や礎石が見つかっています。 | ||
矢 祭 町 |
縄文 時代 |
岡野田遺跡 |
矢祭町宝坂字岡野田 |
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縄文時代中期後半を中心とする集落で、13軒の竪穴住居跡や8基の配石墓等が発見されました。 数少ない久慈川流域の縄文時代の集落の調査例であり、該期の東北南部と関東北東部との接点を知ることのできる貴重な遺跡です。 |
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弥生 時代 |
大高平遺跡 |
矢祭町小田川字大高平 | |
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後期(約1900~1700年前)の遺跡で、茨城県地方で多く見つかっているものと同じタイプの弥生土器がまとまって見つかっています。 | ||
塙 町 |
縄文 時代 |
羽原谷地遺跡 |
塙町湯岐字羽原谷地 |
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あぶくま山系に位置する遺跡で、中期(約5000~4000年前)の縄文土器が完形品も含めて見つかっています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
羽黒山城 |
塙町塙字竹之内・城山・舘山 | |
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平場や土塁の発掘調査では、建物跡やそれに伴う柱穴群が陶磁器や中国銭とともにみつかっています。 | ||
江戸 時代 |
薬王寺薬師堂 |
塙町大字台宿字大久保 | |
県指定重要文化財 |
3間×3間の方形の建物で、18世紀の後半に祭礼の仮の仏堂として、建てられたものです。 薬師如来像を祀る厨子が安置され、天井がない特徴をもっています。 |
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現在 |
向ヶ岡公園のサクラ |
塙町塙字桜木町 | |
県指定天然記念物 |
江戸時代の代官によって造られた庶民の公園に植えられたサクラです。 種類はシロヒガンザクラ・ウスヒガンザクラ・シロシダレザクラがあります。 |
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鮫 川 村 |
縄文 時代 |
壇ノ岡遺跡 |
鮫川村赤坂中野字巡ヶ作 |
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鮫川中学校の敷地となっている遺跡で、中期~後期(約5000~3000年前)の竪穴住居跡や敷石住居跡の他に、石で組まれた特殊な遺構もみつかっています。 | ||
古墳 時代 |
鍬木田古墳 |
鮫川村富田字鍬木田 | |
- |
開墾中に見つかった古墳で、鉄製の直刀は渦巻き状の象嵌(ぞうがん)が施された大変貴重なものです。 | ||
現在 |
西山のイチイ |
鮫川村西山字宝木 | |
県指定天然記念物 |
水野氏の庭園にある2本のイチイで、高さが5~6mほどもある巨木として大変貴重なものです。 | ||
西 郷 村 |
縄文 時代 |
牛窪遺跡 |
西郷村羽太字牛窪 |
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後期~晩期(約4000~2500年前)にかけて営まれた遺跡で、深鉢形の土器を埋めてお墓とした跡が25基ほど見つかっています。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
入渕遺跡 |
西郷村羽太字入渕 | |
- |
真名子川を望む台地上にあるムラの跡で、カマドがついた竪穴住居跡3軒と建物跡1棟が土器類とともに見つかっています。 | ||
泉 崎 村 |
古墳 時代 |
原山古墳(原山1号墳) |
泉崎村太田川字原山 |
出土品:県指定重要文化財 |
5世紀末の全長20mの前方後円墳で、力士像などの形象埴輪がみつかっています。 | ||
泉崎横穴 |
泉崎村泉崎字白石山 | ||
国指定史跡 |
壁や天井に人物や馬が描かれた墓で、刀なども見つかっており、装飾された横穴タイプのお墓として大変貴重なものです。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
関和久官衙遺跡 (関和久遺跡) |
泉崎村関和久字明池外 | |
遺跡:国指定史跡 出土品:県指定重要文化財 |
白河地方の古代の役所跡と考えられる遺跡で、多くの建物跡や外側を区画する溝の跡が見つかっています。 | ||
関和久上町遺跡 |
泉崎村関和久字上町 | ||
役所である関和久官衙遺跡の東隣に位置する遺跡です。 建物跡群とともに瓦や漆紙文書などもみつかっており、役所的な性格をもつ遺跡だと考えられています。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
観音山磨崖供養塔婆群 |
泉崎村踏瀬字観音山 | |
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高さ10m、幅38mの範囲に320基の供養塔が造られており、中には鎌倉時代の年号が刻まれたものもあります。 | ||
中 島 村 |
古墳 時代 |
蝦夷穴横穴墓群 |
中島村松崎字善棚 |
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平成元年に調査された横穴のお墓の中からは、須恵器や鉄製の直刀などの貴重な遺物がみつかっています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
白山神社下磨崖仏群 |
中島村松崎字上井 | |
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高さ10mの崖面の下に多くの仏像が刻まれており、中通り地方でも最も古い時期に作られたものとして大変貴重なものです。 | ||
矢 吹 町 |
弥生 時代 |
八幡町B遺跡 |
矢吹町八幡町 |
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炉を持った竪穴住居の跡が多量の弥生土器とともにみつかっており、資料の少ない時代の遺跡として大変貴重な遺跡です。 | ||
古墳 時代 |
鬼穴古墳 |
矢吹町神田東 | |
県指定史跡 |
内部に横穴式石室がある円墳で、鉄鏃や刀子・玉類が見つかっており、古墳時代後期を代表するタイプの古墳です。 | ||
弘法山古墳群 |
矢吹町奉行塚 | ||
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阿武隈川を望む段丘の崖面の8基の横穴墓からは、ガラス玉などの装飾品とともに鉄製の太刀も見つかっています。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
上宮崎A遺跡 |
矢吹町上宮崎 | |
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この時代の竪穴住居跡18軒と建物跡36棟がみつかっており、5時期の変遷がたどれます。 建物跡にはお堂の跡と推定されるものもあります。 |
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笹目平遺跡 |
矢吹町堰ノ上 | ||
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丘陵の南斜面に位置する遺跡で、この時代の竪穴住居跡18軒と建物跡2棟や製鉄関係の遺構がみつかっています。 | ||