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 春のてんじ案内  


<大猿田遺跡からみつかった木製の鍬>
を時代ごとにご紹介し、磐城郡内に存在する古代の生産遺跡に焦点を当てた展示を企画しています。
 生産遺跡としては、いわき市四倉地区の仁井田川上流域に、須恵器・土師器窯、製鉄炉跡、木炭窯跡などが発見された複数の遺跡が存在します。特に、そのうちの大猿田遺跡では磐城郡の官営工房として、農具、武具などの木製品を作っていたと考えられています。遺跡からは未完成の木製品とともに、官営工房を裏付ける木簡や墨書土器が出土しており、貴重な木質遺物や文字資料がご覧いただけます。
 以上のような展示を予定しておりますので、どうぞ、「春のてんじ『新編陸奥国風土記−巻之四 磐城郡』」に足をお運びください。

   新編陸奥国風土記
    ―巻之四 磐城郡ー
 期間 3月12日(土)〜5月15日(日)
 まほろんの春のてんじは、平安時代に編纂された「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」に記載された古代の郡(こおり)にあたる地域ごとに、当館で収蔵される資料をご紹介しています。
 今回は「巻之四、磐城郡」といたしまして、現在の勿来地区を除いたいわき市から双葉郡大熊町までの地域を取り上げます。
 古代の磐城郡は、平安時代の終わり頃に楢葉郡が分かれますが、それまでは福島県浜通り地方の南半分にあたる広大な地域をひとつの郡として治めていました。そのような地域で当館の収蔵庫に保管されている資料は、主に常磐自動車道路を建設するため事前に調査を行った遺跡のものです。福島県教育委員会では、いわき市四倉地区以北の高速道路の沿線上にある遺跡について発掘調査を行っています。
 そのため当館が収蔵する資料は磐城郡内でも北側部分のものに限られますが、当時の人々が生活した様子がうかがわれる多くの遺跡が見つかっています。
 今回の展示では、古代末に楢葉郡として分立する双葉郡楢葉町を中心とした遺跡
 まほろん研究ノート



<「冠をかぶった男子」と「弓?楽器?」泉崎村原山1号墳(福島県立博物館蔵)>
でも、音量に大きな変化はみられませんでしたが、琴の ように箱造りにすれば、また変化があるかもしれません。音質はやはり現代の琴に近いものでした。
 バイオリンのように右手の弓で弾いたのかもしれませんが、どの埴輪の例も右腕は失われており、残念ながら弾き方ははっきりとしません。今後、各地の調査や研究により新事実が得られれば、私たちの前に当時の未知の楽器、ひいては音楽そのものが復元される日がくるかもしれません。       (主任学芸員 木村直之)
<参考文献>
『琴か弓か』上松本遺跡速報展 東松山市教育委員会(2004)

   古墳時代の新たな楽器?
 今年のまほろん「秋のてんじ」の中で、当時の芸能や習俗を示す代表的資料として、泉崎村原山1号墳の埴輪を展示しました。その中に「冠をかぶった男子」と呼ばれている埴輪があり、左手は手のひらを上に向け、何かを持ち上げるように指を曲げています。肩にも剥がれたあとがあり、何かを担いでいたようです。この埴輪が何を担いでいたのかは不明でしたが、平成14年に調査された埼玉県東松山市下松5号墳から出土した埴輪から、それがわかってきました。その埴輪の左肩には、長台形の板に弓のようなものを貼り付けたものが乗せられ、似た例として原山1号墳の埴輪も紹介されたのです。
 以前から、この弓と板のような道具については、弓そのものとする考えと、琴のような弦楽器とする、二つの意見がありました。まず、これを弓とするならば、板はどう考えればいいのでしょうか。確かに粘土で弓を表現する上では、強度面で台が必要とも考えられます。しかし、側面に段が付いたり、線が刻まれる例もあるなど、弓と板とで一つの道具のようにもみえます。まほろんではこれを弦楽器とする意見にもならい、木の板に弓を括り付け、音を鳴らしてみました。その結果、弓だけではほとんど鳴らなかった音が、共鳴により大きく増幅されることがわかりました。共鳴板の厚みを変えて比べた場合

 

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