福島県史料情報

福島県史料情報 第16号

『小山荒井村絵図』

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元禄16年『小山荒井村絵図』
(安斎直巳家文書-43 33×38.5cm)

信夫山は、福島市のシンボルとして昔から「御山」の愛称で呼ばれてきました。近年は、市民の憩いの場として、またさまざまなイベントの会場として活用されています。江戸時代の信夫山は、小山荒井・丸子・五十辺・御山・森合など5ヵ村に含まれていました。 本絵図は、信夫山の南側の図で元禄16年(1703)、高五百五拾六石三斗三升の石高と左下には小山荒井村と記載されています。
 小山荒井村は、現在の松浪町・旭町・春日町・山下町・花園町・霞町・御山町に、信夫山南面の山居・太子堂・大日堂・堂殿・駒山・夫婦石・狩野・大山・京塚・大平山・清水山・所窪・児石・山居上・鴇頭森・蟹沢入・立道・小金山・蝦夷穴・熊野山・熊野峠・鶴巻が含まれています。
 山腹に大きく描かれている「大仏堂」は、寛永年間(1624~43)の建立と伝えられ、明治15年に杉妻大仏と共に大町到岸寺に移されました。
 山麓を流れる祓川は昭和7~13年度の改修工事によって変更されました。この古くからの祓川に沿って小集落が点在しており、「ウシクボヤシキ」には鳥居と小社が描かれており、かっては鶏権現と呼ばれており、現在の水雲神社です。鶏に通じてトツケジかぜ(百日ぜき)に効験ありと参詣されてきました。また「地蔵堂」は住宅街にある鹿取地蔵尊です。この絵図を参考に、現在の風景と比較しながら散策すると新しい発見があるかもしれません。

(高橋信一)

漢籍と鈔刻

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諸儒註解古文眞寳
(堀江正樹家文書-708)

史料を目録化する際に、どのような情報を項目として採録するかは、史料整理に関わる人々が等しく頭を悩ます問題である。
 それは、対象となる史料の性質や、整理者(機関)の方針により様々であるが、漢籍の場合は、おおむね書名・巻数・撰者・鈔刻の四種に統一されている。
 このうち、最も重視されるのは、その本を、いつ・誰が・どこで・どのような印刷方法によって出版したのかを示す「鈔刻(しょうこく)」である。同一内容の書物が漢字文化圏全域で出版されている漢籍にとって、鈔刻は、目録上でそれぞれの異同を判別する唯一の手がかりといえる。
 たとえば、写真に掲げた「諸儒註解古文真宝」であれば、文化2年(1805)に、大坂の秋田屋太右衛門らによって、出版(補刻)された木版本であることから、「文化二年大坂秋田屋太右衛門他刊本」と記される。こうした情報については、奥付の記載事項などを参考に総合的に判断するのだが、その際に注意が必要なのは印刷方法の種別である。
 以下、当館を例に、具体的に述べることとしたい。現在、当館では、版本について、板本と刊本に分けて記録している。このうち、板本とは主に江戸時代の木版印刷による書物を指し、刊本とは明治時代以降の西洋式印刷による刊行物をいう。
 この分類に即するならば、一枚板による版木で刷られた「諸儒註解古文真宝」は、板本となるのだが、漢籍目録の場合は刊本と記載しなければならない。
 これは、木版本を「刊本」、活字本を「活字印本」(木活字や金属活字等を用いて組版印刷したもの)あるいは「排印本」(活字印刷のうち、西洋式の鉛活字を用いて組版印刷したもの)と表記するという、漢籍分類法の規則が存在するためである。
 つまり、古文書を主な対象とする目録と漢籍のみの目録とでは、同一の史料であっても、表記方法が異なる場合があり、ここにも、古文書と漢籍をひとつの目録のなかで一括して取り扱うことの難しさを見ることができる。

(山田英明)

『商標登録事務書類』


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写真上は正製組商標(本文中の写真1)、
下は油井宇之助商標(写真2)

明治17年(1884)10月明治政府は『商法条例』24ヵ条を制定している。商標は「農商務省ノ商標簿に登録ヲ経タルトキハ、其所有主ニ於テ登録ノ日ヨリ十五年間、之ヲ専用スルノ権ヲ有ス可シ」(第1条)と規定されていた。農商務省の商標簿に登録することで、生産者・商人は商標の専有権を保護された。商標登録の申請書(願書・商標見本・商標説明書)は各県庁から農商務省へ提出することになっていた。
 『商標登録事務書類』(県庁文書F3332)は明治17~20年(1884~87)、県内の生産者・商人が福島県庁に提出した申請書の簿冊である。本簿冊には、生糸15点、煙草3点、陶器・薬・酒各1点、計21点の商標が収録されている。当時の養蚕・製糸業を反映して、生糸の商標が大半を占める。写真1は安積郡郡山村の座繰り製糸会社正製組(13年設立)の商標である。正製組の登録申請は17年10月である。絵柄は釜で煮詰めた繭玉から緒糸を集め、繰枠に巻き取らせている様子である。信夫郡福島町の生糸商油井宇之助は写真2の商標「蝶印」を9年8月頃から使用するようになった。中央に蝶(蛾)2匹、上段に蛹、左右に桑の枝葉、その周囲に繭玉を配置している。宇之助の登録申請は18年3月である。
 18年8月、農商務省は正製組・油井宇之助に『商標登録証』を発行している。生糸は絹織物原料であった。写真1・2の商標は横浜生糸商人の手を経て欧米各国に輸出される生糸束に貼付され、海を渡ることになった。

ふくしまの火山2

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下賜金の目録
(部分、福島県庁文書-1225より)

安達太良山は、箕輪山・鉄山・安達太良山(本峰、1700メートル)・和尚山などから構成される火山群である。『万葉集』や高村光太郎『智恵子抄』に歌われる美しい山で、貴重な高山植物や豊富な温泉など、私たちに計り知れない恵みをもたらしてくれる。しかし一方で、この山が今なお活動を続ける火の山であることも忘れてはならない。
 安達太良山における歴史上最大の噴火は、明治32年(1899)から33年にかけて起こった。明治33年7月17日、鉄山と安達太良本峰とを結ぶ稜線の西方、沼ノ平を火口として噴火。火口付近にあった硫黄採掘所は全壊し、死者・行方不明者72名、負傷者10名という大惨事となった。
 このときの噴火では被災者救済のため、天皇・皇后から金400円が下賜された。これに関する事務書類が当館保管の福島県庁文書内に残されている。『大沼郡官公金窃取事件 其ノ外』(F1225)に合綴された『沼尻山噴火救済書類』が、それである。
 救済金の下賜が通知されると、福島県は直ちに下賜金の支給方針を耶麻郡長および岩手県知事に照会。岩手県は明治29年の三陸大海嘯の際、同様の救済金を下賜されており、福島県にとって参照すべき前例となっていたのである。これに基づいて決定された支給方針では、被災者は5等に分けられた。
一等 戸主災害ノ為メ死亡シ遺族ノ生計困難ナルモノ
二等 生計ノ主要タル者災害ノ為メ死亡シ遺族ノ生計困難ナルモノ
三等 生命ニ害ナキモ負傷ノ為メ業務ニ従事スル事能ハズ生計困難ナルモノ
四等 避難ノ為メ全家ヲ挙ゲテ他ニ移転シタルモノ
五等 前各号ニ該当セザルモ災害ノ為メ死亡シ又ハ負傷シタルモノ

 救済金は戸籍不備や居所不明などの者には支給されず、残金は慰霊碑の建立、慰霊祭の執行に充てられた。明治35年12月13日、福島県は耶麻郡長からの報告を受け、一連の事務処理を終了した。

(轡田克史)

地域史研究会活動情報

会北史談会(喜多方市)
 「会北」とは会津の北部という意味で、郷土の歴史の研究を主として結成された団体で、古くは大正14年8月結成されたが、戦争の激化で昭和17年12月号(通算110号)の機関誌の発刊を最後に自然休会となった。「喜多方郷土史研究会」として再出発したのは戦後の昭和31年であった。しかしその会は運営上の意思の疎通から解散、現在の会北史談会となったのは昭和37年である。爾来45年、郷土の歴史、史蹟等の調査研究と保存に努めると共に、会員の親睦を計ることを目的として活動してきた。その具体的事業として
 1 講演会の開催 会員または外部講師等による講演会で、最近では「地名の歴史」(佐藤健郎氏)「国際人としての野口英世」(小檜山六郎氏)などの講演を聴いている。年2回の開催を実行している。
 2 研修旅行の実施 春期(5~6月)は日帰り出来る範囲で、昨年は常陸太田市、今年は相馬市など浜通りの史蹟研修を実施した。夏期は1~2泊の研修を実施している。昨年は静岡市、今年は山梨県へ、いずれも1泊であった。京都・奈良方面へ行ったときは二泊している。秋は日が短いので地元の会津を中心に行っている。昨年は会津坂下町へ。それぞれその町の専門の先生の案内・説明を受けている。参加者は日帰りの場合はバスが満杯の状態であるが、宿泊の場合は30名内外である。
 3 古文書学習会 平成10年から毎年9・10・11月の3回実施している。地方文書をテキストとして文字のくずし方・読み方・文書の意義などを学習する。学習時間は1回2時間で参加者も多く好評である。
 4 機関誌『会北史談』の発行 昭和38年から毎年1冊を発行して今年で48号となった。歴史的記述が主であるが、それに拘らず随想・時事評論・体験記・詩短歌俳句などの文芸作品も掲載し、会員の発表の場としている。この機関誌を楽しみに会員を継続している人もいる。
 5 新春のつどい 大体1月下旬に実施している。記念講演か研究発表を実施した後、会員間の親睦を深めるため懇親会を開催する。例年参会する人は50~60人である。終始和やかな雰囲気で互の健勝を祝し、次年の事業等を話し合うのが目的。

(会長 川口芳昭)

事務局 喜多方市字押切南2ー20 富田幸雄方
会員 最盛期240名、現在199名。 会員の高齢化が進んでいる。

講習会のご案内

地域史研究講習会
 当館では福島県の歴史に対する認識を深めていただくため、毎年地域史研究講習会を開催しています。
 今回は、立県130年記念「福島県の誕生~明治巡幸と三県合併~」展に沿った内容の講習会です。外部講師は、当館の事業では初登場の先生ばかりです。是非この機会をお見逃しなく、ご参加ください。
日時 平成18年10月22日(日)午前9時~午後4時
会場 福島県文化会館(福島県文化センター内)二階会議室
内容
「福島県の近代化と県令安場保和」 福井淳氏(宮内庁書陵部)
「錦絵になった福島  江戸から明治へ」 川延安直氏(福島県立博物館)
「上岡遺跡について」 新堀昭宏氏(福島市振興公社)
「福島県の誕生」 渡辺智裕(福島県歴史資料館)
受講 1000円(資料代含む)
申込方法 平成18年10月18日(水)までに、郵便・ファックス・メール等にて、福島県歴史資料館までお申し込みください。

展示のご案内

立県130年記念「福島県の誕生 ~明治巡幸と三県合併~」

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地券之證(泉田区有文書-39)

今年は、明治9年(1876)8月21日に福島県が成立してから130周年にあたります。ところで、平成9年(1997)7月11日、福島県は8月21日を「福島県民の日」に制定しました。
 明治9年6月2日から7月21日にかけて、明治政府は明治天皇の奥羽(東北)巡幸を挙行しました。戊辰戦争終了後8年しかたっておらず、また東北地方は旧幕府方の藩が多かったこともあり、巡幸は政治的に微妙な問題をはらんでいました。
 6月13日、右大臣岩倉具視・内閣顧問木戸孝允など230余名の一行は旧福島県下の白坂に到着しました。白河・須賀川・桑野・二本松・福島・桑折などを経て22日には磐前県の白石に入りました。その間、天皇一行は須賀川産馬会社・開成社・二本松製糸会社・半田銀山などの近代産業施設、教育施設、福島県庁を視察しています。また、戊辰戦争において戦場となった白河城址・二本松城址などを訪問しました。
 行在所は、地域名望家・区会所・開成館・福島中学校などが充てられ、そこでは地域の文化財や特産品が展示されました。また、旧福島県参事山吉盛典・磐前県令村上光雄・若松県参事岸良俊介など各県令が各所で天皇一行を出迎えています。天皇を初めて目の当たりにした民衆は、新しい時代の到来を実感したことでしょう。
 降って昭和の初期になると、行在所や小休所になった場所には巡幸碑が建立され、「聖蹟」として顕彰されるようになりました。また、巡幸記念誌も幾つか編纂されています。
 巡幸終了後の8月21日、明治政府は筑摩県以下14県を廃合し、3府35県に再編成しました。その一環として磐前県・旧福島県・若松県の3県が合併し、ほぼ現在につながる福島県(この時点では東蒲原郡を含む)が成立したのです。
 この展示では、明治9年の奥羽巡幸に関連する錦絵・明治天皇の石版画・古写真・巡幸記念誌・福島県の公文書・地図など約60点ほどの史料を紹介し、奥羽巡幸の実態や福島県の成り立ちをアーカイブズの視点から掘り下げていきます。また、福島県の公文書保存の重要性をご理解していただければ幸いです。
 なお、左上に掲げた「地券之證」は地券のひとつで、三県合併直後の明治9年10月に伊達郡泉田村(現在の伊達郡国見町泉田)の仲野周蔵に対して福島県より交付されたものです。
 収蔵資料テーマ展 立県130年記念 「福島県の誕生~明治巡幸と三県合併~」
会期 10月7日(土)~12月3日(日)
時間 午前8時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
入場料 無料