長瀞遺跡の遺物包含層 1 弥生時代の新しい石器
東日本で縄文時代最後の文化が続いていた頃、北九州地方に大陸から米づくりを主な生業とする新しい文化が伝わりました。弥生時代のはじまりです。稲の栽培技術の他に、それに伴う道具類や、新しい形の石器類も伝わりました。
東北地方にも、弥生時代の前期には点々と弥生文化が伝わったことがわかっています。当地方では、弥生時代中期に入ると小規模な水田で稲作も行われはじめ、水田の跡も発見されています。稲作に使う粘板岩で作られた石庖丁(稲を刈る道具)も数多く作られるようになりました。
この時代には、鉄製の道具は、まだまだ普及していませんでしたが、石庖丁の他には、太型蛤刃石斧や扁平片刃石斧などの縄文時代にはなかった、新たな石器類も使われるようになりました。2 みつかった石庖丁
長瀞遺跡・南入A遺跡からは、谷筋からゴミ捨て場と思われる弥生時代の遺物を含んだ層が見つかったいます。住居跡などはみつかっていませんが、おそらく、尾根筋に居住区域があり、そこから捨てられたものと思われます。
当時ゴミ捨て場として使われていた場所も、二千年の時を経た今、当時の生活を思い起こさせる貴重な資料の宝庫となっています。長瀞遺跡 遺跡DB 遺物DB 遺物写真DB 写真DB
南入A遺跡 遺跡DB 遺物DB 写真DB