令和3年度発掘調査情報

栗林遺跡くりばやしいせき

調査中
調査期間
令和3年4月~
場所
南会津郡下郷町大字中妻和田前
該当時代
縄文時代中期~後期
調査原因
会津縦貫南道路の建設

栗林遺跡は、下郷町役場の北東約2㎞の中妻地区に位置する遺跡で、阿賀川右岸の河岸段丘上に立地しています。1~4次までの発掘調査で、縄文時代中期中葉~後期初頭(約5,0004,000年前)にかけての集落跡が確認されました。今年度は、4次調査までで発掘調査に着手できていなかった部分の調査を実施します。

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写真1 4次調査時の空撮写真 

北西から撮影した写真です。北西側の阿賀川の段丘崖に向かいなだらかに傾斜する地形で、南東側には山が控えています。赤く表示した部分が令和3年度(5次調査)の調査範囲です。

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写真2 5次調査区

黄色で示した部分は4次調査までの調査区で、大きな丸が竪穴住居跡を表しています。赤色で示した県道部分と三角形の部分が5次調査の範囲ですが、竪穴住居跡が密集する集落跡の中心部分であることがわかり、今年度の調査も多くの遺構・遺物が見つかることが予想されます。

4月

春の遅い南会津で、雪も消えた4月後半。

いよいよ、栗林遺跡の発掘調査再開です。

まずは、三角形部分に残る近現代の表土を重機で注意深く取り去ります。

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写真3 表土を取り去っている状況

土器や石器、縄文時代の構築物の一部と考えられる石が露出し始めたら、人手で丁寧に掘り下げていきます。すると、子どものお墓と考えられている大型の土器を横倒しに埋めた「土器埋設遺構」や長さ1040㎝ほどの河原石や石皿などを並べて作られた「配石遺構」が次々に見つかりました。出土する土器の特徴から、これらの遺構は縄文時代後期初頭(約4,500年前)のものと考えられます。

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写真4 次々に見つかる縄文時代の遺構

写真5 縄文時代後期の遺構群北西から.JPG

写真5 三角形の部分で検出された縄文時代後期初頭の遺構群

写真6 土器埋設遺構(SM103).jpg

写真6 土器埋設遺構(103号土器埋設遺構)

写真7 配石遺構 (SS20).jpg

写真7 配石遺構(22号配石遺構)

昨年度の調査で表土が取りさられていた県道部分でも、土器埋設遺構をはじめとする複数の遺構が見つかっています。

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写真8 土器の周りの暗い色の土を掘っていくと

写真9 土器埋設遺構(SM110).jpg

写真9 三角部分の土器埋設遺構よりも少し古い時期の土器埋設遺構でした(110号土器埋設遺構)

5月

何処にもでかけられないゴールデンウィークで、月の3分の1が終わってしまった5月。

栗林遺跡の発掘現場では、6月中旬の部分引き渡しにむけて、三角形部分の調査を急ピッチで進めました。

4月に次々検出された縄文時代後期初頭(約4,500年前)の「土器埋設遺構」や「配石遺構」の調査が順次終了し、調査の主体はその下から検出された竪穴住居跡の調査に移行しています。

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写真10 三角形部分での調査状況 

左端の薄ぼんやり暗い部分が、竪穴住居跡。左奥のブルーシートが県道部分の調査区。

検出された竪穴住居跡は、出土した土器の特徴から縄文時代中期末葉頃(約4,600年前)のものと考えられます。この時期の竪穴住居跡は、複式炉と呼んでいる石や土器を使った凝った作りの炉(囲炉裏)をもつのが特徴です。また、三角形部分で縄文時代中期末葉の墓と考えられる土坑、県道部分で縄文時代中期中葉(約5,000年前)の貯蔵穴と考えられる土坑が見つかっています。

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写真11 縄文時代中期末葉の竪穴住居跡(97号住居跡)

三角形部分で検出された住居跡で、中央の炉を囲むように柱穴が巡ります。

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写真12 97号住居跡の炉(複式炉)

「複式炉(ふくしきろ)」は、縄文時代中期後葉の東北地方南部から北陸地方東部を中心に流行した炉の形態で、土器埋設部(写真右側)、石組部(写真中央)、前庭部(写真左側)の3つの部分で構成されるものが典型的なものです。栗林遺跡の過去の調査でも多くの住居跡でこの形態の炉が確認されています。この炉では、土器埋設部に東北地方南部の大木10式の土器が使用されていました。

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写真13 縄文時代中期末葉の竪穴住居跡(98号住居跡)

97号住居跡に隣接する住居跡です。こちらの住居跡では、床面の中央付近に複式炉が設置されており、炉の軸線上の下側に板石で蓋をした土器埋設遺構があります。

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写真14 98号住居跡の炉(複式炉)

 写真では見えませんが、炉奥の石を四角く配置した石囲部分には、土器が埋設されていました。また石組部に相当する手前部分の石がありません。このような典型例とは異なる形の複式炉が多いのも栗林遺跡の特徴のようです。

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写真15 98号住居跡の土器埋設遺構

 2個体の土器を入子状に埋設し、その上に板石をおいて蓋をしています。出土した土器はいずれも関東系の深鉢(加曾利E式系)を用いています。

 住居入口部の埋設土器は、乳幼児の遺体を納めたのではないかとされており、調査でも骨片などの微細なものを探すため、土器内の土を採取しました。

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写真16 縄文時代中期末葉の竪穴住居跡(100号住居跡)

 こちらは、県道部分で検出された土器埋設石囲炉と敷石をもつ住居跡です。

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写真17 100号住居跡の炉(土器埋設石囲炉)と敷石

 板石を楕円形に並べ、内側に加曾利EⅣ式の深鉢を埋め込んで炉としています。炉の縁石に接するように、大きな板石をL字形に配置しています。

 次に墓と考えられる土坑を見ていきましょう。

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写真18 墓と考えられる縄文時代中期末葉の土坑(500号土坑)

 後世の落し穴(写真中央右側の長方形の土坑)に壊されているため、全体の形状はうかがえませんが、楕円形をした土坑と考えられます。

 注目されるのは、対称の位置に向きをそろえて置かれたような状態で出土した縄文土器の突起部分の破片及び、それらとほぼ等距離の位置に伏せ置かれた土器の底部と石皿(蜂の巣石)です。

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写真19 500号土坑遺物出土状況(北東から)

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写真20 500号土坑遺物出土状況(南から)

 いずれの遺物も土坑底面からは、1020㎝程度浮いた位置で出土しています。対になる突起部分の破片は、大木10式の口縁部が波状をした大形深鉢の波頂部に付いていたと考えられるもので、二本松市田地ヶ岡遺跡出土資料が参考になります(ただし、田地ヶ岡資料は小形品で突起は1つのみです。)。1個体の土器の突起部分のみを折り取り、突起のくぼんだ部分が斜め上を向くようにほぼ同じ角度と同じ向きに配置されていました。土器の突起部分を折り取り墓に供えるという象徴的な儀礼行為が推定できる興味深い事例です。

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写真21 田地ケ岡遺跡出土深鉢

(福島県教育委員会1975『東北新幹線遺跡調査報告』より転載)

また、このような遺物の配置は、突起の間に頭部、土器底部及び石皿の下に胸がある葬られ方を想起させます。

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写真22 500号土坑の被葬者のイメージ

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写真23 貯蔵穴と考えられる縄文時代中期中葉の土坑(453号土坑)

 入口が狭く、底が広い形状から、フラスコ状土坑と呼ばれる土坑です。このような土坑が複数見つかっています。詳細は、次回お知らせします。


6月

4月、5月は、国道工事側への部分引き渡しのため、急ぎの調査となった三角形部分の調査区を中心に「発掘調査情報」を紹介してまいりましたが、6月は、細々と調査を継続していた県道部分(三角形部分の北東側)の調査区を中心に紹介します。

県道部分の調査区では、三角形部分の調査区で検出されている縄文時代中期後葉~末葉(約4,6004,800年前)の竪穴住居跡の他に、フラスコ状土坑と呼ばれる縄文時代中期中葉(約5,000年前)の貯蔵穴が多数見つかりました。

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写真24 県道部分の調査区調査の様子

北東側から撮影しています。乾燥防止のブルーシートを挟んで奥側が三角形部分の調査区です。

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写真25 立石(30号配石遺構)検出状況

縄文時代中期末葉頃のものと推定される細長い石を立てたモニュメント的な遺構です。石の周囲が黒っぽくなっており、大きな穴の存在がうかがわれました。

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写真26 立石(30号配石遺構)の掘形断面

黒っぽい部分を半分に割ってみると、立石を設置するための穴は、やや明るい土で埋められた小さな範囲で、この遺構の下に大きくて深い穴があることがわかりました。

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写真27 フラスコ状土坑(460号土坑)の検出状況

中央の小さい穴が立石(30号配石遺構)の掘形。フラスコ状土坑は、入口よりも底の面積が広く、断面形がフラスコのような形をした大型の土坑です。食品などを貯蔵していたものと考えられています。栗林遺跡では、縄文時代中期中葉のものが複数見つかっており、460号土坑もこの時期のものです。

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写真28 フラスコ状土坑(460号土坑)の断面

堆積土を観察するため、半分だけ掘った状況です。

この土坑では、堆積土の上面に新しい時期の掘り込みがあり、大きな石が縦に落とし込まれていました。お墓などに再利用したのでしょうか?

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写真29 フラスコ状土坑(460号土坑)底面近くの土器出土状況

 底面近くのオーバーハングした壁沿いに、複数個体の土器がバラバラの状態で出土しました。土器はすべて縄文時代中期中葉(大木8a式土器)のものです。

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写真30 フラスコ状土坑(474号土坑)と重複する土器埋設遺構(115号土器埋設遺構)

 縄文時代中期中葉のフラスコ状土坑の上に縄文時代中期後葉の土器埋設遺構が作られています。

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写真31 縄文時代中期末葉の竪穴住居跡(100号住居跡)の下から検出された縄文時代中期中葉のフラスコ状土坑群

 土が柔らかいためか、栗林遺跡では、フラスコ状土坑の上に新しい時期の遺構が作られるケースが目立ちます。写真は竪穴住居跡の下から近接して4つのフラスコ状土坑がみつかりました。

三角形部分の調査区では、引き続き縄文時代中期後葉~末葉の竪穴住居跡の調査が進められました。

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写真32 三角形部分の調査区作業風景(南西から)

写真奥が県道部分の調査区。

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写真33 竪穴住居跡(98号住居跡)入口付近の土器埋設遺構

5月の発掘調査情報で紹介した98号住居跡の入口付近の板石を取り除いた状況です。

縄文時代中期末葉の関東系の土器が入れ子状になっているのがわかります。

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写真34 縄文時代中期後葉の竪穴住居跡(38号住居跡)遺物出土状況

住居跡の中央付近に多くの土器や石器が廃棄された状態でみつかりました。

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写真35 縄文時代中期後葉の竪穴住居跡(38号住居跡)全景

 遺物を取り上げると、立派な複式炉を持つ竪穴住居跡であることがわかりました。入口部分には、98号土坑と同じように板石が設置されています。

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写真36 36号住居跡壁際の土器埋設遺構

壁沿いをめぐる壁周溝に接して、縄文時代中期末葉の土器埋設遺構がみつかりました。

来月は現地公開の模様も含めて三角形部分の調査区の調査状況を中心に紹介する予定です。