調査研究コラム

#053 行合道B遺跡の木炭窯について  中野 幸大

1.はじめに
2.遺跡概要
3.木炭窯跡
4.福島県内の行合道型木炭窯の類例
5.古代から中世にかけての木炭窯
6.木炭焼成土坑との関連について
7.まとめ

1.はじめに

 遺跡調査部に配属になって最初に調査したのが伊達市霊山町に位置する行合道B遺跡である。4年ぶりの発掘調査ということもあり、思うようには調査できなかったものの、同僚や上司の指導のもと、なんとか調査を終えることができた。今でも国道115号線を通るたびに日々の調査を支えてくれた作業員さんや財団間派遣で来ていただいた各都道府県の調査員の方達とわいわい調査した時間を思い出す。自分にとって素晴らしい時間の一つであった。

 行合道B遺跡では、木炭窯跡が4基検出された。調査当初から時期も不明で、人によっては新しいと言われ、または古いとも言われ調査後もはっきりしないまま時が過ぎた。今更だが、あの木炭窯はいつの時代のものであり、どのような系譜の中で発生したのかを考えることがある。専門外であり考えてもあまり意味はないと思っているが、ずっと気になっていた。ここでは、報告書の内容を軸にその得体のしれない木炭窯跡について少しだけ書いてみたいと思う。

2.遺跡の概要

 行合道B遺跡は、伊達市霊山町大字石田字川向に所在し、南側に30mには、一般国道115号が東西方向に縦走している。遺跡は、南北朝時代に陸奥国府が置かれた霊山からは、南麓に位置し、石田川の南側斜面部に立置している。遺跡の標高は423~435mである。

 調査は、一般国道115号相馬福島道路の建設に先立ち、工区内の1900㎡について記録保存が必要となり、平成25年4月~7月にかけて福島県教育委員会から委託を受けた福島県文化振興財団遺跡調査部が発掘調査を実施した。本調査に先立ち行われた試掘調査では、古墳時代後期の甕が出土していることから、その時期の遺構が確認されると思われたが、予想に反して時期不明の木炭窯跡4基やその関連遺構が密集して分布していることが分かり、さらに平安時代の竪穴住居跡1軒も検出された。

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図1 行合道B遺跡遺構配置図(報告書 図2)

3.木炭窯跡

①木炭窯跡の構造
 遺跡から検出された木炭窯跡は、大きく煙出部、排煙口の石組部、焼成室、焚口部、前庭部に分かれ、作業場を伴うものも見られた。ここでは、最も残りの良かった1号木炭窯跡を中心にみていくこととする。木炭窯跡の特徴は、①焼成室の形態が円形もしくは横に主軸をもつ楕円形であること。②煙出部が溝状に張出し、40~60°の傾斜で立ち上がること。④排煙口に石組構造をもつこと。⑤前庭部や作業場を持つこと。以上が挙げられる。ここでは、このような木炭窯跡を仮に行合道型木炭窯と呼ぶことにする。

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図2 木炭窯跡の構造(報告書 図8に一部加筆)

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排煙部の石組部

②木炭窯跡の属性
【焼成室】東西に主軸を持つ楕円形ないし円形をしている。特に卵を横にしたような横長の楕円形が特徴的である。規模は、1号木炭窯跡で、東西2.92m、南北2.10mを測る。焼成室は、地山を素掘りしたままで、壁面に石組などはしていない。断面の状況から天井部までの高さを推測すると1.5~1.6m前後と考えている。床面の構造は、平坦に作られているが、排煙口側が高く、焚口側に向かって緩く傾斜しているものや焚口側が高く、排煙口側に向かって緩く傾斜しているものもみられた。また、1号木炭窯跡の中央からは、溝が検出されている。この溝は、操業していない時期に煙出部から流入する雨水などを処理するために造られたものと考えている。堆積土は、地山の崩落層と窯壁片を含む天井崩落土を確認している。また、2号木炭窯跡においては、壁面の最大残存高が1.5mを測ることや一部奥壁側の上部がドーム状になることから、本遺跡で検出された木炭窯跡は、斜面地を利用した地下式構造と判断している。ただし、1・3・4号木炭窯跡においては、これまで半地下式木炭窯跡とされているものに形状が近く、残存している壁面の高さが1m未満であることなどから、半地下式の可能性も否定できない。今後の検討課題の一つである。

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図3 1号木炭窯跡

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焚口部と焼成室内溝跡(報告書 写真10より)

【焚口部】焚口は、北壁中央に位置する。3号木炭窯跡の場合、西壁側には30×25㎝、東壁側には50×25㎝程の花崗岩の角礫が据えられていた。

【排煙口の石組】排煙口の石組部は、本遺跡木炭窯跡の大きな特徴の一つである。1号木炭窯跡の石組は、10段程残っていた。表土剥ぎにおける樹木の抜根等によって一部失われたものもあり、石組はさらに数段程積み上げられていたものと考えられる。

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図4 排煙口の石組 (左)1号木炭窯跡

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4号木炭窯跡 (報告書 写真10・16より)

【煙出部】煙出部の大きな特徴としては、斜面上部側への溝状に張り出す構造である。1号木炭窯跡の煙出部の長さは、2.36m、幅30㎝を測る。煙出部は、排煙口側から50㎝程が焼成室から平坦に作られ、底面の角度は60°の勾配で立ち上がり、その先は、40°の勾配で立ち上がる。1号木炭窯跡では造り変えの痕跡も確認できた。

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図5 1号木炭窯跡煙出部

(報告書 写真10より)

【前庭部】前庭部は、1~3号木炭窯跡で検出されている。平面形態が焚口側から外側へ開く構造をしている。1号木炭窯跡の前庭部の長さは、1.6m、幅1.5m、壁高は、30㎝を測る。焚口側を上に約20°で傾斜している。

【作業場】前庭部より一段下がった部分に付属する平坦面を作業場と捉えた。木炭窯で焼成した木炭を取り出す際に、製品を荷積めしたり、製品以外の屑を掻き出した際の空間と考えている。1号木炭窯跡からは、7号木炭窯跡を埋め戻して平坦面を作り出し、土層の確認から2層の木炭の掻き出し層と木炭層に挟まれた整地層が確認できた。整地層を作業面ととらえ、新しい作業面をA面とし、古い作業面をB面とした。A面は、東西に主軸を持つ隅丸長方形をしている。規模は、東西が4.1m、南北が1.5mを測る。北側の一部を遺構検出時に、取り払ってしまったため、本来は北側へさらに広がるものと考えられる。B面は、東西に長い楕円形をしている。規模は、東西が4.3m、南北が3.0mを測る。7号木炭窯跡の堆積土上を掘り整えて平坦面を形成する。底面はおおむね平坦に造られていたが、これは木炭を掻き出すためと考えられる。2号木炭窯跡の作業場は、3号木炭窯を埋めて、前庭部から段を持たずに平坦面を作っていた。

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図6 1号木炭窯跡作業場断割状況

(報告書 写真20より)

③製作途中木炭窯跡
 製作途中の木炭窯跡は、4基確認された。いずれも楕円形の形態で、木炭窯跡を構築しようとして、途中で構築をやめているようである。このことは、基盤層であるLⅤの状況に左右されるようで、5・7・8号木炭窯跡の土層は、粘性に乏しく、50㎝以上の花崗岩の角礫を多く含む土層であるため、掘削を始めて、整形をする段階で構築を停止したものと考えられる。6号木炭窯跡については、整形をある程度進めて、壁面や底面を掘り整えて、底面中央部に溝を掘り、煙道を構築する直前で構築を止めている。また、製炭に成功している、1・3・4号木炭窯跡は、LⅤにやや粘性があることから、微妙な地質差が影響したものと推測している。なお、近代に福島県で多く造られた、いわゆる大竹式木炭窯の教科書にあたる『大竹式製炭法』の中にも、窯を造る場所に対するいくつかの注意点が列挙されており、選地の難しさが記載されている。本遺跡で製炭を行った人達も、掘り込みを行いながら試行錯誤した状況が窺われる。

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図7 6号木炭窯跡

(報告書 写真18より)

④遺構の年代
 遺構からは、年代を決定づけるような遺物は出土していない。そのため、出土した木炭の放射性年代測定を行った。その結果、1号木炭窯跡は、320~360±20 yrBP。3号木炭窯跡は、300~350±20 yrBP。4号木炭窯跡は、280~370±20yrBPである。暦年較正の結果は、16世紀後半~17世紀前半頃であり、室町時代から江戸時代の初期頃の時代幅に収まるものと判断している(※ yrBPは1950年より何年前を示す単位)。

⑤出土した木炭の樹種
 木炭窯跡から出土した樹種は、樹種同定分析を実施したところ、1号木炭窯跡がモミ属、3号木炭窯跡がクリ、4号木炭窯跡がブナ属との結果が得られている。3基の木炭窯跡それぞれに異なる分析結果が得られており、いずれも現在の行合道B遺跡周辺に見られる樹種である。木炭窯跡ごとに樹種が異なることから、樹種を分けて焼成していた可能性もあるが、分析数も少ないことから断言できない。ただし、特定の樹種に偏らず、遺跡周辺の樹木を焼成していたようである。

4.福島県内の行合道型木炭窯の類例

福島県内において、本遺跡と同様な構造を持つ木炭窯跡は、代表的なものだと南相馬市中山C遺跡1号木炭窯跡、平田村煙石F遺跡1号木炭窯跡があげられる『図8-①・②』。最近だと伊達市霊山町庚申向A遺跡においても同様な木炭窯跡が検出されている。いずれも年代測定の結果、15世紀~17世紀前半とされている。構造については、中山C遺跡1号木炭窯跡も煙石F遺跡1号木炭窯跡も焼成室が横に長い楕円形をしており、焼成室の規模は、煙石F遺跡は幅が3.29m、奥行が2.06mである。中山C遺跡は幅が4.00m、奥行が2.60mである。

 本遺跡最大の1号木炭窯跡の幅が2.92m、奥行きが2.10mであることから、本遺跡の方がやや小ぶりである。煙道においては、煙石F遺跡では、桁石と掛石が遺存し、煙出部は垂直に立ち上がっている。中山C遺跡のものは桁石のみが残存し、煙出部は37°の勾配で傾斜しながら立ち上がっている。両遺跡とも石組部は見られないが、重複関係を考慮すると壊されている可能性も考えられ、本遺跡の形態に近いと言えそうである。また、行合道B遺跡より東に4㎞ほどの場所に位置する庚申向A遺跡からは、同構造の木炭窯跡が検出されている(図8-④・⑤)。年代測定が行われ、値も15~17世紀とされる。規模や煙出部の角度、石組部など、行合道型の典型的な木炭窯といえそうである。 

 この他にも福島県内で同様な構造の木炭窯跡は、須賀川市関林D遺跡1号木炭窯跡、同市関林G遺跡1号木炭窯跡、南相馬市西内遺跡1号木炭窯跡(図8-⑧)、同市菖蒲沢遺跡1号木炭窯跡(図8-⑥)などが挙げられる。いずれも時期不明か近世以降と報告書に記載されている。これらは、山間部に単発で存在する木炭窯跡であるが、本遺跡で検出された木炭窯跡の系譜を引く木炭窯跡であり、近代の定形的な木炭窯跡が成立する以前に使われていた可能性が考えられる。

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図8 福島県における行合道型木炭窯の類例

5. 古代から中世にかけての木炭窯

 いわゆる古代の穴窯式の木炭窯跡の系譜を引くとされる木炭窯跡は、宮城県や新潟県の製鉄関連遺跡や須恵器窯などに伴って検出されている。宮城県石巻市水沼窯跡や利府町大貝窯跡群からは、焼成室に特異な副室構造を持つ地下式の木炭窯跡が調査されている。年代的には、水沼窯跡が12世紀前半に、大貝窯跡は、上限を13世紀後半と位置付けられている。構造においては、燃焼室の構造など大きく異なるが、煙出部の桁石や掛石の構造や前庭部や作業場などは、本遺跡の構造に共通点も認められる。また、双葉郡浪江町朴迫D遺跡からは、煙出部に特異な石組部を持つ木炭窯跡が確認されている。周辺の遺構の状況などから平安時代(9世紀)の木炭窯跡とされているが、放射性年代測定においては12世紀の年代が示されており気になる存在である。これらの系統のものが古代に発生し、古代の終わりから中世にかけて、数段階の変化を遂げたのちに行合道型木炭窯へと発展していくのではと推測しているが、いかんせん資料が乏しく明確にできないでいる。阿武隈高地周辺に行合道型木炭窯の祖形となる何らかの穴窯が存在するのか、または他地域より新しく中世に入ってから技術が伝えられこの地域で発展していくかは、今後明らかにしていかなければならない課題である。近年の調査において、新地町南狼沢A遺跡のように古代の製鉄遺跡に後続すると考えられる中世初頭の製鉄炉が調査されている。そこからは、大型の木炭焼成土坑が検出されている。木炭窯跡は検出されなかったが、今後同様な遺跡が調査され、プレ行合道型木炭窯跡が調査されることを期待している。

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図9 平安時代~中世頃の木炭窯跡(朴廹D遺跡報告書 図15、水沼窯跡報告書 図15より転載)

6.木炭焼成土坑との関連について

 福島県内では、古代以降の製炭窯として木炭焼土坑が複数確認されている。代表的な遺跡については、玉川村青井沢J遺跡の報告書で福島県内の集成が行われている。それを参考にするとおおよそ焼成土坑の年代は、中世前半期の12~13世紀のものが多いとされる。また、年代の下限においては、青井沢J遺跡2号木炭窯跡の年代が16世紀後半から17世紀前半の年代値が示されていることから、中世全般から近世の初めころまでは存続することが推測される。

 おそらくは、中世の製炭方法は、大型の木炭焼成土坑と行合道型を含めた地下式および半地下式の木炭窯跡が併存していたのであろう。開放型の大型木炭焼成土坑にする場合と行合道型の木炭窯への選択は、興味深いところである。

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図10 木炭焼成土坑

(青井沢J遺跡報告書図12より転載)

6.まとめ

 これまで行合道型木炭窯について述べてきたが、多数の検討課題が存在する。今後も資料増加を睨みながら、しぶとく検討を続けていきたいと思う。ここでは、これらの木炭窯の問題点と今後の課題を列挙してまとめとしたい。
① 時間軸・時間幅の問題  ② 古代末から中世の木炭窯跡との系統的な関連
③ 近世木炭窯への変遷過程 ④ 福島県外の同時期、類似形態の木炭窯跡との関連
⑤ 中世の瓦・陶器・かわらけ窯との関連について ⑥ 木炭焼成土坑との関連

引用・参考文献】
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