調査研究コラム

#090 霊山山頂採集のコカ・コーラ瓶について 佐藤 俊

1.はじめに

 史跡及び名勝の「霊山」1)は、福島県伊達市霊山石田と相馬市玉野周辺に所在する。阿武隈高地の北部に位置し、標高825ⅿの低山ながら火山角礫岩の露頭した急崖の連なりは東北随一の秀峰として名高く、最高所の東物見岩からは、太平洋・仙台平野・牡鹿半島が、北側の紫明峰からは、信達盆地・安達太良連峰・吾妻連峰を遠望することができる。山上にはコナラ、アカマツ、ツツジなどが自生し、1948年には福島県立自然公園に指定され、紅葉の時節には多く登山客で賑わっている。
 霊山は、貞観元年(859)に慈覚大師円仁により南岳山山王院霊山寺が開かれたことに始まる。中世では南北朝期における動乱の舞台として知られ、延元二年(1337)には北畠顕家が義良親王を奉じ霊山城に拠り多賀城から陸奥国府を移したとされている(今野2013)。上述した文献の記載を裏付けるように、霊山山頂には複数の平場群や建物の礎石が認められ、古代・中世の遺物が採集されている(梅宮1979)。
 このように自然と歴史ゆたかな霊山だが、登山道を外れると1960年代から1970年代にかけて捨てられたとみられるガラス瓶や空き缶が多く散見される(写真1)。本稿では、筆者が霊山山頂で表面採集したコカ・コーラのガラス瓶について紹介し、その年代、投棄された背景について若干の考察を加えていきたい。
 近現代のガラス瓶を考古資料として取り扱うことに対し、批判的な風潮があるかもしれない。しかし、考古学という学問が時間経過により亡失した人類の文化や行動の痕跡を研究対象としている以上、研究領域の拡大や分野の多様化の是非について議論する余地はなく、ましてや近現代考古学研究の有効性については桜井準也がすでに指摘しているとおりである(桜井2004)2)。

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 写真1 霊山山頂の現況


 近年、福島県内で近現代の遺構・遺物を対象とした発掘調査例も増加しており、往時の知られざる文化や生活の具体像を明らかにするなど成果を挙げている。会津若松市若松城三ノ丸濠跡では、陸軍歩兵第29・65連隊が投棄した大量の軍用食器などが報告されている(藤原2017)。白河市谷津川流域水車跡群の発掘調査では、江戸時代後期から昭和時代の具体的な水車構造が判明し、往時の陶磁器やガラス瓶が報告されている(石井2003)。相馬市軽井沢遺跡では、日本陸軍が太平洋沿岸部の対空警戒のために建設したレーダー基地が確認され、碍子や鉄釘のほかに「四式電波警戒機」の銘板が出土している(福島県教育委員会2015)。太平洋戦争末期のレーダー機基地の立地や具体的な施設配置を復元できる稀有な調査例となった。また、双葉町後迫B遺跡では、日中戦争勃発により開催権を返上した1940年東京オリンピックの記念盃が採集され、戦前の双葉郡におけるオリンピック開催への期待感を伺わせる資料が報告されている(佐藤2021)。

2.表面採集したコカ・コーラ瓶について

 霊山山頂でコカ・コーラのガラス瓶3点を採集した(写真2~4)。採集位置は霊山城跡南東側の緩やかな斜面上で、現況は笹薮である。霊山城跡の平場で飲食後に見通しの悪い笹薮に投棄したものと推測される。
 No.1(写真2~4)は色調が淡緑色半透明のいわゆる「グリーンボトル」である。正面と裏面には陽刻による「コカ・コーラ」のロゴマークと「TRADEMARK」の文字が認められる。正面下部には、「45(記号)51」の陽刻も認められる。桜井分類のコカ・コーラⅢa式2類に相当する。No.1は日本初の国産コカ・コーラで太平洋戦争終結後、占領軍米兵やその関係者のみ販売・消費されたものである(桜井2019)。

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写真2 採集されたコーラ瓶(1)

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写真3 採集されたコーラ瓶(2)

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 写真4 採集されたコーラ瓶(3)

 霊山と占領軍米兵について、関連性が無いように思えるが、霊山紫明峰頂上には占領軍の指示により、無線中継基地が築かれたとされ、米兵が実際に警備していたとの証言もある(菅野2009)。現在でも紫明峰では、無線中継基地の基礎や暖炉跡が確認できる(写真5)。異国の史跡を眺めながらコーラを飲んだ米兵がいたことを伺わせる資料である。
 No.2(写真2~4)は正面にACL印刷でカタカナ表記の「コカ・コーラ」に、「登録商標」の陽刻が認められる。裏面にはACL印刷で「コカ・コーラ」のロゴマークと「TRADE MARK REGISTERED」の陽刻が認められる。正面下部には、「190ML.入」の陽刻が認められる。桜井分類のコカ・コーラⅢb式1類に相当し、1962年〜1964年頃に生産・消費されたものである(桜井2019)。
 No.3(写真2~4)は正面にACL印刷でカタカナ表記の「コカ・コーラ」、「登録商標 190ml」の文字が認められる。裏面にはACL印刷で「コカ・コーラ」のロゴマークと「TRADE MARK REGISTERED」の文字が認められる。体部には使用による帯状の擦痕が顕著に認められる。桜井分類のコカ・コーラⅢb式2類に相当し、1975年以降に生産・消費されたものである(桜井2019)。
 No.2・3は1960年から1970年代にかけて、登山に訪れた観光客によって投棄されたものと考えられる。戦後の混乱期を経て、高度経済成長期のさなか、余暇に家族で登山を楽しむゆとりも生まれていたのであろうか。汗をかきながら登った山上で飲み干したコーラの味が格別だったことは想像に難く無い。余談だが、地域の歴史に対する関心も高まっていた時期で、霊山山頂周辺では、1977年に梅宮茂氏を中心とし、霊山の平場群や礎石建物の測量調査が行われている。

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写真5 紫明峰山頂に位置する無線中継所の暖炉跡

3.まとめにかえて

 本稿では霊山山頂で採集したコカ・コーラのガラス瓶が、無線中継基地に駐在した占領軍米兵と、1960年代以降に登山で訪れた観光客によって投棄されたものと想定される。このように、一見ゴミにみえるガラス瓶でも、考古学的な分析を加えることで、往時の地域の歴史や風景、心情にまでせまることができるのが「近現代考古学」の面白さだと筆者は考えている。

注釈
 1 本文中で「霊山」という呼称を用いた際は、史跡及び名勝としての「霊山」を指している。
 2 桜井準也は、近現代おいて詳細な記録を残さなかった地域や階層の人々の暮らしを知る上で、近現代考古学は有効な研究手段だと指摘している(桜井2004)。

<引用・参考文献>

梅宮 茂 1979「解説 二古代・中世(三)霊山寺跡出土品」『霊山町史』第2巻原始・古代・中世・近世資料編1 霊山町

石井洋光 2003『谷津川流域水車跡群発掘調査報告書』白河市教育委員会

桜井準也 2004『モノが語る日本の近現代生活−近現代考古学のすすめ−』慶應義塾大学教養研究センター

菅野家弘 2009『霊山の歴史 史跡名勝霊山』改訂版 霊山町郷土史研究会

今野賀章 2013「第4章調査の成果と宮脇遺跡の意義 第3節史跡及び名勝「霊山」の研究」『宮脇遺跡』伊達市教育委員会

福島県教育委員会 2015「軽井沢遺跡」『東日本大震災復興関連遺跡調査報告1』

藤原妃敏 2017「若松城三ノ丸濠跡近代遺物」『平成29年度 秋の企画展 発掘ふくしま4』福島県立博物館

桜井準也 2019『増補ガラス瓶の考古学』六一書房

佐藤 俊 2021「双葉町後迫B遺跡の調査」『令和2年度 福島県考古学会遺跡調査報告』福島県考古学会