〔40〕 まほろんの復元展示 鈴木 勉
1 まほろんのオープン
2001年7月15日まほろん(福島県文化財センター白河館)が開館した。体験型フィールドミュージアムと銘打っているこの展示施設は、展示の案内に次のように大きく見出しが作られていた。
「実物と復元品を一緒に展示しています。復元品には触れることもできます。」
福島県と私たち研究会の共同研究の成果品が、常設展示のあちこちに並べられている。これまでの博物館展示であれば、ガラスの向こう側や、太いロープで仕切られた空間に「展示品にはお手を触れないでください」と書かれたプラカードと共に鎮座していたであろう金色に輝いた金銅製品や木製品に子供も大人も手にとってみたり、馬にまたがったりしている。その表情は年齢を問わず好奇心にあふれていて、これまでの博物館とは大分雰囲気が違っている。人々はものに触れ、重さや質感を味わいながら、古代人に語りかけたり、古代人からのメッセージを受け取ろうとしているように感じられる。その表情がまほろん全体の雰囲気を作り上げている。
私は、これまで復元研究の行為を「復元を通して古代の工人と対話する」のだと機会あるごとに話をしてきた。それを技術者の特権だとばかりに自慢していたかもしれない。ところが、まほろんで復元品に触れ、鞍に跨った子供たちやそれを支えるお父さんやおばあちゃんの顔を見ているうちに、私はうぬぼれの鼻をへし折られたのである。他の人とコミュニケーションが成立した時の誰もが見せる喜びの表情と同じ顔を彼らはしていた。そのとき彼らは確かに古代人とお話ができたのだ。
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図1 まほろん展示場にて |
2 記憶すること、感動すること
私たちの「頭」の中にある記憶は、何がきっかけになってよみがえるのだろう?名称であろうか?映像であろうか?形であろうか?と私は常々考えている。記憶は「頭」の中にあると考えられることが多い。「頭」の中にあるとすれば、それは、文字であり、言葉であり、映像であるのだろう。でも、ほんとにそうなのだろうか?
人は他の人に何かを伝えたり、教えたりするとき、もっとも効果的な方法を考える。効果的にとは、より判りやすくということが多いのだが、それだけではない。同じように大事なことに、深くしっかり記憶してもらうことがある。
私はもっとも効果的な記憶法として「感動」を挙げている。「感動」というのは必ずしも大きな喜びや驚きばかりをいうのではない。わずかでも「こころが動くこと」をいう。体の内側からわき出てくる喜び、悲しみ、懐かしみ、親しみ、驚きを「感動」とすれば、それはささやかなものであっても、一瞬のこころの動きにすぎないものであっても、私たちの記憶から決して消えることはない。私も20年前に初めて手にした銅鐸の「軽さ」、鋳型の砂の冷たさ、初めて日本刀を削ったときの鋼の柔らかさ、初めて飲んだ山の水の冷たさとおいしさ、などなど、きっと死ぬまでその記憶が失われる事はないだろうし、その確かさもほとんど変わらない。それに比べて文字や映像の記憶のあいまいさはどうだろう?それとは全く比較にならない。昨日あった人の顔が思い出せない、10年もお付き合いのある人の名前が思い出せないなど、そうしたことは日常茶飯事のことだ。
銅鐸の「軽さ」や、日本刀の鋼の柔らかさは私の手に残っているのだ。両手を胸の前に置けば、その「軽さ」や「柔らかさ」は昨日のように蘇ってくる。でも、この感触を他の人に正確に伝えることは決してできないだろう。人にとって触れることの大切さを強く感じる。
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図2 馬に装具を仮組みする伊藤さんと山田さん |
(工芸文化研究所にて) |
3 復元研究の仲間たち
まほろんの展示場に並ぶ復元品の数々を見て、福島県が私たちに研究の機会を与えて下さったこと、復元展示の目指す方向を丁寧に教えて下さったこと、調査の機会をふんだんに与えて下さったこと、研究調査のための議論に制限なくお付き合い下さったことがいちどきに蘇ってきた。期日や仕上がりに対する緊張感の中で、時に忘れてしまいそうになる事ばかりである。改めて感謝したい。そして、復元研究を一緒に担ってくれた研究会の熱心なメンバーに巡り会えたことにも心から感謝をしたい。
この膨大な課題を持った復元研究の機会は、生涯にそう何回もあることではない。報告書作成までの丸3年という歳月は、これだけの研究課題に対してはあまりにも短すぎる。しかしながら一方で、福島県の研究者の方々や研究会の仲間たちの3年間という貴重な長い時間をいただいてしまった。その時間は、私たちの研究生活を意味づける点で計り知れないほどの重さを持つ。この3年間の研究機会と仲間たちとの共同作業を何よりも大切にしたいと私は考えている。
この報告書も、限られた時間の中で企画し、執筆者の方々には相当な無理をお願いした。そのほとんどの原稿が、当初の目論見の半分もまとめきれないままに締め切りを迎えたに違いない。そういった点で必ずしも十分な研究報告書とはなり得ていないかもしれないが、今後も続く福島県との共同研究で、その不備を補っていきたい。
4 さいごに
古代技術の復元研究を通して、古代の工人と対話をする。その復元成果品を通じて現代の人々が古代の人々との会話を楽しむ。そうして古代社会の人々の暮らしぶりが姿を見せるだろう。
まほろんが目指した大きな目標に、私たちの復元研究が多少でも貢献できたらこんなにうれしいことはない。
福島県の研究者の方々と古代技術の復元研究を始めて、早4年目に入ろうとしている。お互いに無理を承知でお願いしてきたことがたくさんある。そのやりとりの中で、意見をぶつけ合ってきた。私たちはささやかな心の動きである「感動」を最も大切にする同じ穴の狢であったのだ、と今私は確信している。