調査研究コラム

#082 見たことのない石器のはなし 吉田 秀享

1 はじめに

 先に、須賀川市松ケ作A遺跡から出土した弥生時代前期の砥石の話(註1)をしましたが、今回はその第二弾です。「なんだこれは?」という同遺跡で見つかった弥生時代の石器の話をします。

2 松ケ作A遺跡

 最初に、もう一度松ケ作A遺跡の概要を説明します。松ケ作A遺跡は、須賀川市にある弥生時代前期と平安時代および中世の複合遺跡です。平成1112年度に行われた発掘調査の結果、中世の溝跡と土坑、平安時代の竪穴状遺構や土坑・溝跡のほか、弥生時代前期の竪穴状遺構と掘立柱建物跡・溝跡・柱列が確認されました。このうち、弥生時代前期では、図1右側に示したように、中央の浅い谷に沿って柵列が巡り、その両側には掘立柱建物跡(SB1~3)と、その北側(図の上側)には不整形な竪穴住居跡状の落ち込み(SX2)が認められました。この浅い谷からは、図2に示したように弥生時代前期を主とする土器捨て場(遺物包含層)が南北20m、東西18mほどの範囲で確認され、この範囲から弥生土器片が12,000点弱、石器が1,400点ほど出土しました(註2)。

松ケ作A全景と遺構配置図.jpg

図1 松ケ作A遺跡全景と遺構配置図(註2より転載)

SH遺構図のコピー.jpg

図2 松ケ作A遺跡遺物包含層と出土土器点数(註2より転載

3 見たことのない石器

 1,400点もの石器の中で今まで見たこともない石器が図3の1・2です。いずれも弥生時代前期の磨製石斧と判断したものですが、1は変形した西洋梨のような礫の下端を、両面から研磨して直線的な刃縁を形成している。刃縁には使用によると思われる微細な剥離痕と線条痕がわずかに確認できます。
 石材は輝石安山岩で、長さ9.4㎝、幅6.9㎝、厚さ3.6㎝です。全体のイメージとしては、磨・凹石の素材となる礫に研磨により刃部を作った感じがあります。
 2も変わった形状の磨製石斧で、上方部分が欠損していますが、肉厚な凸字状の礫を素材とし、やはり資料両面から研磨して刃部を形成しています。刃部の縦断面形は、弥生時代特有の石器である太型蛤刃石斧に類似しています。欠損している刃部上方は、おそらく細くすぼまった基部であった可能性が高く、その形状は有肩石斧に近いのではないかと考えています。
 石材は1と同様の輝石安山岩で、刃部の幅は7.7㎝、厚さ3.4㎝、確認できた長さは4.2㎝です。
 最後の3は、小型の石斧ですが、その形状からは弥生時代特有の扁平片刃石斧と考えられます。
 ただ、その製作工程が変わっています。ふつうは、1次剥離成形後に敲打し、研磨して仕上げますが、この資料の場合、この工程が確認できるのは刃部と図左側の基部のみです。図右側の基部では、研磨痕より新しい剥離痕が顕著に観察できます。このため、この石斧は片面の基部のみ再調整して形成された扁平片刃石斧と考えられます。もともとの形状は図中の破線で示したように片面の基部が厚くなるようなものであったと推察できます。
 石材は菫(きん)青(せい)石(せき)(コーディエライト cordierite)ホルンフェルスというあまり聞きなれない石材です。長さ5.4㎝、幅3.2㎝、厚さ0.8㎝です。
 これらの資料はいずれも今まで見たことがない石器であり、類例も見つけ出すことができません。強引にその形状から類例を上げれば、3は袋状鉄斧、2は有肩(有扇)石斧、1は握り槌などに形が似ています。いずれも斧頭と思われますので、当然木製の柄と組み合わさって使用されたものと考えていますが、柄の形状は全く想像がつきませんん。3は膝柄かもしれませんが、1・2は全く分かりません。本当に見たことのない石器です。

松ケ作A遺跡石器.jpg

図3 松ケ作A遺跡出土石器(註2より転載)

4 まとめ

 とりとめのない文章でしたが、このような石器に心当たりがある方は、ぜひご一報ください。松ケ作A遺跡は先に提示した砥石といい、鉄製刀子の出土といい、これまでの福島県の弥生時代の遺跡ではあまり見たことのない資料が確認された遺跡です。解決の糸口すら見出せることなく、調査から20年が過ぎます。残り半年の現役生活ですが、いつの日かこれらの資料が解明できるのを期待して、後進の方々の奮闘を待ってみたいと思います。

参考引用文献

註1 吉田秀享 2018 「あどけない「砥石」のはなし」平成30年度 遺跡調査部研究コラム 

註2 吉田秀享 2001 「県道古殿須賀川線(うつくしま未来博関連)遺跡発掘調査報告」福島県文化財調査報告書第384