福島県史料情報

福島県史料情報 第14号

『新編 内国小史 下』挿絵

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 慶応4年(1868)の戊辰戦争は、福島県内に深い爪痕を残した。白河・二本松・会津などで激戦が繰り広げられ、多くの人命が失われている。
 なかでも、とりわけ有名なのが、白虎隊の「悲劇」であろう。白虎隊とは、ご存知のように、会津藩の少年兵により編成された部隊で、士中・寄合・足軽などの身分によって、いくつかの隊が存在した。一般にいう「白虎隊」とは、このうちの士中二番隊のことである。 彼らは、8月22日、戸ノ口原の戦いのため出陣するが敗走、翌日に飯盛山まで撤退した。そして、城下より立ち昇る黒煙を、落城の証と誤認し、切腹してしまう。この逸話は、今日でも、小説や時代劇などのモチーフとされているが、かつては、歴史の教科書にも取りあげられていた。
 たとえば、明治32年(1899)の中学校用の検定教科書『新編 内国小史 下』(我妻家文書-29)を見てみよう。そこでは、写真のような挿絵とともに、白虎隊士について、「皆城ノ方ニ向ヒテ自殺シケルハ流石ニ日本武士ノ子供トテ官軍モ亦之ヲ悼惜シケリ」と記されている。
 教科書という、いわば「正史」のなかで、福島県の人物や事象が、どのように記載されているのか。また、学校教育を通じて、本県に対するイメージがいかに形成され、あるいは変容していったのか。今年は、そのようなテーマにも取り組んでみたい。
 写真は『新編 内国小史 下』挿絵(我妻家文書-29)

(山田英明)

歴史資料保存活動の連携

館長  長谷川 文夫
 明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。去年の暮れから今年にかけて列車の転覆事故や雪崩など大雪による事故や災害が多発しておりますが、何か最近、台風や豪雨、地震などの災害が増えてきている気がしております。
 平成17年を見ましても、2月の北陸北海道の大雪や暴風雨、6月の梅雨前線による東北北陸地方の大雨、台風11、14号の暴風雨、4月の福岡県西方沖地震、8月の宮城県沖地震と、頻繁に災害が起こっております。そしてそのたびに多くの人命や財産が失われており、また代々受け継がれてきた貴重な歴史資料も破損したり、流されたり、捨てられたりして失われてしまうことが多くあります。
 災害によって、家に永く伝えられてきた大事な記録等が失われることは、その家にとっても、また地域にとっても大きな損失なのです。
 現在、本県には県や市町村を含め、図書館が約45館、博物館が約52館ほどあり、何らかの形で史料保存に携わってきております。これらの機関が相互に連携しネットワーク化を図り、日ごろから情報の共有や交換をし、また修復技術の向上に向けての講習会や研修などを行い、大規模な災害が発生したときには、被災地域の緊急の史料保存を行うため、県や市町村の史料保存機関が連携協力しレスキュー活動を行うことが大変重要になって来ていると思います。すでに宮城県や新潟県では、震災の被害を踏まえて歴史資料保全ネットワークを立ち上げ活動を行っております。また新潟地震では当歴史資料館の職員も史料の調査、修復をお手伝いしてきたところです。
 貴重な歴史資料を次世代に、余すことなく残すことが我々史料保存機関のもう一つの重要な使命だとすれば、困難ではありますが今どうしてもクリアしていかなければならない課題ではないかと思っております。

「歴史資料」の保存に関するアンケートについて

 昨10月28日、県内の博物館(美術館・資料館を含む)・図書館・自治体史編纂室74館(室)を対象に、「「歴史資料」の保存に関するアンケート」を実施しました。
 これは、以下の14項目の質問よりなるもので、福島県における「歴史資料」の保存状況や管理方法の現状把握を試みたものです。

  • Q1.どのような「歴史資料」を収蔵していますか?(複数回答可)
  • Q2.収蔵品の中に指定文化財はありますか?
  • Q3.「歴史資料」の保存のために、どのような対策を講じていますか?(複数回答可)
  • Q4.自治体史編纂の過程で収集した「歴史資料」を収蔵していますか?
  • Q5.貴館(室)が対象とする地域(あるいは分野)に関連する、館外の「歴史資料」の所在や状況を把握していますか?(複数回答可)
  • Q6.平常時の収蔵資料の管理方法は決まっていますか?
  • Q7.非常時(災害など)における収蔵資料の管理方法は決まっていますか?
  • Q8.さる8月16日、宮城県沖で大きな地震がありました。以後も、震度3以上の地震が続いていますが、その際にどのような対応をしたか、ご記入ください。
  • Q9.地震や台風などの災害により、歴史資料が被害を受けた事例はありますか?
  • Q10.貴館(室)が位置する市町村では、合併後における「歴史資料」の保存・管理体制は決まっていますか?
  • Q11.「歴史資料」の保存について、福島県歴史資料館に期待する役割は何ですか?(複数回答可)
  • Q12.福島県歴史資料館では、「歴史資料」の保存を目的とした全県レベルの協議会やネットワークの設立を計画しておりますが、どのようにお考えですか?
  • Q13.「歴史資料」の保存を目的としたネットワークが結成されたら、参加しますか?
  • Q14.その他、ご意見などがありましたら、ご自由にお書きください。

 このアンケートの集計結果は、当館ホームページ上で公表していますが、とくに注目したいのは、ネットワーク結成の必要性を問うた設問(Q12・13)で、ほとんどの館(室)より賛同を得られたことです。
 右の結果に基づき、当館では現在、史料保存のためのネットワーク設立に向け、準備を進めています。今後とも、「歴史資料」の保存に関し、ご理解とご協力を賜ることができれば幸いです。

安積郡に棲息していた狼・獺

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 当館には江戸から明治期にかけての本県の生物多様性を具体的に明らかにできる史料が保管されている。
 左に掲げた史料は享保20年(1735)六月の安積郡下守屋村(郡山市三穂田町下守屋)「穀類草木魚鳥獣其外品々書上帳」(庄司吉之助家文書II-87)で、下守屋村名主の与五右衛門が同村の産物をまとめて二本松藩に提出したものの控えである。この産物帳は、穀・菜・菌・菓・木・草・竹・魚・貝・鳥・獣・虫・蛇など16種に分類されている。 獣類として「馬・犬・ねこ・ねつミ・猪戸・しか・狼・狐・狸・うさぎ・いたち・河獺」が書き上げられている。特に注目されるのは、日本では既に絶滅してしまったオオカミや、今では県内で全く見られないカワウソ(全国的には絶滅危惧種IA類)の棲息が知られることである。
 当時の人々は家畜に害をなすためオオカミを恐れていた。元禄2年(1689)の高野村(田島町高野)で飼い犬が喰い殺されたり、元文4年(1739)の上小屋村(白河市大信)で母馬が襲われた事例がある。寛文5年(1665)頃では大沼・河沼・耶麻・会津の各郡で、また享保・元文頃(1716~41)の三春藩領でその棲息が記録されており、江戸時代のふくしまには広範囲にオオカミが分布していたのである。しかし、明治16年(1883)頃には駆除が進み、安積郡では報告されず、岩瀬郡と東白川郡で少数の個体が確認されるにとどまった。
 また、カワウソも養殖魚や稲田に被害をもたらす動物とみなされる一方で、毛皮を採取する目的で捕獲されていたのである。享保・元文頃には三春藩領でもその棲息が広く知られていた。しかし、明治16年段階では信夫・安積・大沼・河沼・南会津・磐前・菊多・東蒲原の各郡で生存が報告されていたが、信夫・大沼郡を除いてその個体数は少なくなってきたのである。
写真は穀類草木魚鳥獣其外品々書上帳(部分、庄司吉之助家文書II-87)

(渡辺智裕)

地域史研究会活動情報

いわき地域学會
 昭和59年9月、総合的な学術調査を目的として発足した。当初の会員数20人弱。現在は235人。
 地質学・地理学・歴史学・考古学・民俗学・生物学者等の学問分野が相互に交流し、地域の総合的研究をめざして出発した。
 その成果の第一として、『夏井地区総合調査報告』(昭和63年)全461頁がある。これは、サントリー地域文化賞や福島民報出版文化賞を受賞した。夏井地区には最近国史跡に指定された。「根岸官衞遺跡群」や国重文「専称寺」、国史跡甲塚古墳などが所在する。 地域学會では次のような活動を展開している。

  • (1)市民講座
    毎月1回(第2土曜日午後)、会員が講師となって、公開講座を開催。平均60人ほどの市民が聴講している(無料)。これまで通算220回をかぞえる。
  • (2)地域巡見
    毎年2回、(4月29日、11月3日)実施。春は地域外で、秋は地域内で実施。平均50人参加。参加者の実費負担で運営している。これまで通算42回をかぞえる。
  • (3)自然部会では主に阿武隈山地の観察会を行っている。年2回実施。
  • (4)芸術部会では、地域内の新進作家の個展をくまなく観た中から1年おきに1人を選考し、美術賞を贈っている。舞台芸術なども対象にしている。
  • (5)編集部会では、創立以来、地域学會図書の発行を担当。特に会誌『潮流』(年刊既刊32報)と通信紙『汀』(年2回)を発行している。
    『新しいいわきの歴史』(平成3年)全296頁はロングセラーである。

 今後の課題として、次のようなことがあげられる。

  • (1)二十代、三十代の会員の獲得。現会員がしだいに高齢化しており、新風を吹き込む必要がある。一方では、ニュータウン(総人口5万人)の居住者の地域理解の欲求が高まっており、当会のPRも不可欠である。
  • (2)高久地区総合調査・新しいいわきの歴史の改訂・市立博物館建設促進運動の3事業の準備がすすんでおり、平成18年度から具体化する。
  • (3)いわき市内には多様多彩な地域研究団体が組織されていて、大いににぎわっている。これらの組織の構成員の多くはいわき地域学會のメンバーでもあるので、相互交流を盛んにして行きたい。

(文責 代表幹事 山名隆弘)

村絵図の由緒書

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村絵図は一村全域の概況を描いた絵図である。村絵図を構成する諸要素は村の暮らしに関わる、屋敷・寺社・往還・田畑・山野・河川・用水・溜池などである。村に居住する村民にとって、描かれた諸要素は周知の事実であったから、村民が村絵図を必要としていた訳ではない。この点は寛政6年(1794)『地方凡例録』巻之七上「村差出明細帳之事」に次のように記載されている。
 其村にあるほどの儀は一事も洩ざる様に記し、村役人連印にて、郷村を請取たるとき、右帳面に村絵図・三十箇年割付写相添へ役所へ差出さする定例なり
 代官が赴任した時には、村役人は村明細帳に村絵図と年貢割付状30年分を添付して、代官所に提出するとある。新任代官は村の概況を把握するために、村役人に村明細帳と村絵図・年貢割付状の提出を命じた。代官は村明細帳と村絵図・年貢割付状を熟読することで、初見赴任地の概要を把握できた。村絵図は村明細帳の記載内容を補充する添付資料であり、代官による村支配の必要性から作成されたのである。

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文久元年(1861)7月「小坂村絵図」は一村全域の絵図である。この絵図の貼紙には「兼帯名主早田万七 名主代庄兵衛 組頭嘉平次 百姓代清四郎」とあり、早田万七ら村役人が小坂村を統治していた桑折代官所に提出した絵図であることが判明する。留意すべきは、『地方凡例録』同様の記載が絵図の一隅に朱書きされていることである。
 文久元酉五月廿七日より御代官前 田勘四郎様御代官所ニ罷成候、其 節差上候絵図ニ御座候、此外御割 附弐拾ヶ年分・皆済御目録拾ヶ年 分写、猶又明細帳も相仕立、右相 揃同七月十八日ニ差上申候、
 5月27日桑折代官は前田勘四郎に替わった。村役人は村絵図を、村明細帳・年貢割付状20年分・年貢皆済目録10年分の写しと共に、7月18日に代官所に提出したとある。代官の赴任に際して、このような絵図提出が村の「定例」となっていたのである。
 写真は「小坂村絵図」全図と部分図

展示のご案内

新公開史料展
県内外からお預かりした古文書などの史料は、整理作業、目録刊行を経てようやく、県民共有の財産として活用していただくことができます。目録は当館のほか、県内の図書館等でご覧いただけます。ぜひ一度お手にとってご覧ください。
 今回の展示は、平成15年度・16年度に公開された史料をご紹介するものです。
佐々木太市家文書(大沼郡昭和村)
寛延元年(1748)に佐々木和右衛門が筆写した会津地方の農業研究書『会津農書』3冊です。
堀江正樹家文書(東京都新宿区)
堀江家は梁川(伊達市梁川町)に居住し、江戸時代には信達四郡役の一人として伊達郡東根下郷を支配していました。堀江家に伝えられた史料には近世初頭の新田開発、堰の普請、商人役の文書、代官所へ提出した由緒書きなどが含まれており、この史料によって堀江家のさまざまな活動を把握することができます。
苅宿仲衛家文書(東京都武蔵野市)
苅宿村(双葉郡浪江町)の自由民権運動家・苅宿仲衛(1854~1907)、政治結社・北辰社に関する書状。これらの書状からは、仲衛と全国の自由民権運動家との交流、当時の社会状況などを知ることができます。
旧北矢野目村区長引継文書(福島市)
明治期から昭和期まで、時期ごとの村の重要課題について史料がまとまっています。
二文字屋文書(伊達郡国見町)
奥州道中藤田宿で太物商を営んでいた二文字屋の文書です。

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写真は「感謝状」(旧北矢野目村区長引継文書-440)

収蔵資料テーマ展「新公開史料展」
会期 2月24日(金)~4月9日(日)
休館日 毎週月曜日
時間 午前9時~午後5時(入館は4時30分まで)
入場料 無料