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玉川村江平遺跡出土木簡 奈良時代

天平15(743)年に呰万呂という人物が、護国を解く経典である金光明経を熟読し終えたことを記した木簡です。
金光明経には、曇無讖が412~421年にかけて訳した4巻本(金光明経)、宝貴などが597年に編さんした8巻本(合部金光明経)、703年に義浄が新たに訳した10巻本(金光明最勝王経)があります。
奈良時代の神亀5(728)年に、普及のため金光明最勝王経が全国に配布されますが、それ以前は、4巻本や8巻本が使用されていました。
天平13(741)年の国分寺建立の詔により、全国に国分寺と国分尼寺の建立が命じられますが、国分寺の正式な名称である金光明四天王護国之寺は、金光明経に由来しています。この詔では、金光明最勝王経を移し、塔に納めることも命じられています。
天平15(743)年には、正月14日から49日間、金光明最勝王経を全国各地で転読することが命じられます。
この木簡には、金光明最勝王経の転読が奈良時代の陸奥国で行われていたことが記載されています。また、木簡に記載された「功徳」の内容は、金光明最勝王経にはなく、4巻本と8巻本にしかないため、金光明最勝王経の普及政策が行われた後も、それ以前から使用されていた経典が用いられていたことも判明しました。

長さ24㎝、幅3.6㎝、厚さ0.4㎝

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