まほろん通信12号 1 2 3 4ページ

 製鉄イベント報告その2  
<12人でふいご踏み>

 炉の操業終了から8時間ほどたった2日の午前11:00より、炉の解体作業と鉄の取り出し作業を行いました。本来であれば、炉の半分ほどを残し、古代の製鉄遺跡から確認された炉壁などとの比較材料にしたかったのですが、炉壁の厚さは、当初の半分以下で、倒壊の危険性が高まったため、壁を全て壊して鉄を取り出すことにしました。取り出し作業も鉄が重くて困難を極めましたが、何とか炉から引きずり出し、水をかけてさました後、壁の残骸等を、鉄のハンマーでたたいて落としていきました。「カキーン」という、高い金属音が周囲に響き、ようやく鉄ができたことがわかりました。重さは34kgもありました。
<半分ほど崩した炉>
 今回の操業は、まさに空前絶後のプロジェクトであり、多くのみなさまの力により成功した鉄づくりであったと思います。

<炉から引き出した鉄>

踏みふいごを踏んで下さったみなさま、さまざまな形で参加してくださったみなさまに心より厚く厚く御礼申し上げますとともに、また次の操業の機会がありましたら、ご協力をよろしくお願いいたします。

<奈良・平安時代の製鉄炉より復元した炉での操業実験>

実験炉名 炉形 実施年 モデル遺跡と炉
長谷川自然通風炉 竪型炉 1976 群馬県菅ノ沢遺跡3号炉
風土記の丘1〜6号炉 竪型炉 1988
〜1991
千葉県花前遺跡74号
NT3号炉 竪型炉 2001 福島県長瀞遺跡3号炉
まほろん1号 箱形炉 2003 福島県大船迫遺跡15号炉

*本表は、2002 穴澤義功「実験炉の解体と記録方法のモデル−NT3号炉をモデルとして−」『「鉄関連遺物の分析評価」研究Gr.・「前近代製鉄実験」研究Gr.合同例会予稿集』を参考に作成しました。
なお、上記以外に島根大学田中研究室・大阪府交野市教育委員会・熊本県装飾古墳館でも古墳時代の箱形炉の操業実験が行われています。

 前回、昨年の11月1・2日の両日にわたって行われた「鉄づくり」イベントの前半部分(復元製鉄炉の構築等について)のお話しをしました。今回は、実際の操業についてお話し致します。
 前日までに踏みふいごの設置や粘土による炉の構築・乾燥などの作業が終了し、ようやくイベント当日の朝が迎えられました。炉の中には、昨日からのオキがたまり、十分に保温されています。

<砂鉄投入のようす>
 午前11:00、イベントが開始されました。炉の中には最初に木炭が投入され、ふいごが踏まれ、炉に風が送られました。開始から1時間後、砂鉄の投入が始まりました。これ以降、約10分おきに砂鉄3.5kgと木炭3.6kgが炉の中に投入されました。
 ふいごを踏む人々は、最初は片側2人ずつの4人でしたが、だんだん片側3人の6人になり、そのうち片側4人づつの8人に増え、最後はとうとう片側6人の12人になりました。まるで、満員電車のつり革にぶら下がっているような状況でした。
 炉の操業を占う、炉からの不純物のノロ出しも順調に行われ、当初の目的にある鉄づくりは成功裏に終わるかに見えました。しかし、1日目の夕方あたりから、大きな問題がくすぶり始めました。炉壁が溶けて薄くなりだし、操業自体の限界が垣間見えてきたのです。イベントとしての成功を納めるためには、少なくとも2日目の朝まで操業を継続しなければなりません。砂鉄の投入量を減らしたり、木炭の樹種を変えたりなど、 さまざまな延命策がとられましたが、2日の午前2:32、ついに送風が停止され、操業が終了しました。

<炉から出たノロ>

開始から15時間34分がたっていました。投入した砂鉄は132.3kg、木炭は279.1kg、不純物のノロは60.2kgでした。

まほろん通信12号 1 2 3 4ページ