b「前方後円墳」
前方後円墳
ア)復元資料
遺構:東村笊内2号墳
時期:6世紀末葉
規模:全長17.3m、幅12.0m、
後円部径10.6m
イ)選定理由
白河市にほど近い東村の遺跡であり、来館者に親しみやすいことが理由のひとつである。また、古墳としては一般に知られている前方後円墳であること、かつ敷地内に復元可能な大きさであることから2号墳を選んだ。埋葬施設が来館者に容易に見て取れる、横穴式石室であることも選定理由である。
ウ)復元の実際
復元寸法と外観 復元寸法は調査成果に基づいた。ただし笊内2号墳は山寄せ式のため、墳丘の山側と谷側で高さが著しく異なる。このため墳丘の高さは、谷側から墳丘頂部までの高さを採った。遺構の平面形はやや歪んでいるが、これも山寄せ式のためと後世に崩れたことによるものと判断して、左右対称の前方後円墳として設計した。
古墳の向きであるが、本来2号墳は石室の入口が南を向いている。しかし復元では園路に入口の向きを合わせる都合上から、北西向きとなってしまった。
土盛りは重機を用いたが、基礎部分は開館プレイベントとして一般の参加を得て、人手で築いた。墳丘の表面には芝を貼った。調査成果によれば葺き石もなく、土が剥き出しの状態であったと推定されるが、盛土の保護のため芝貼りとした。古墳の周囲2mにも、周溝の表現として芝を貼っている。
石 室 石室は鉄筋コンクリートの覆いの中に、FRPで製作し、設置した。底面には遺構と同様、白河石(凝灰岩)を使用している。石室の製作にあたっては、2号墳とほぼ同寸、同形状と記録のある笊内4号墳の石室が東村に保存されていることから、これを計測し、石の質感・色彩等も参考にした。木棺を入れ、来館者が覗く都合上から、実寸よりも若干「胴張り」を強調してある。
石室内には木棺が展示されている。2号墳の石室からは銅釧や玉類などの装身具が出土している。にもかかわらず棺が出土していないため、木棺があったのではと推定した。棺の寸法や木の組み方は、平安時代の「吉事略儀」や近つ飛鳥博物館の復元木棺を参考にした。