〔29〕 笊内古墳群出土銅芯銀箔張り鍍金耳環復元製作実験    高橋 正樹

1 観察と計測
 1)使用工具及び観察方法
 計測にはノギス、テープメジャー、定規を使用。観察にはルーペ、肉眼観察に加えX線透過撮影フィルムも参照した。更に元興寺文化財研究所に分析を依頼、渡辺智恵美氏にも御教授いただいた。

 2)観察と計測
 笊内古墳群出土の耳環4点を観察、表面は部分的に緑色、黒色の錆に覆われているものの、金色の部分を残すもの3点。1点は錆が点状に付着しているが、きれいな金色を呈している。
 4点とも開口部には箔の折り込みを確認。断面形状は楕円になっており、開口部周辺と中心部では、楕円の扁平が開口部のほうが強いことが計測によって判明。また、詳細に観察をおこなったところ、開口部周辺のカーブが中心部と異なり、全体的にはおむすび型の形状を有することが確認できた。様々な報告例から環の内側にあると推定される箔の合わせ目は、肉眼では確認できなかった。破損部分もほとんど無く、断面の構造は観察できないが重さから中空耳環ではなく中実耳環と判断した。
 なお元興寺文化財研究所の分析結果と以上の観察から、「古墳時代耳環考」(西山めぐみ)に照らし合わせ、銅芯銀箔張鍍金中実耳環と判断した。

2 考察
 復元実験において、銅芯を曲げる加工方法と銀箔を張る工程のタイミングがポイントとなった。
 先ず、銅芯を曲げる加工方法については、大別して二つの方法が推測できた。

@スパイラル状に曲げた後、切断加工(写真1)……量産に適す
                        開口部周辺の切断及び仕上げの難
                        あり形状がきれいな真円
A単品を寸法取りし、切断後曲げ加工(写真2)……一品ずつ製作
                        開口部周辺の切断及び仕上げの利便性
                        形状はおむすび形
 @の方法は現在でも、同寸の丸環を多数製作するときに広く用いられる加工方法である。しかし実験の結果、スパイラルに曲げる工程において芯棒を用いて巻き付けて加工するため、出来上がったカーブがほぼ真円となり、資料の有するおむすび形の特徴と合致しないことが判明した(写真3・4・5・6)。また@の加工方法を使用すると、銀箔を張る工程は資料の開口部の銀箔の巻き込みからも推測出来るように、既に曲げ加工された銅芯に行われることとなる。しかし、既に曲げ加工された銅芯に、合わせ目と推測される環の内側まで箔を巻き込むことは、様々な厚みの箔を使用し実験したが不可能であった。更に箔をあらかじめU字形に加工しても試みたが、結果は同様で、環の内側まで巻き込むことは形状的に不可能と判断した(写真7)。
 以上の実験結果よりAの加工方法の可能性が強いと判明、復元実験に取り組んだ。

3 復元実験
 1)銅芯
 観察と計測から実験には径3.6oの純銅の丸棒を使用。現在、線材は線引き板(引抜き板:穴を鉄製の板材に開け、段階を踏まえて線材を引き抜いて製作する方法)を用いて製作するのが一般的であるが、今回の復元実験においては型鍛造(鉄材にかまぼこ状の溝をつけ、それを型として金鎚で鍛造し、丸棒に成形する方法)の材を使用した。熟練すると両者の成形品は寸法上、判別は困難である。同じ古墳から出土した同型の耳環の微妙な寸法の差異は、どちらかといえば誤差の大きい型鍛造の可能性が高いと判断した。
 先ず上記の工程により製造した丸棒を、鏨を用いて寸法どおりに切断し、ヤスリ加工を加え、最終的な仕上がり形状を考慮して切断面を斜めに成形した(写真8)。

 2)銀箔
 銀箔は圧延ローラーにて0.2o厚に延ばした純銀の板材を用意した。古代では金鎚により打ち延べたと推定される。銀箔の厚みは資料からは計測できず、厚みに関しては様々な報告例があるが、今回の実験では鑞付け時の侵食に耐え、後のヤスリ加工の厚みの減りも考慮して、0.2o厚を採用した。この厚みは鑞付け後のヤスリ加工を前提に算出した数値であるが、鑞付けの熟練、および安定した環境の設定によって厚みを更に薄くすることは可能であろう。

 3)鑞材
 成分分析については非破壊のため中間層は確認できないが、銀箔を銅芯に張ってから曲げ加工するには、両者はなんらかの状態で密着している必要がある。成分分析の結果と製作上の融点の関係から推定し、銀と銅の二元合金をつくり鑞材とした。この合金を用いることにより、成分上は銅芯と銀箔の中間的な合金となる。いろいろな割合で試した結果、銀:銅=6:4の使用感が良いため採用した。銀箔の銅芯への接着には、鑞材が認められなければ、他に鍛接・溶着・拡散結合(クンブー:韓国の伝統技法で有名。金属を焼鈍するぐらいの温度まで加熱し、篦などにより押さえ付けて接着する技法。溶着とは異なる)などが推定される。「耳環小考」(渡辺智恵美)には鑞付けではなく鍛接とされる資料の報告もある。しかし、銅は加熱すると酸化膜が形成されやすく、耳環の形状を考えると、鍛接ないし溶着可能な安定した作業環境の設定は極めて困難である。現時点では問題点を克服する方法が特定できないため、今回は鑞材を使用した可能性のみに絞り、復元実験をおこなうこととした。また、引き抜き板の存在が確実であれば、工程の一部にこれを利用した製作方法も可能性があり、興味は尽きない。
 今回の鑞付けは技術的に高度なものとなった。形状が丸棒の立体物という点と、鑞材が箔を巻き込むため内側に隠れて加熱時の状態の変化を観察できない点、また加熱時における箔の膨張などが大きな理由である。加熱が過ぎると、箔が鑞材に侵食され表面がただれてしまう。加熱があまいと芯材と箔が密着していないため、曲げ加工の段階で皺ができたり、芯材の湾曲に耐えきれず亀裂がはいる(写真9)。安定した作業環境の設定を工夫していた可能性が高い。

 4)製作工程
 まず両端を斜めに切断しやすり加工した銅芯に銀箔を内側に合わせ目がくるように巻き、鑞付けする。開口部にあたる銅芯の両端を飴玉を紙で包むように箔をねじって固定することにより、加熱中、巻いた銀箔が開いてしまうのを防ぎとても都合が良いことが復元実験によって判明した(写真10)。鑞付け後銀箔の合わせ目をヤスリ加工によって消し、開口部となる両端部分から木槌を用いて曲げていく(写真11)。鑞付け時に加熱された銅芯は焼鈍されており、曲げ加工は容易である。その後、全体を耳環の内径と同寸の芯金を使用して、木槌を用いて環状に成形してゆく(写真12)。この工程で作業することにより、資料の有する銅芯の断面における楕円形状や全体のおむすび型の特徴などを得ることが出来た。この工程は現在、板材もしくは棒材から指輪を製作するのに多用される技法である。仮に中央部から曲げ加工を施し、開口部となる両端部分をそのカーブにあわせるよう湾曲させる工程をとると、両端部の曲げ加工には強い圧力が必要となり、銅芯の断面形状の扁平が促進されてしまう。また環の内側には芯金を用いて曲げた痕跡が強く残るはずである(写真13)。
 環状に成形する段階で銀箔の鑞付けに少しでも不備があると、環の内側に若干の皺がよる。この皺は篦がけによりほぼ消すことが可能だが、資料からもこの現象の面影とおぼしきものが認められる。又、鑞付けにより銀箔が侵食された箇所も、資料から同類の小さい窪みを確認できた(写真14・15・16・17)。
 銀箔を固定するための端の巻き込みや、鑞付け時の加熱による焼鈍を利用した曲げ加工など、利に叶った無駄の無い工程に、当時の工人の高い技術レベルを感じることができた。

 5)鍍金
 純金(24金)を使用し、水銀と化合しアマルガムをつくる。これを品物に硝酸水銀を塗布したのち表面に塗り付け加熱し、水銀分だけを蒸発させ金を定着させる。硝酸水銀は金の定着をよくするために使用したが、梅酢を用いる方法もある。当時は、鍍金をするときは梅酢に近いものを使用したと推定される。また銀に関しては下処理が無くともアマルガムの定着はよく、また銅の下地よりも金の発色がよく、少量でも効果が得られるため銀箔を張ったのではないかと推定される。鍍金は薄いと年月が経つにつれ色褪せるため、銀環として報告されているものの中にも金環の可能性があることを付け加えておく。

 6)仕上げ
 これまで様々な論文において、篦磨きについては記述されているが、製作の立場から今回装飾的な観点だけで無く、耐久性についてもその必然性に触れておきたい。
 現在でも篦磨きは宝飾品製作において多用される最終仕上げ技法である。製作段階において鑞付けや成形のため何回も加熱・焼鈍を繰り返した金属は柔らかく、少しの衝撃に対しても容易に傷付くため、表面を丹念に篦がけすることによって、加工硬化による耐久性をつけることが望ましい。篦がけにより表面の金属組織が密になった品物は、最終研磨による光の反射も強くなる。また鋳物に対しては、小さな鬆(金属を流し込む段階で出来た小さい空洞)であれば潰して埋める事も可能である。鍍金をした品物は、そのままでは表面に金の粒が付着した状態であるため、きめが荒く艶が無い。当時の金の色艶に対する憧れから篦磨きは必然であろう。古代において既に篦磨きの技術が完成されていたことはとても興味深いが、製作の立場から考えると理に叶ったとても自然なことと受け止められる。