令和4年度発掘調査情報

中西部遺跡なかにしぶいせき

調査終了
調査期間
令和4年5月~11月(予定)
場所
大沼郡金山町大字大塩字中西部
該当時代
縄文時代・弥生時代
調査原因
只見川河川整備事業に伴う発掘調査

中西部遺跡は、只見川左岸の段丘上に立地します。令和3年度に実施した試掘・確認調査により、縄文時代から弥生時代にかけての遺跡であることが推測されました。今回の発掘調査で、具体的な時期や性格を明らかにしたいと思います。


11月25日の様子

 11月後半になり、天候が不安定な日が多くなりましたが、本日、無事にすべての調査を終了することができました。今年は雪が早く降るという予報も聞かれましたが、雪が降る前に調査を終了することができたのは、雨の降る日、風の強い日、夏の暑い日、そして晩秋の寒い日も一所懸命に頑張ってくれた作業員さんたち、ご指導いただいた専門家の皆様方、そして、このコーナーの読者の皆さん方の熱い声援があったからと思っております。感謝申し上げます。
 これからは、福島市内の整理事務所において、調査で出土した遺物の整理や調査成果をまとめる作業を進める予定です。今後、その様子もこのコーナーで紹介していきたいと思います。

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写真1 調査最終日に調査区の北方に虹が架かっていました


11月16日の様子

 これまでに、調査区中央部から多くの土坑が見つかっていましたが、これらの中には土層断面に柱の痕跡が観察されるものが多くありました。この柱の痕跡が見つかった土坑を周囲の土坑も含めて詳細に検討したところ、それらは単体ではなく、周囲の土坑と共に掘立柱建物跡を構成する柱穴であることが分かってきました。

 まだ、一部の組み合わせしか判明していませんが、いくつかの形態があるようです。

 それは、2間×1間の長方形の柱配置の主軸線上に棟持ち柱を持ち、平面形が亀甲形となるもの(写真1)、1間×1間の長方形ないしは方形の柱配置の主軸線上に棟持ち柱を持ち、平面形が亀甲形となるもの(写真2)、棟持ち柱の柱穴が認められず1間×1間の長方形ないしは方形に柱穴が配されるもの(写真3)です。

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写真1 2間×1間の長方形に配された柱穴の主軸線上に棟持ち柱を持つ掘立柱建物跡

      中心の長さは9mを測る。

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写真2 1間×1間の方形に配された柱穴の主軸線上に棟持ち柱を持つ掘立柱建物跡

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写真3 長方形に柱穴が配された掘立柱建物跡

 

 また、調査区北側からは周溝付き平地住居跡と1間×1間の掘立柱建物跡が見つかりました。写真4で、左側に見えるのは周溝付き平地住居跡で、その中央部にそれぞれ一人づつ立っています。右奥に4人一組で立っている部分が掘立柱建物跡の位置です。

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写真4 周溝付き平地住居跡と掘立柱建物跡平地住居跡が3軒と掘立柱建物跡が5棟見つかりました。

 

もうじき、調査が終了というのに、また管玉が出土しました()

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写真5 緑色の管玉が出土している様子もっと見つけるぞ‼って移植ベラを持つ手に神経を全集中‼(もう古い?笑)


11月10日の様子

 調査が最終盤を迎え、カメラ搭載のドローンで空中写真撮影を行いました。

 遺跡の立地状況や調査区の全景、遺構の集中域の写真を色々な角度から撮影しました。

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写真1 撮影のため、ドローンが飛び立ちました

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写真2 遺跡の遠景です

     山間を縫って流れる只見川沿いに遺跡が立地しています


10月21日の様子

 以前、このコーナーの「6月21日の様子」で紹介しました、1号礫床墓と2号礫床墓に関して、その後、「1号集石遺構」、「2号集石遺構」として調査を進めています。

 それぞれの遺構内の石の堆積状況を確認するため、慎重に石を外して断面を観察したところ、それぞれ、浅い穴の底面に細かい河原石を敷き並べ、その上にそれらよりは大型の石が積み重ねられていることが分かってきました。

 また、これらの集石遺構の近くの小さな穴から、弥生時代初め頃の壺が出土しました。

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写真1 1・2号集石遺構の調査の様子(石の堆積状況を観察するため、それぞれの遺構の東側半分の石を取り外して調査しています。奥が1号集石遺構、手前が2号集石遺構。)

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写真2 1号集石遺構の調査の様子(穴の底面に細かい石が敷かれている。)

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写真3 小さな穴に埋められた壺(中に何が入っているかな?)


9月22日の様子

 以前、このコーナーの「6月3日の様子」で弥生時代の首飾りの管玉を紹介しましたが、その後、出土した管玉の数は140個を超えました。

 管玉のサイズは、長さ1㎝前後で直径が2㎜のものが大半を占め、他に長さ2㎝前後で直径が幅5㎜のものがあります。前者では中央で半分にポキッと折れたものがあります。また、色は濃淡の差がありますが緑色のものが大半で、その他に赤色のものが2点あります(写真1)。

 赤色の遺物と言えば、調査区内から写真2のような赤い石と石鏃、写真3のような赤い塊と赤彩された土器があります。

 写真2の2点の石質はいずれも鉄石英で、弥生時代の人が遺跡内あるいは遺跡の近くから左の石を拾ってきた後、割って右の石鏃を作ったものと推測されます。

 写真3の中央の遺物は写真2の鉄石英と比べると硬質感がなく、素焼きの皿に擦って観察すると、赤色の条痕が認められました。この遺物は赤鉄鉱(ヘマタイト)と推測され、弥生時代の人が遺跡内あるいは遺跡の近くからこの塊を拾ってきた後、焼いて、砕いて粉状にした後に土器の表面に塗ったものと推測されます。

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写真1 調査で見つかった管玉いろいろ

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写真2 鉄石英の原石と石鏃

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写真3 赤鉄鉱と赤彩された弥生土器片


      

9月12日の様子

 暑かった8月が過ぎ、9月に入りましたが暑い日がまだまだ続いています。

 発掘作業後半戦に向けて、ネコ(一輪車)押し四銃士が応援に来てくれました。

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写真1 ネコ押し四銃士


9月6日の様子

調査が進み、調査が終了した土坑(穴)は400基を超えました。

調査区内はまさに足の踏み場もない状態です。

あと100基以上調査しなくてはなりません(´;ω;`)

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写真1 たくさん見つかっている土坑


6月21日の様子

遺構検出が進み、地中に眠っていた遺構や土器たちが次々と長い眠りから目覚め始めました。

写真1は弥生土器の破片が多く出土した地点を丁寧に調査している様子です。移植ベラや刷毛、竹串、箸などを使って慎重に土器の輪郭を出しています。

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写真1 弥生土器の破片がたくさん出土しました

 また、調査区北東部の一角からは礫(自然の石)を敷き詰めた遺構が2基並んで発見されました(写真2)どちらも主軸はほぼ東西方向で、1号集石遺構(写真2奥)は長さ約2.1m、幅約1.2mを測り、長さ2~17㎝の礫を敷き詰めたもので、大きめの礫が目立ちます。一方、2号集石遺構(写真2手前)は長さ約1.6m、幅約95㎝を測り、長さ2~12㎝の礫を敷き詰めたもので、長さ10㎝未満の礫が主体をなしています。今後、詳しい調査を進めていく予定です。

なお、両遺構の3Ⅾデータは下記のURLから見ることができます。

https://sketchfab.com/3d-models/1-2-a442fcd7add44a27b0943624f95dd307

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写真2 弥生時代の礫床墓が並んで発見されました


6月9日の様子

 作業員さんたちによる遺構検出作業が進むにつれて、四角い穴や丸い穴が多く見つかってきました。写真1は一辺約4mの正方形の竪穴住居跡を検出している様子です。この竪穴住居跡の時期は現段階では不明ですが、古墳時代から平安時代の可能性が高いものの、弥生時代の可能性も捨てられません。

 写真2は土坑やピット(柱穴)が見つかった様子です。土坑はこれまでに約150基見つかっています。土坑は長さ1m弱のもので、土坑墓(お墓)の可能性がありますが、詳しくは中を掘ってみないとわかりませんね(笑)

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写真1 竪穴住居跡を検出している様子

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写真2 土坑(左下)やピットも見つかった


6月3日の様子

 初夏に淡紫色の花を咲かせる桐の木が調査区の脇にキリッと立っています。まっすぐに育った桐の木に見守られながら、発掘調査は続きます。

 なお、中西部遺跡が所在する金山町の北隣の三島町は、古くから桐を栽培していることから「桐の里」と呼ばれています。

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写真1 調査区の脇にキリッと立つ桐の木(淡紫色の花(右下)がきれいです。)

 さて、発掘調査では日が経つにつれて弥生土器や石器が多く出土するようになりました。その中で、石錐を紹介します。石錐は「せきすい」と読み、石でできた錐(きり)のことです。写真2のように、先端が尖り、動物の皮や樹皮に穴を開けるための工具です。主に縄文時代の遺跡から見つかることが多いようです。

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写真2 出土した石錐(下の方が尖っています。)

 「キリ」の話題はこのあたりにして、他の遺物も紹介します。

 調査区の北東部を作業員さんたちが丁寧に表土掘削していたところ、緑色に光り輝く、小さく細い遺物が続けざまに出土しました。その正体は、「管玉」です。

 弥生時代の首飾りの一部で、合計6個が出土しました。碧玉製で、中央には細い孔があけられています。よく見ると、緑色が濃いものと薄いもの、長さが約2㎝のものと約1㎝で細いものがあるようです。まだ調査が始まったばかりですので、この後、何点出土するのか楽しみです。(とても小さな遺物ですので、細かい調査が求められます(笑))

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写真3 2種類の管玉(上が長さ約2㎝、下が長さ約1㎝で細い)


5月31日の様子

中西部遺跡には、三つの「キリ」があります。
雨上がりの午後、遺跡の東に沿って流れる只見川には川霧が発生しました。
川霧は川の水温が外気よりも高くなると発生します。調査区と只見川の水面の比高差は10m以上あり、川霧が調査区まで上がってくることはなく、写真1のように只見川の凹部を埋めているようです。なお、中西部遺跡の北東約13㎞には、「霧幻峡の渡し」という観光名所があります。幻想的な川霧の中の手こぎの渡し舟が人気のとのことです。

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写真1 川霧が発生した只見川


5月26日の様子

5月下旬になり、重機による表土除去はかなり進みました。

また、作業員さんによる遺構検出も開始され、弥生時代の穴や土器、石器などが見つかり出しました。

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写真2 只見川沿いの調査区(北から望む)

左に見えるのはエメラルドグリーンの只見川。目線を上げて周囲を見渡せば、山山山山。調査区の近くからは熊の落とし物も発見(◎_◎;)

調査が終わるまで、川に落ちないように、そして、ある日~♪熊と出会わないようにしたいものです。


5月11日の様子

発掘調査を開始しました。調査面積12,000㎡という広大な範囲。まず初めに重機により表土を除去しています。

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写真1 重機による表土除去作業の様子

「猫の手も借りたい」とは言うけれど、豆柴げんば君がネコ(一輪車)とスコップを持って手伝いに来てくれました。