〔33〕 真野古墳群A地区20号墳出土金銅製双魚佩(乙)の復元製作  黒川 浩・鈴木 勉

1 欠落した文様の復元と図面の作製
 1999年4月10日、福島県立博物館で初めて2組の魚佩(甲、乙)を調査した。2組の魚佩は共に錆びていて、一方(乙)は頭部の上の飾りや尾が欠落していた。復元となれば、欠落した部分も想定復元することになるので、製作に入る前の文様の復元に時間がかかると思われた。実際に観察していくと、2組の魚佩に共通する点が多く、また、文様に一貫性があることがわかったので、じっくり観察すれば文様の復元も可能だと確信した。文様の復元は松林氏と相談しながら作り、実際の作図は松林氏にお願いし、森幸彦氏に確認していただいてから復元製作に入ることになった。文様復元と作図の過程は松林氏の報告をご覧いただきたい。

2 地金(銅板)の厚みの選択(甲と乙)
 本魚佩の製作技術上最大の特徴は、蹴り彫りで彫られた文様線の周囲の素材が盛り上がっていることである。それによって一種の立体感が表現されているように見える。製作者の意図があってのものと考えられるのであるが、製作者は素材のふくらみを出すために適正な厚みの銅板の選択にこだわったのではないだろうか。
 そのため、私たちは銅板の厚みを確実に計測することから始めた。福島県立博物館における二度目の調査のときに、松林氏が、0.4o、0.5o、0.7o、0.8oの銅板を持参して、見比べて計測した。実物に計測器を当てることができないときに行う計測法で、これを比較測定法という。
 出土品の横にそれぞれの厚みの銅板を置いて見比べたところ、0.4oでは少し薄く、0.7o、0.8oでは厚いようであったので、出土品の銅板は0.5o前後であったと考えた。
 また、その時の観察で、魚佩の裏面にある鏨痕の部分が梨子地(なしぢ)になっていることに気づいた。この梨子地を復元するのに多くの時間が費やさなければならなかった。蹴り彫りは素材を蹴るようにしてリズミカルに鏨が進んでいく技法である。リズミカルな鏨の動きを得るためには、銅板の素材や、鏨を打ったときに下地から受ける反力が大切なことは言うまでもない。リズミカルに鏨が進んでいけば生き生きとした鏨の動きが可能となり、文様線が豊かなものになる。そのため、技術者としては、銅板の厚みや下地の素材(鉄、木、松ヤニ、布、紙)にどのようなものが使われていたかについてこだわってみたいところである。

3 試作してみる
 0.5oの圧延銅板(研ぎ板)で、鉄板を下地にして蹴り彫りを打ってみると、少し堅い感じがした。そうして練習を繰り返しているところへ、同じ銅板にナマシ(一度火を入れて地金を軟らかくしたもの)の研ぎ板があることを知り、早速試し打ちした。すると、それまで一向に表現できなかった線や鱗の膨らみも出てきた。蹴りもリズミカルに打つことができるようになった。

4 試作に用いた蹴り鏨の作り(形状)

図1 蹴り彫りの鏨の「刃の先の角度」
図2 蹴り彫りの鏨の「刃の先の傾斜」


 試作には図1のような蹴り鏨を使用した。図1の「刃の先の角度」を小さくして鋭くすると蹴り彫りの線は細くなり、角度を大きくすると太く彫ることができる。
 下地から返ってくる反力が弱いときや強すぎるときは、「刃の先の傾斜」を加減して作る。「刃の先の傾斜」を90°以上にするとまっすぐ進みやすく、90°以下にすると直進性が劣るが丸や曲線などは打ちやすくなる(図2)。鏨は状況に応じて研ぎ直して使うので、同じ製品の中にも様々な線彫りの表情が現れる。真野20号墳出土魚佩の蹴り彫りも、いくつかの種類の鏨が使われている。一つは尾びれなどの直線的な線彫りをするたがねで、今ひとつは鱗などの曲線を彫る鏨である。1本の鏨を研ぎ直して使ったものか、2本の鏨を使ったものかは判断できなかった。
 また、刃の先端は滑りを良くするのと打った鏨痕を綺麗に仕上げる目的で鏡のように研ぐことが多いが、本遺物では鏨痕の表面までは観察できなかった。鏨の進みが良いことからすれば、鏡のように研磨されていたものと推定できる。
 復元製作には角度を少し変えた鏨を3〜4種作り、様子を見ながら時に鏨を取り替えて製作した。

5 何の上で打ったか(木・石・鉄)
 まず、厚い鉄板(鋼)の上に銅板を置いて蹴り彫りをしたが、鱗の膨らみを出すことはできなかった。次に鉄板を石に替えて試してみたがそれも同じであった。鉄板でも石でも出土魚佩の鏨痕の裏に見える微妙な梨子地模様が現れなかった。そこでケヤキの板に替えてみた。ケヤキの板では鱗の膨らみは出土品に近いものができたが、裏の梨子地がやはり出なかった。
 何の気なしに傍らにあった錆びて表面がザラザラした鉄板を下地にして打ってみたところ、出土魚佩の裏の梨子地模様とほぼ同じものが出来た。しかし、これでは鱗の膨らみが出なかった。そこで錆びた鉄板と銅板の間に上質紙を数枚挟んで彫ってみると、鱗の膨らみと同時に裏面の梨子地を表すことができた。古代の下地の素材などははっきりとしたものを規定できるものではないが、古代の工人も同じような苦心をして、鱗の立体感を実現したのではないだろうか。

6 蹴り彫りを進める手順
 最初に5p四方位の大きさの銅板(厚さ0.5o)に、魚佩の文様の一部を写して蹴り彫りをしてみると、アバレて(地金が歪んで加工硬化し)しまった。次に四方を(シャコ)万力のようなもので押さえて蹴り彫りをしてみたが、今度は万力が邪魔になって自由に鏨を動かすことが難しくなった。そこで、接着剤を使って銅板を固定し蹴り彫りすることにした。
 蹴り彫りを進める順番は、背鰭から尾鰭、鱗と、外から中へと打って行った。鱗、尾鰭、背鰭の順のように内から外へ打っていくと、銅板がアバレてしまって背鰭や尾鰭が打つことができなくなる。外から中へ打っても少しアバレるので、銅板を布で挟んで木の槌でたたき歪みとアバレを直した。それを2〜3回繰り返して打ち上げ、最後は糸ノコで透かして、ヤスリで仕上げた。

7 さいごに
 真野20号墳の魚佩を作った工人は大変手慣れた彫刻技術者で、鏨の動きは大変なめらかで、躍動感が表現されているといえよう。管見の他遺跡から出土した魚佩と蹴り彫り技術という観点では同じものや同じ手のものはない。とはいえ大変手慣れた技術者であるので、似た金工品がもっと作られていたのであろう。魚の目にガラス玉象嵌の痕跡もあり、羽曳野市峯ヶ塚古墳との技術的連関も考えられる。今後の研究を待ちたい。