調査研究コラム

#085 中世の方形木組井戸について 藤谷 誠

1 はじめに

 令和2年度に、福島県郡山市徳定A・B遺跡の調査を担当する機会があり、その中で中世のものと思われる方形縦板組隅柱横桟型の井戸の調査を行った。

そこで、中世の方形木組井戸の様相について、改めて県内や全国の例を集成し、気づいた点等を記載してみた。遺漏が多くあると思われるが、ご容赦願いたい。

2 福島県内の例

  • 郡山市荒井猫田遺跡1897号土坑・1939号土坑

 荒井猫田遺跡からは多数の井戸跡が検出されており、その中でⅡ区の館跡内から2基の方形木組井戸跡が見つかっている。 何れも、方形縦板組隅柱横桟型の井戸で、枠内寸法は図上よりともに75×75cmであったと推定される。時期は、館跡の年代の1315世紀と推定される。

  • 西会津町羽黒山館跡11号井戸跡

 羽黒山館跡からは、建物跡からやや離れた場所で、1基の方形縦板組隅柱横桟型の井戸跡が検出されている。枠内寸法は、75×75cmで、時期は、15世紀であったと思われる。

3 他府県の例

 16遺跡、20例の木組みの井戸跡例を集成し、表に示した。寸法は、報告書記載の他に記載図から計測したものもある。先ず、地域では、東北地方の例が20例中、15例とかなり多い傾向にあった。特に遺跡数では、山形県が5遺跡、秋田県が4遺跡と多い傾向がある。形態では、隅柱のない縦板組横桟型が2例、横板組隅柱横桟型が1例あるだけで、他の17例はすべて縦板組隅柱横桟型であった。他に上部が石組みのもの、上下2段で木枠の大きさが異なるものがあった。

4 まとめ

(1)規格について

 先ず、井戸枠の規模をみてみると、1辺の長さが79cm以下のものが5割弱と一番多かった。この中でも75cmのものが、6例(全体の約26%)あり、井戸を作る際の規格の1つであったと思われる。尺貫法で言えば、2尺5寸である。
 これ以外では、90cm100cmのものが各3例あり、3尺と3尺3~4寸程度の規格も存在していたものと推定される。
 また、青森県浪岡城跡のように、複数の規格の井戸がある遺跡では、想定される用途等により規格を変えていたものと思われる。

(2)形態等について

 形態は、縦板組隅柱横桟型のものが、圧倒的に多かった。古代の方形木組み井戸には、横板組の井戸跡が多いこととは対照的である。また、地域的には東北地方の例が多かった。中世は、前半期が伝統的木組み井戸を主体としつつも、一部の地域で石組井戸が普及し、後半期には西日本を中心に、規格型の井戸が普及する時期と言われている。
 今回取り扱った資料は、縦板組隅柱横桟型を主体とする伝統的な木組みの井戸が、地域によっては、中世を通して、素掘り井戸や石組井戸とともに、一緒に作られ続けていたことを示すものと考えている。

井戸跡修正2.jpg

中世木製井戸.jpg

<引用・参考文献>

2002年『荒井猫田遺跡(Ⅱ区)第14次発掘調査報告』郡山市教育委員会、郡山市都市開発部、財団法人郡山市埋蔵文化財発掘調査事業団

1994年『東北横断自動車道遺跡調査報告26』福島県教育委員会他、財団法人福島県文化センター、日本道路公団

1985年『浪岡城跡発掘調査報告書:浪岡城跡』浪岡町教育委員会

1986年『浪岡城跡発掘調査報告書:浪岡城跡Ⅷ』浪岡町教育委員会

1988年『浪岡城跡発掘調査報告書:浪岡城跡Ⅸ』浪岡町教育委員会

1979年『下夕野遺跡』秋田市教育委員会

2012年『阿部舘遺跡』秋田県教育委員会

1980年『鵜沼城跡・片符沢遺跡・中田面遺跡発掘調査概報』秋田県教育委員会

1993年『秋田城跡』秋田市教育委員会

2018年『八幡沖遺跡』多賀城市教育委員会

2005年『双葉町遺跡(山形城三の丸跡)発掘調査報告書』山形市教育委員会

2006年『鵜の木館跡発掘調査報告書』(公財)山形県埋蔵文化財センター、山形県

1992年『「藤島城跡第4次発掘調査報告書』山形県教育委員会

2015年『元宿北遺跡発掘調査報告書』公益財団法人山形県埋蔵文化財センター

1988年『大楯遺跡第1次発掘調査報告書』山形県教育委員会

2004年『ヲサル下遺跡 ・ 反子遺跡 ・ 大高田遺跡 ・ 前畑遺跡5』財団法人茨城県教育財団

1994年『小杉町白石遺跡発掘調査報告』小杉町教育委員会

1979年『蔵人遺跡』吹田市教育委員会

2008年『大灘遺跡』香川県埋蔵文化財調査センター

2001年『下古志遺跡』出雲市教育委員会

2003年鐘方正樹『井戸の考古学』同成社

令和2年11月24日更新