〔25〕 笊内21号横穴墓出土刀子と装具の復元について 清喜 裕二
筆者は考古学の立場から、刀子に関する復元作業のうち、刀子本体とその装具についての基本的な復元案の作成を担当した。以下に、その復元案の作成過程を述べていくこととするが、通常、考古学の報告書のための実測が多かった筆者にとっては、実際の復元製作担当者から意見を聞く中で、復元製作用の図面がどういうものかということについて、多くの教示を得る結果となった。よって、その過程で考えた点についても述べてみたい。
1 復元対象品の所見と問題点
まず、復元案の作成にあたって、他の復元対象品の資料調査と同じ機会に、刀子の復元対象品に対する観察記録を福島県立博物館において行った。刀子の復元の対象となったのは笊内21号横穴墓出土品であり、図2−1に示した。現存全長13.8pを測り、うち刃部長9.6pで茎長4.2pである。最大幅は関部で1.7pを測る。現状は刃先を僅かに欠いている。刃・茎とも湾曲は認められず、ほぼ直線である。また、刃は明瞭に作り出されている。刀子本体の所見は以上であるが、装具についてはその痕跡がほとんど認められず、わずかに茎に木質が付着していることから、木製の柄であったと考えられるのみである。茎に目釘孔は認められない。
以上が刀子に関する概要であるが、復元対象となった他の多くの金工品とは異なり、対象品そのものから得られる情報が極めて少ない点が大いに問題であった。刀身本体の場合はとにかくとして、装具については柄に関して木材が用いられたと考えられたこと以外、鞘の有無やその材質・形態など、直接対象品の検討から復元案を作成することはできないと判断された。よって、他の古墳出土の刀子で、装具も含め遺存状態の良い資料を参考にすることとした。この場合、本来ならば古墳時代の刀子について体系的に整理して、時期によって形態や素材に一定の傾向が認められるかどうかを検討したうえで、対象品の属する古墳時代後期の特徴に沿って復元案を作成することが望ましいと考えられたが、そこまで網羅的に検討する時間的余裕もなかったので、当面管見に触れた資料を中心に検討した。検討材料としては、なるべく後期古墳出土品を選ぶようにした。
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図1 装具がわかる刀子の例
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2 類例の検討
復元案のために必要な情報としては、鞘・柄の素材とその形態が主たる要素となる。一般に、刀子の装具に使用される素材は、鞘が木材か革、柄は木材か鹿角がもっとも多く知られている。
これは特に石製模造品に顕著であるが、鞘は革製で形態も突出部をもつものにほぼ統一されていると言ってよい。特定の意味があったと考えられるほか、幅広く使用されていたことも示すと思われる。柄については湾曲するものが多く認められ、その素材は木材・鹿角の両方が考えられるが、実際に出土する湾曲のある柄の資料は、鹿角が多数を占めることから、表現された柄は鹿角製であると考えて差し支えないと思われる。さらに、鹿角製の柄は、比較的長い物が多く、刀身と同じかやや長めのものも珍しくない。この、特に石製模造品で表現されたと見られる刀子装具の素材や形態は、古墳時代を通じて、それ程著しい変化は認められないようである。
一方、石製模造品ではなく実物としての出土例を見てみると、鞘の遺存する例は僅少であり、柄に関しても、木製のものは少なく、多くは鹿角製である。これは木製の柄が少なかったのではなく、より鹿角の方が遺存しやすかったこと示していると思われる。なお、木製の柄の場合は鹿角製のものほど顕著な湾曲は認められない。また、装具の状況が良いものは、概して石棺内や横穴墓内出土のものが多い。その中で、特に遺存状況がよい資料として、滋賀県鴨稲荷山古墳出土例(1)と福岡県桂川王塚古墳出土例(2)が挙げられる。両者はともに、鞘・柄が良好に遺存し、時期はまったく笊内例と同じというわけではないが、後期古墳でもあることから参考にすべき点が多い。鴨稲荷山例(図1−1)の鞘は、2枚の材を合わせ、糸で巻いて固定する構造となっている。柄は茎部分を木材で挟み、その上に鹿角を被せている。最終的に鞘ごと鹿皮の袋に納められていたと報告されている。桂川王塚例(図1−2)は、3点出土したうちの、もっとも遺存状況が良いもので、笊内例の約2倍程度の大きさがあり、単純に比較できるかどうか問題はあるが、報文によると、鞘は2枚の材を合わせており、最終的に獣毛のある皮で包んでいる。また、柄は茎を木材で挟んだ後、鹿角で加飾してあるという。この構造が鴨稲荷山例と同巧であることは報文でも指摘しているところである。よって、大きさの違いで、装具の構造が截然と区別されるものでもないことがわかる。
以上のように、復元対象品から直接的に装具に関する情報が得られなかったため、不備は多いながら、他の資料の状況を確認してきた。その結果、もっとも複雑な構造をもつものは鴨稲荷山・桂川王塚例で、その他は概ね簡
fな作りであったことが窺われる。
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図2 刀子の復元案
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装具の復元案を図2−2に示した。失われた刃先は復元し、鉄身部全長は14.3pとした。装具については、そもそも復元対象品において既に不明であるため、特定の資料をもとにするのではなく、全般的な傾向を採り入れることにした。
まず、柄であるが、木質の付着が確認されていたことから木製とした。鴨稲荷山・桂川王塚例から、さらに外側に鹿角が用いられていた可能性がないわけではないが、木材より概して遺存状況が良い鹿角の痕跡が見出せないことから、純木製の柄であったと判断した。形態については、鹿角の場合、基本的に湾曲する形態に復元できるが、木製では湾曲する形態が主流であるとは言い難いため直線的な形態を採用し、長さも鞘の3分の2程度に押さえた。柄頭に向けてやや幅を減じる。断面は長楕円形とし、茎の固定は目釘孔がないことから、直接柄に差し込む方法とした。よって柄は一木である。
鞘は、刃部の挿入部分をくり貫いた2材を合わせた。鞘口には方形突出部を設け、孔を一つ穿った。この点については、石製模造品の表現の他、正倉院の刀子の鞘を参考にした。鞘材の合わせは鴨稲荷山例を参考に、糸巻きで固定することとした。断面の峯側は丸みを持たせ、刃側は隅丸の端面を設けた。
以上、装具を付けた状態での復元全長は17.3p(鞘10.6p、柄6.7p)を測り、方形突出部幅は3.3pとなった。
4 復元製作用図面の作成に関して
冒頭に述べたように、筆者は実際に復元品製作に携わるわけではなく、いわば復元製作用の設計図を提示する役割を担うことになっていたわけだが、実際にその図面を作成するにあたって、復元製作者側の求める図面と、当初筆者が考えていた図面とに大きな違いがあることが明らかとなった。つまり、製作者側の求める図面は非常に細かい形態の変化に至るまでの図示と注記であり、それに比較すると筆者の提示したものは通常の実測図の域に止まっていた。最終的に、十分な設計図を提示できないままに終わってしまう結果となったため、この点が今回の作業の大きな反省点のひとつとなっている。端的に言ってしまえば、考古学で通常作成する実測図が、そのまま実測対象の遺物を復元する際の設計図となるかどうかということである。これについては、製作者と設計図作成者が異なるそのことにおいて、既に含み込まれた問題と言うこともできるが、個人的には、通常慣れ親しんでいるため機械的になりがちな実測という作業について、改めて考えるよい機会でもあったので、少しそのあたりのことについて述べておきたい。
まず、一つには、考古学で通常作成している実測図は復元の設計図ではないという立場があるだろう。つまり、目的が異なるので、当然図面としてまったく異なるものができるという考え方である。
また、それと同時に、通常作成している実測図が、設計図を兼ねることができるという考えがある。振り返ってみるに、明らかに筆者には後者の思い込みがあった。平面図に幾つかの断面図、これで復元製作ができるのではないかという、極めて安易な思い込みであった。もちろん、自分自身が製作まで行うのであれば、それでもよかったと言える。おそらく製作を進める中で細かい点は修正していけばよいし、自分で決められるのである。そういう意味では、作業効率という側面から見るならば、設計図作成者と製作者は同一であることが望ましいということになる。また、単なる製作者側と設計図作成者側のコミュニケーション不足ということにもなるかもしれない。この点についても、個人的には大きな反省点として捉えている。
しかし、製作者側から求められた、ミリ単位での形態の微妙な変化の図示あるいは注記という問題は、単に復元製作用の設計図の枠にとどまるものではない。研究の側面からも、今一度顧みるべきものであろう。現在、膨大な発掘調査によって、様々な素材・形態の遺物が知られ、実測図の表記も整理・画一化がなされている。実測図の作成自体、情報の共有という意味でも記号化する作業であり、それはそれで重要である。一方、実測図だけでは得られない情報も数多く、そのため資料調査を行い、この目で直に資料に触れ、確認するという過程は、普通に考古学に携わっている者であれば、少なからず経験のあるところであろう。画一化された表記では示し切れないものを、どのように実測図に反映させていくかが、今後の研究で問われてくるのではないだろうか。実測図の作成にあたっては、まずその対象をつぶさに観察することから始まる。その時、何が重要で、何を表記すべきかを実測者が明確に認識する必要があり、それは実測者の研究視点と理解力に大いに左右されると言えよう。言い換えれば、観察の過程で、どのような実測図として仕上げるのかという、仕上がりに対するイメージがどこまで明らかであるかということである。よって、必ずしもある遺物が1枚の実測図ですべて表現されるわけではないし、復元製作用の設計図もその中での一形態ということができる。特に、復元製作用の設計図の場合、製作工程・製作技術を示す痕跡の的確な把握がなされたうえで作成される必要がある。どのような素材で、どのような形態をした工具がどの段階で、どのような角度で使用されたかなど、非常に細かい点までの観察が求められることになろう。
今後、技術的裏付けをもつ復元製作者側の観察と、類例資料などの蓄積をもつ考古学研究者側の観察がうまく噛み合っていけば、実測図面と復元製作用の設計図面の位置付けもより明確になり、通常の実測図面の内容もより濃いものにしていけるのではないかと考えている。
技術の復元は、出土遺物に残された痕跡についての正確な観察に基づくことに始まると言えよう。出土遺物の観察の基本は、製作技術の検討であり、これはとりもなおさず、その出土遺物の製作工程を「辿る」作業である。製作技術に関する要素の検討が的確に行われ、製作工程の筋目を正しく辿れば、その出土遺物に与えられる様々な想定の中から、技術的には成し得ないことに基づく想定を順次排除していけるため、研究の方向性としても論理性が高いと考える。
註
(1) 濱田耕作・梅原末治 1923『近江国高島郡水尾村の古墳』京都帝国大学文学部考古学研究報告第8冊 京都帝国大学
(2) 梅原末治・小林行雄 1940『筑前国嘉穂郡王塚装飾古墳』京都帝国大学文学部考古学研究報告第15冊 京都帝国大学