令和3年度発掘調査情報

前田遺跡まえだいせき

調査終了
調査期間
令和3年4月~
場所
伊達郡川俣町字小綱木字前田
該当時代
縄文時代中期~晩期、奈良・平安時代
調査原因
国道114号(山木屋Ⅰ工区)改良工事

プロジェクト前田

~前田遺跡発掘調査終末期~

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【以下、プロジェクトX風に読んでいただけると雰囲気がでます。】

前田遺跡は、1・2次調査で、木胎漆器や漆塗土器が出土し、非常に難しい調査になることは、わかっていた…

その中で、遺跡調査部は以下のメンバーを招集して、調査を担当させた…

前田遺跡担当課長:K・I

前田遺跡調査班長:T・M

遺跡調査部のエース:S・N

山形県からの助っ人:C・S

伝説の発掘屋:レジェンドS・M

この布陣で第3次前田遺跡発掘調査は、開始された…

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(発掘調査風景)

しかし、やはり前田遺跡は手ごわかった…

次々と現れる柱穴、土坑…

足元には、掘れない土などなかった… すべてが遺構であった…

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(発掘調査風景)

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(発掘調査風景)

柱穴内には、縄文時代晩期の柱が起立していた…

「まさか…縄文時代の木材が残っているなんて…」

その場にいる誰もが目を疑った…

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(重複する木柱)

これら100本を超える柱は、我々の調査を妨げる柵のようにも見えた…

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(木材で固定されている柱)

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(礫が埋め込まれた柱穴)

ある日、エースS・Nの叫び声が…

「こ・これは、頭蓋骨ではないのか!」

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94号土坑出土人骨出土状況)

その後、次々と見つかる縄文人骨…

唖然とする調査員と作業員…

さすがのレジェンドS・Mも立ちすくみ「手に負えない…」とつぶやいた…

重複に重複を重ねる住居跡や土坑、柱穴…

眼前に現れる縄文時代の柱、縄文人骨…

おびただしい量の縄文土器・石器類…

『強烈』である…

誰かが言った…「もう、お手上げだ…」

それを聞いていた班長T・Mは、「まだできる。あきらめるな!俺は信じる!前田遺跡調査班を‼みんなを信じる‼心を燃やせ‼」

と鼓舞し続けた…

前田遺跡調査班員は、その言葉に答えてくれた…

そんな時、各部署から前田遺跡の調査に協力するために、代わるがわる大勢の仲間が集まってくれた…

班長T・Mは嬉しかった… 心の中で嬉し泣きをした…

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(発掘作業風景)

その後も、雨天の中、酷暑の中 前田遺跡調査班員は調査を続けた…

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(竪穴住居跡調査風景)

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(発掘調査風景)

しかし、

前田遺跡の調査の過酷さが、少しずつ調査員の体にダメージを与えていた…

あまりの厳しさにある者は膝を痛め… 

またある者は腰を痛めた…

みんなが疲弊していった…

粛々と進めた調査…

どれだけ時が経ったのか… 

季節の変化にも気づかずに…

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47号住居跡)

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95号土坑出土人骨)

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(ヒスイ製垂飾品)

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164号土器埋設遺構)

季節は、いつの間にか冬になっていた… 

膨大な遺構に加えて、厳しい寒さと雪が調査の手を遅らせた…

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(厳冬期の発掘調査風景)

年末、年を開けても調査は続いた…

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(発掘調査風景)

少しづつでも調査は進展していた…

いつしか…

縄文人の痕跡が認められない層まで、掘り進んでいた…

「終わりが近い…」調査員みんなが確信した…

長い闘いであった…

長い調査であった…

令和3年2月26日、今年度の前田遺跡の調査は終了した…

「本当に終わったんですね…」エースのS・Nは、尋ねた…

「終わったんだよ…終わったんだ…」班長T・Mは、かみしめるように答えた…

唇を固くかみしめ、固く結んだ握りこぶしは天を指していた…

彼らを支えたものは何だったのか…?

 文化財に対する熱い思いなのか…?

 使命感だったのか…?

 町の歴史への誇りと郷土愛だったのか…?

~エピローグ前田~

前田遺跡は今年度の調査は終え、養生されたまま次年度の調査まで静かな時をむかえていた…

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(前田遺跡令和3年度発掘調査区)

すでに…

調査員たちは次年度の準備を進めている…

ある者は、整理作業に向けての作業を行っていた…

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(土器の接合のためのリスト作成)

またある者は、次年度の作業員雇用のための説明会を開いていた…

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彼らに休息などない…

プロジェクト前田を完結するために…

  前田遺跡日記  

  みなさんもすなる日記といふものを、我々もしてみむとて、するなり。  

  ~第1巻  Reスタート 前田遺跡~  

令和3年度の前田遺跡調査班は、山積みの遺物と膨大な図面に囲まれてのスタートとなりました。

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(接合作業が済んだ土器)

4月1日には、人事異動などで前田遺跡調査班に新たなメンバー3名が着任しました。

会津縦貫南発掘調査事業から異動したPCの使い手:KYさん。

昨年度尽力いただいたCSさんと交代で山形から助っ人に来てくれた:М・Aさん。

出戻り2回目、5年ぶりに遺跡調査部に帰ってきた:NKさん。

これに、昨年度のメンバー、KI(前田遺跡担当課長)T・М(前田遺跡調査班長)SN(遺跡調査部のエース)

が加わった6名が、令和3年度メンバーとして、前田遺跡の4次調査と膨大な遺物整理作業に挑みます。前田遺跡での発掘作業は最終年度になります。

今年度の前田遺跡の発掘調査は、工事工程の都合もあってGW後から開始します。それまで作業員の雇用準備を始めとする発掘調査事務や準備、

木製品の写真撮影や記録類の作成などの整理作業に早速着手しました。

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(雇用関連事務作業)

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(木製品の写真撮影作業)

調査員も気力・体力も充実しています。調査までの準備は整いました。

「今年も…さあ、はじめようか 前田遺跡発掘調査を!」

~第2巻  スーパー作業員さん~

令和3年度の前田遺跡調査は、510日に始まりました。例年だと、この時期は表土剝ぎから始まり、徐々に遺構検出作業に移行していくのですが、今年度は違います。現場はすでに穴だらけ。昨年度の最終段階の状況を検出するのが最初の仕事です。ですから、調査風景は、さながら調査最終日の様相を呈しています。

前田遺跡は低湿地遺跡ですので、作業は水との戦いになります。また、地表下約1m以上の深さになった調査区に降りることすら大変です。そこで頼りになるのが、作業員さん。腕利きの大工のように階段や手すり、橋を単管パイプや足場板で器用に造ってくれました。

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(調査風景)

 発掘作業も手慣れたもので、土器をきれいに出してくれたり、写真撮影前の掃除も手早くこなしてくれます。これが、前田遺跡の調査を支えてきたベテランの技です。

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(写真撮影前の清掃作業風景)

 また、今年度は遺物の水洗い・分類作業も並行して行っています。水の取り換えや乾燥、収納など、手間のかかる仕事を手際よくこなしてくれます。調査員は、大変助けられています。今年度もクリ・クルミ・トチノミ・ドングリなどの有機質遺物や塗彩土器など、普通の遺跡ではお目にかかれない低湿地遺跡ならではの遺物が出てきます。土偶も3点見つかりました。作業員さんの中には、考古学をよく勉強している人もいて、調査員にも即答できないような質問をされることもあります。話を聞くと全国の遺跡や博物館を見て回ったり、石器の石材を採取しに行ったり、縄文時代のかごづくりに挑戦したりと、精力的に勉強しているようで頭が下がります。

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(遺物の水洗い・分類作業のようす)

 今年度もあっと驚くような遺物に出会えるか、一同ワクワクしながら仕事をしています。


前田遺跡発掘アラカルト・話のタネ!

 令和3510日に始まった前田遺跡の4次調査も、夏場を迎え、いよいよ佳境に入りました。連日のように続く猛暑の中、現場では縄文時代中期の生活面(約4,5004,800年前)まで調査が進みました。75日には、ドローンを使って遺跡全体の空撮を行いました(写真1)

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写真1 4次調査区遠景(東上空から)

 現地プレハブでは、出土した遺物の水洗い・分類が急ピッチで進められています。土器・石器の他に、低湿地の前田遺跡ならではという遺物が出土しています。今回は、その中から「オニグルミ」を紹介します。

皆さんは、「クルミ」と聞くと、写真2の「信濃クルミ」や「ペルシャグルミ」等の市販されている「西洋クルミ」を思い浮かべるかも知れません。これらは江戸~明治時代に、アメリカ等から輸入された栽培種です。縄文時代に主に食べられていたのは、写真3の「オニグルミ」で、これは日本の固有種です。両者の重要な違いは、殻の内部が中空構造であるのか、ないのかという点です。市販されている「信濃クルミ」には、これがなく、写真2中段のように少しでも大きな実が育つように改良されています。一方、写真3の「オニグルミ」には、殻内部に中空構造があります(写真3中段)。これは、「オニグルミ」が、子孫を残す機会を増やすために、通常の「重力散布(そのまま落下して樹木付近に拡散)」や「運搬散布(リス・ネズミ等の貯食行動による拡散)」に加えて、「水流散布(川に落下して下流で拡散)」という戦略を採用しているからだと言われています。

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写真2 市販の信濃クルミ       

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写真3 出土したオニグルミ

次にクルミを割って、可食部分を取り出す場面を思い浮かべてください。ピョートル・チャイコフスキーが作曲した『くるみ割り人形』は、バレエ音楽としてあまりにも有名ですが、日本の縄文時代には、石の上に「オニグルミ」を縦に置いて、もう一つの石を振り下ろして中の種子「仁(じん)」を取り出したと考えられています。割れていないオニグルミ(写真3上段の左2点)には、4,000年以上前の「仁」がドロドロの状態で残っていることがあります。その成分は、脂質が6070%を占め、炭水化物、たんぱく質も含み、さらにビタミンやミネラルも豊富な食料で、当時としては大変貴重な栄養源でした。

次に前田遺跡から出土した「オニグルミ」は、次の3通りの原因で割れていることが分かりました。

  • 3上段の右2点のように、縫合線に沿って真っ二つに割れたものです。これは「自然半截」と言われ、発芽して割れたものです。
  • 写真3下段の右端1点のように、両側からきれいに穴が空いているものです。これは「動物食痕」と言われ、ネズミ等が食べたものです。
  • 写真3中段4点、写真3下段左2点のように尖った頂部や反対側の底部砕けているものです。これは「人為的破損」と言われ、立てた状態で人が割ったものです。

上記①の「自然半截」は、断面がとても綺麗なハート形をしていて、縄文時代後期の典型的

なハート型土偶の顔面のモデルになった可能性が高いと述べる研究者もいます。土偶を「縄文人が食べていた植物の精霊をかたどったフィギュア」であると主張する人類学者の竹倉史人氏です。この見解には一理あると思いますが、人の手が加えられた③の「人為的破損」による顔つき(写真3中段の4)の方が、人間の「喜怒哀楽」の感情をコミカルに表現しているように思えます。各地から出土したハート形土偶の目や口の位置には、同じものが少なく、バラエティーに富んでいるからです。実際に前田遺跡から出土したハート型土偶(写真4)は右目の表現を欠いています。また、破損が最も進んだ写真3下段の左側2点は、「デスマスク」のようにも見え、ハート形土偶の表情により近いものを感じます。

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写真4 前田遺跡出土のハート形土偶

結論はなかなか出ないと思いますが、こんなことを考えながら仕事をすると楽しくなります。なお、本記事は、

竹倉史人著『土偶を読む-130年間解かれなかった縄文神話の謎-』(2021年・晶文社)と、

千葉敏朗著『シリーズ「遺跡を学ぶ」062 縄文の漆の里-下宅部遺跡-』(2009年・新泉社)を参考に執筆しました。


12月

発掘アラカルト・話のタネ!(2)

 写真1は「ウォーター・フローテーション・セパレーション」と呼ばれる方法で、遺跡からサンプリングした土壌を篩がけして洗い、微細な遺物を採取している様子です。前田遺跡のような湿地性の遺跡では、水分を含んだ泥に守られて、微細な植物の種子や昆虫の遺体等が残っていることが多いのです。そのため、15mm四方の「ふるい」でサンプル土壌を漉します。

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 (写真1) 微細な遺物も見逃さない!

すると、…やはり出てきました何かのタネ!種! (写真2) 細かくて、砂粒のようにも見えますが、手に取ると、確かに植物の種です。トチノミやクリの薄い皮等は、我々にも識別できますが、写真2のような細かい種は、専門家に見てもらわなければ、よくわかりません。その結果によっては植生など、当時の遺跡を取り巻く自然環境を知ることができます。

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(写真2) この種、何の種?気になる種!


難攻不落の前田遺跡、ついに、調査終了!

 その日、前田遺跡の上空は、爽やかな秋空とは違い、どんよりと曇っていました。その湿った空気を切り裂くように、空中写真撮影のドローンが「キュ~ン!」という軽いモーター音を残して、舞い上がりました(写真1)916日、今年度2回目の空撮です。今では、発掘調査の終了が間近いことを知らせる風物詩となっています。

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 (写真1) 空高く舞い上がるドローン

ところで、5年程前までは、空撮の主力は、産業用のラジコンヘリコプターでした。「バリ!バリ!バリ!バリッ!」という力強いエンジン音を響かせながら、遺跡の上空を旋回し、その最後の姿をカメラにおさめていました。その前は、水素を満タンにした小型バルーンが使われていました。秋の空は風向きが変わりやすいため、バルーンの方向を安定させるために、ロープでつながれた地上では、ロープをもつ人が右往左往しながら強風と格闘し、数少ないタイミングを逃さずに撮影していました。現代風のカッコよさも、優雅さもありませんでしたが、確かな職人技に支えられていた時代でした。30年程前の話です。

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 (写真2) 空から見た前田遺跡

 前田遺跡の姿を西上空から撮影したのが(写真2)です。本線部分のトンネル工事が進み、遺跡のすぐ東側まで、工事の手が迫ってきています。引き渡しと同時に、遺跡(写真中央の土の部分)はあっという間に埋め尽くされるでしょう。この写真が象徴するように、現在の発掘調査は、工事計画期間の中に、すっぽりと、組み込まれてしまっています。

 さて、発掘調査が終わると、今度は膨大な遺物、図面、写真等を整理して『遺跡発掘調査報告書』を作らなければなりません。前田遺跡の場合は、整理期間も複数年に及び、報告書の刊行は、数年先になる見込みです。その報告書のボリュームは、かなりの質量となるでしょう。その間、人事異動でメンバーが入れ替わったり、調査に携わった職員が退職したりと、人の動きもあります。また、近年頻発する自然災害やコロナ禍等、不慮の事態が待ち受けていないとも限りません。

発掘調査と同様に、整理作業も順調に進むばかりとは言えませんが、本当の勝負はこれからとも言えるでしょう。

前田遺跡調査班の困難は、まだ続くのか…

整理編へつづく…


石器の実測

 写真の調査員が取り組んでいるのは、石器の実測図作成です。報告書に掲載する石器の形や色合い、触感などを伝えるには写真で事足りますが、それだけでは資料として活用するには不十分です。1点ずつ直接目で見て、石の割り方、割り方の順序などを判断して、1枚の図面に仕上げます。写真だけでは表現できない重要な情報を図面では示すことができます。石器のような小さい遺物は、上から見た状態で正面・背面・側面・断面を決まった位置に展開して、デバイダーや三角定規などを使って計ります。石器に限らず、実測図には表現の方法(展開方法・線の太さ・記号など)に決まりがあります。それらは必ずしも厳密に統一されているわけではありませんが、読者の大多数が理解できる図面に仕上げていきます。また、調査員に個性があるように、実測図にも個性が現れます。最近は、デジタル技術が進歩して、写真計測も普及していますが、個人的には実際に計るアナログな実測の方が、人間味があって面白いと思います。

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石器の実測中です