調査研究コラム

#036 「あたりまえ」ってなんだろう?―中根館跡の場合― 山岸 英夫

1、はじめに

 中根館跡は、福島県石川郡平田村大字上蓬田字中根に所在する遺跡である。地域高規格道路「福島空港・あぶくま南道路」建設に関連して、平成14年に発掘調査が実施され、その成果は、福島県文化財調査発掘報告書第416集「福島空港・あぶくま南道路発掘調査報告17」として公表されている。

 そもそも「中根館跡」という遺跡名からすれば、「あたりまえ」に中世城館跡を思い浮かべてしまうが、歴史的背景と立地、調査で判明した構造的特徴から、近世末の戊辰戦争期に築造された防塁跡と想定した。

 今回のコラムでは、私が「あたりまえ」と考えている中世城館跡の条件を簡単にまとめると共に「中根館跡」と比較してみたい。

2、「中根館跡」は中世城館跡ではない

 一般的な山地や丘陵に構築される城館跡は、最高所付近や端部に堀跡・土塁等の防御遺構に区画されたエリアが独立して存在するのが「あたりまえ」。そもそも単独でもある程度の防御ができるように、最初に構築されるのがこの中心的エリアで、これを完成させることによって、小規模でも城館としての機能が整うことになるからである。

 そして最も重要なポイントは、堀跡の有無。城館構築主体の経済規模や好みによって、堀の規模・場所は異なるものの、堀を掘る労働力だけで事足りる、専門職の必要のない、手っ取り早く、効率的に築造できる防御遺構だからである。したがって、城館跡に堀があるのが「あたりまえ」。

 以上の2点が、私が「あたりまえ」と考えている中世城館跡の条件である。もっと簡単に言うならば、中心的エリアや城館跡範囲の区画、進入路にあたる位置等のどこかに堀跡が存在するのが城館跡である。それでは、この条件に「中根館跡」は合致するであろうか。

 「中根館跡」は、南北に長い半島状の丘陵上に所在する。丘陵の東・西側は河川によって開析された低地で、丘陵頂部と低地の比高差は25mある。

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図1 中根館跡位置図

地表で確認できる遺構は土塁のみで、丘陵の中央頂部付近から南へ向かう緩斜面上の南北400m、東西200mの範囲に断続的に残されている。これら土塁は、とぎれとぎれに配置され、いずれも高さ・規模がまちまちで、一見して規則性が認められない。

 まず、「中根館跡」には独立した中心エリアがないのである。本来、中心エリアと想定される最高所付近は、ほぼ平坦な自然地形そのままで、わずかな土塁が配置されているに過ぎない。そして、城館跡範囲を区画する堀跡がどこにもない。南へ向かう緩斜面上には、多くの土塁が配置されているが、ここにもまったく堀跡がない。城館跡によく見られる、堀を掘った土で土塁を築く「あたりまえ」の関係がどこにもないのである。

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図2 中根館跡縄張図

そもそも中世城館跡は、中心エリアの防御性をさらに高めるために、周囲に郭(曲輪)・平場といったエリアやエリアを防御するために土塁・堀等を配置している。これに対して「中根館跡」では、地形に沿って南北方向に高さ・規模もまちまちな土塁を配置し、その結果として不整形なエリア状の空間が作り出されている。

 もともと構築のコンセプトが違うのである。言い方を変えれば、中世城館跡は性格の異なったエリアを構築しているのに対し、「中根館跡」では防御のための土塁をライン状に築造しているだけなのである。

 したがって、「中根館跡」は中世城館ではない、と断定できる。

【挿図出典】

図1…Google マップより転載・一部加筆。

図2…福島県教育委員会2004「中根館跡」『福島空港・あぶくま南道路遺跡発掘調査報告17』より転載。