瀧ノ入遺跡
- 調査期間
- 平成28年5月~11月(調査終了)
- 場所
- 下郷町白岩字瀧ノ入
- 該当時代
- 縄文時代、弥生時代、古代、中世以降
- 調査原因
- 会津縦貫南道路の建設
瀧ノ入遺跡は、阿賀川の支流である隈川右岸丘陵上に立地しています。平成27年度に確認調査を実施し、弥生時代中期の土器と土坑が見つかりました。土器は破砕された状態で土坑の上から出土しています。同じような土坑は、会津若松市一ノ堰B遺跡、川原町口遺跡などで見つかっていて、弥生時代の墓と考えられています。その他、古代の竪穴住居跡、中世以降の掘立柱建物跡なども確認されています。
5月25日現在の様子
5月12日から瀧ノ入遺跡の発掘調査を開始しました。現在表土除去と遺構の検出を行っています。
現在のところ、弥生土器の他に、少量ではありますが縄文土器も出土していることから、今後の調査で縄文時代の遺構が確認される可能性もあります。
[調査区の様子]
[確認調査で出土した弥生土器]
[出土した縄文土器]
6月10日のようす
調査区北側の遺構検出作業を行っています。調査区の北側では掘立柱建物跡と思われる柱穴の跡、竪穴住居跡1軒を確認しました。これまで縄文土器・弥生土器が出土していましたが、それよりも新しい、古代以降の遺構も存在しているようです。
調査区の南側では弥生土器が多く含まれる包含層の掘り下げを始めました。弥生時代中期の川原町口式と思われる土器片や、石器を作る際にできる剥片や石核なども出土しています。
[調査区北側の遺構検出作業の様子]
[調査区南側の包含層掘り下げの様子]
6月22日現在の様子
調査区北側の調査を進めたところ、掘立柱建物の柱穴から古銭が出土しました。出土した古銭は「皇宋通宝」(※初鋳は1039年ですが、江戸時代に寛永通宝が流通するまで貨幣として使用されていました)で、中世以降の掘立柱建物である可能性が高くなりました。 また、その近くで2基の集石遺構を確認しましたが、時期や性格については、まだ特定できていません。
[集石遺構の検出状況]
9月16日のようす
現在、調査区北側の遺物包含層の調査を進めています。
この場所では、弥生土器はほとんど出土せず、みつかるのは縄文土器が中心です。包含層からは石器も出土していて、石鍬のような製品も出土しています。
まだ全ての検出を終えていませんが、多くの柱穴の痕跡がみつかっています。柱穴は古代もしくは中世の掘立柱建物跡と考えられ、これまでに確認した1棟に加え、複数の建物が存在していたようです。
[出土した石鍬]
[調査区北側の調査風景]
10月14日のようす
下郷町の旭田・江川・楢原小学校の6年生が現場の見学を行いました。なぜ発掘調査をしているのか、どんなものが見つかっているのか現場の中を廻りながら説明したあと、出土した遺物を見学してもらいました。 調査では、300基以上のピットを検出しています。ピットからは鉄鏃や鎌が出土しています。また、検出を進めたところ、新たに井戸を1基確認しました。
[小学生の現場見学の様子]
[鎌が出土した状況]