〔22〕 笊内26号横穴墓出土大刀の復元経過について     押元 信幸

1 製作工程
 刀の刀身以外の部分は、現在は拵えと呼ばれる。拵えは普通刀身の部分を鞘、茎の入る部分を柄に分けることができる、一般には拵えを鞘と呼ぶことも多いので、ここでは鞘と柄の部分を合わせて鞘と呼ぶことにする。
 現代の刀作りに於いては、鞘師が作刀全体をコーディネイトする役割を担うことが多いと聞く。しかし当時の大刀は、刀身・金具・鞘の順に製作したのではないかと考えている。理由は鞘の加工時に観て取れる、ほとんど木のことを考えないほど、極端に薄い木鞘の厚みで出来ている事からである。
 今回大刀の復元工程は先ず、当時の形を推定できる、金具類と刀身の計測値を基に復元図を起こして、刀身に合わせて鞘を作り、金具類に合わせて鞘の表面を加工した。この工程は復元工程のみならず、当時の製作工程もほぼ同じではないかと考えている。今回は以下のような順で製作した。
@ 金具と刀身の計測値を元に図面を製作した。
A 図面を元に刀身を製作した。
B 金具類を作った。
C 鞘を製作した。
D 柄部を製作した。
E 組上げを行った。

写真1 鞘尻金具に切先

2 木部の寸法の割りだし
 26号横穴墓出土大刀は遺物の状態では、柄の形状が想像できる箇所がなかったので、正倉院宝物の黒作大刀(第13号)や銅漆作大刀(第9号)を参考に全体のバランスを決めた(1)。また鞘の長さは鞘尻金具の中に切先が残っていることから寸法を決定して、全体の刀装の長さを決定した(写真)。
 実施図面は、菊地氏に依頼したので、細かい点は菊地氏の報告(2)にゆだねる。

3 (はばき)の役目
 のない大刀は、刀身をの代用とする事になる。に合わせて鞘を作る以上に、鞘の内部の削り調整が難しくなる。これは刀身がの様に切先に向かって形が閉じていくような形に、なっていないためである。
 これでは鞘の本体である木材の性質上、外気の変化に合わせて収縮をするので、刀身の入り具合が一定にならないということが起こる。
 実際に納品する前日には刀身の鞘への納まり具合に問題なかったものが、納品したその日にはきつくて鞘に収まらなくなってしまった。この点は、の無い大刀の重要な問題点である。
 今回のない笊内26号横穴墓出土大刀のような大刀は、古墳時代に於いても多くは確認されていないが、以前に復元した島根県鷺ノ湯 テ墳出土の銀装大刀(3)も同様にが無く、両者とも鞘元金具と刀身の幅が、ぎりぎり入る寸法でできていることが類似点であった。

4 錆の発生は
 現代の作刀では、ほとんどのない刀はない。は、刀身が鞘の中で木に触れないように(実際には棟の部分は接する事もある)維持し、錆から刀を守るという役目を担っている。こういった意味に於いて、は刀身と鞘の適切な関係を作る役目を担っており、刀にはなくてはならないものと位置づけられている。
 博物館の展示品製作時における刀身の復元においての問題は、展示中や長期に亘る保管により錆が発生する、錆びた場合の処置が出来かねるといった点であった。今回の復元に関しては博物館の意向もあり、重量が鉄と同等で、錆の生じにくいステンレス鋼を用いて復元をする事になったので、言及するのは形の報告に留めたい。
 しかし、今回の復元された大刀は、目貫穴の部分も柄巻き漆塗りで作った。ということはすくなくとも刀身を現代のように白鞘に入れるような保管のしかたではないようである。

5 鞘木の材質と特性
 白鞘(休め鞘)などの鞘木に用いる木材には、現在一般的に使われているのが朴の木である。朴の木の特性としては軟らかであること、柾目が良く通っていること、脂成分が出にくいこと、などが挙げられる。
 しかし今回は樹種を確定できるほどの根拠は遺物に観ることができなかったので、推定復元とし、檜材を選んだ。その理由は出土例が比較的多く、なおかつ乾燥した状態で、入手しやすい木材であったからである。
 正倉院の黒作大刀では、X線透過写真による観察結果として、鞘の部分を針葉樹で柄の部分を広葉樹によって製作されるとされている(4)

6 木の特性として
 木の特性として針葉樹は、木を割った目が素直に通りやすく、鞘を製作する時半分に割を入れて刀身の形に掻きだし、また張り合わせるという作業を想定したとき、正目の通った針葉樹が適していたと思われた。また柄の部分に於いては、例外があるにしろ柄の形にくりぬいて柄の入る部分を製作することが多い、この工程の中では鞘に使われる針葉樹とは違い、簡単には割れにくい広葉樹が適していたと思われる。


7 鞘の製作法
 製作工程にはいる前に、肉眼での観察とX線透過写真での観察により内部構造を調べた。
この26号横穴墓出土大刀には非鉄金属の材質が確認できないので、刀装は鉄と有機質で組み合わせることと オた。
 現存長850o、刃渡り656o、刃元の最大幅が30o、関部の最大厚みが8oほどで、鞘尻金具、足金具が2点、鞘元金具、小さめの鍔が、鉄に錆が付着した状態で保存されていた。角棟平造り両関直刀で、茎部の茎尻の形状は刃上栗尻形で、刀身にはほとんど内反りがなかった。

写真2 足金具
写真3 足金具の復元品

 鞘尻金具は二つに割れてはいるが当時のおよその形状を留めていた。Uの字形に鉄板を鍛造し上の部分を蒲鉾のリングを鞘の形にあわせ、中に切れ刃造りの切先が残っていた(写真1)。
 特徴的な点は、2点の足金具が8の字を一筆で書くように細い鉄線で出来ていることで、鍛接や鑞付けで接合されている様子はなかった(写真2・3)。またこの大刀には、現代の刀のにあたるものが確認されなかったことは特徴であると思われた。

 1)金具と刀身の計測値を元に図面を製作した
 計測に於いては、樹脂製のノギスを用い、外側から計測した。又、金具の寸法を正確に測るため、薄い紙を巻き付けてその周囲を測った。その結果を参考に、X線透過写真と比較しながら錆の部分を考慮して復元寸法とした。実施図面を元に製作手順などを考慮に入れて、正確に採寸するように勤めた。

 2)図面を元に刀身を製作した
 刀身の寸法に代表されるように、錆の部分も含めて採寸しているので、金具類の計測値を考慮して錆の厚みのない状態を想定し、実施寸法を決めていった。
 材料は、SUS304材のステンレス鋼を使用して、鍛造で仕上げて、ヤスリ掛け、砥石の順で、研ぎあげた。最後に400番手のサンドペーパーで棟から斜め下方向に研ぎ目が残るようにした。
 波紋の表現はなく、実際に持って見ても危険がないように刃は付けていない。
 刃は安全上付けていないが、研ぎ方は鈴木勉氏の助言で稲荷山古墳の金象嵌の部分の研ぎと同じ程度で研ぎ上げた(4)

 3)金具類を製作した

写真4 足金具を装着
写真5 足金具の復元品

 鉄の材質は、すべて市販の材料JIS,SS400の生鉄を使用した。
 足金具2点の寸法は、厚みが約2o、鞘に巻き付く部分が最大幅約6o、紐通しの幅が最小で4oの蒲鉾状とした(写真4・5)。紐通しの部分は、左手に大刀を持ったときに体に向けて約15度傾けて製作した。
 1点の足金具は、鞘口から33oで止まるようにし、もう1点の足金具は同じく196oで止まるように一回り小さく製作した。この寸法は正倉院大刀の足金具の位置と、2本の紐で大刀を吊り下げた時の重量バランスから推定した。
 鞘尻金具は、厚み1oの鉄板をUの字に絞り加工したものを、厚み2o、幅5oの蒲鉾状の輪で止めている。この部分も接着はせずに、はずれるように製作した。内径の幅が13.8oとなり、非常に薄い印象を持った。
 鞘口金具は、最終的には漆の下になり見えなくなってしまうものではあるが、を持たないこの大刀にはなくてはならない金具である。寸法は厚み0.5o、幅17oの鉄板を鞘の形状に丸めた。
 鍔は厚み5.5o、内径が刀身の柄がぎりぎりに入る大きさで、刀身の関部分を利用して固定する構造した。外形は鞘の外形よりも2o程大きい長辺と5o程大きい短辺の外形とした。
 柄元金具の寸法は厚み0.5o、棟側の幅11o、刃側の幅12oであった。この点を考慮に入れて、柄の部分を若干棟の方に傾ける形にした。

 4)鞘の製作
 刀身に合わせて鞘を製作し、金具類に合わせて外側を加工した。この点は小西氏に依頼しているので、詳しくは小西氏の報告(6)に委ねる。漆の工程に入る前に漆の厚みの分の調整を行い、漆塗り工程は五味氏に依頼した(7)

 

写真6 柄頭の想定形状

5)柄部を製作した
 この大刀の柄部分が解る様な箇所は、遺物からは確認できなかったので、すべて想定による復元製作であった。当初の計画では、三つ編み紐を巻き、のち黒漆で固めるという、計画で進んでいた。しかし同時に製作を進めていた6号横穴墓出土大刀(遺物から糸巻きに黒漆塗りであった)と同時に展示する時、全て黒漆で塗り固めるよりも漆の工程を省き、糸を巻いた状況をそのままにして糸巻きの部分を見せるようにするほうが、展示品として良いのではないかと言う事で、絹糸を赤糸と白糸を交互に巻いた。柄頭の形状も推定であり、写真のように鳩目金具や覆輪巻きを木材で模刻した。柄巻の部分の形状と柄部を約2度棟方向に傾けて製作したことは、正倉院の大刀を参考にして、決定した(1)

 6)組上げを行った
 最後の漆塗りの工程に入る前に漆の厚みの分を考慮して、金具より少しだけ小さくなるように調整を行った。
 漆を塗り終えて、足金具2個を鞘尻側からはめた。鞘尻金具を組み立てて、同じように鞘尻側からはめた。後で取り外し出来るように、接着剤は使わずに固定をした。
 鉄部分にはすべて漆を焼きつけた。鞘元金具(漆で塗固めた内側に入っている)には遺物では繊維の確認があったが、今回の復元では漆の焼き付けをしたために繊維は巻かずに行った。

写真7 鹿革を装着

 柄頭と足金具の紐通しに幅9o、厚み1o、長さ300 oの鹿革を通して結んだ。これは正倉院の大刀を参考にして、決定した(4)

参考文献
(1) 正倉院事務所編 『正倉院の大刀外装』小学館刊 1977年
(2) 菊地芳朗『〔20〕笊内6号・26号横穴墓出土大刀の構造と復元案』本報告書所収
(3) 『神々の国 悠久の遺産−古代出雲文化展−92・93』古代出雲文化展実行委員会刊 1997年3月
(4) 西川明彦 正倉院編『正倉院紀要』第20号 黒作大刀外装 1998年
(5) 勝部明生・鈴木勉『古代の技 藤ノ木馬具は語る』吉川弘文館刊 1999年6月
(6) 小西一郎『〔23〕笊内6号横穴墓出土大刀鞘と柄の製作』本報告書所収
(7) 五味聖『〔24〕笊内6号横穴墓出土大刀の柄の紐巻きについて』本報告書所収