〔20〕 笊内6号・26号横穴墓出土大刀の構造と復元案 菊地 芳朗
図1 6号横穴墓出土大刀
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1 笊内第6号横穴墓出土大刀
1)大刀の現状(図1)
復元の対象となったのは、「笊内古墳群」(佐藤・玉川1979 以下「報告書」とする)において「直刀6−02」とされた銀装大刀である。報告書に簡潔な記述があるが、今回新たに判明した内容もあるため、重複する内容も含め改めて現状を報告する。なお各部の法量については復元図を参照していただきたい。
刀身 平背・平造りの鉄製直刀で、刃部・茎部ともほぼ完全に残る。刃部と茎部の境界である関は、背側と腹側から小さく均等に落ちる両関である。鋒はいわゆるフクラ鋒であるが、刀身の幅に比べて長さが大きく、鋭く尖った印象をみせる。茎の先端である茎尻は丸みをもつ栗尻で、この近くに鉄製目釘が1本佩裏側から打ち込まれている。
把 残存するのは把間装具の一部、鐔、、そして把木であるが、
は鞘口金具に呑み込まれているため、
の構造や法量は破損部分からの観察およびX線写真をもとに推定している。
把間は、縦断面が倒卵形と推定されたが、把握部の短径は欠損により不明である。また、把頭側がまったく失われているため把握部の長さも不明であった。把木の上に3本組の糸が間隔をあけて巻かれた後、黒漆状の樹脂が塗られている。把巻きの糸は、2本の細い糸に1本の太い糸がはさまれたもので、鐔から把頭の方向に巻かれたと推測される。
鐔は銅製の本体に銀板がかぶせられており、平面が倒卵形で把縁からのはみ出しが小さい喰出鐔である。
は鐔と同じく銅製の本体に銀板をかぶせたものであるが(1)、銀板は鐔と一体にかぶせられている。厚さ0.1pの銅板を倒卵形になるように巻き、刀身を通す孔をあけた蓋を鋒側に取り付けたと推測されるが、現状では筒部から蓋部へ曲面をもって続くように観察される。
把木は目が細かく通り、観察できる部分では明確な材の合わせ目を認めることができない。
鞘 鞘口金具、足金具2点(鐔側を「一の足金具」、鋒側を「二の足金具」とする)、そして鞘木の一部が残存している。
鞘口金具は、表面に緑錆が付着するため当初銅製と考えられたが、その後の観察から銀地に銅板をかぶせた薄板と推測された。鋒側では内部の鞘木と1.1p重複し、残る部分が空洞となって把装具を呑むことになるが、の長さが短いため、鞘口端が鐔に接
オて留まることで内部に0.5pの隙間が生じている。鞘口金具の鋒側には、一の足金具が上に重なっている。
一の足金具と二の足金具はほぼ同形同大で、銅製の本体に銀板がかぶせられている。表面観察からは吊手孔部の整形方法が明確でないが、足金具全体が鋳造された可能性は低いので、吊手孔部と責金具部が別々に整形された後、付け等の技術により接着されたと考えられる。吊手孔部は責金具部の対称軸からわずかに佩裏側に寄って取り付けられ、外面に2本の稜がめぐっている。責金具部の両端には沈線が1本ずつ刻まれている。
鞘木はごく一部が刀身に付着して残存するのみである。まっすぐに通る木目が観察される。刀身の背側と腹側にわずかに材の接着痕が認められることから、刀身を納めるよう内部をくりぬいた二枚の材を合わせた二枚合わせと考えられる。比較的残りのよい部分では樹脂状の皮膜が認められることから、鞘は白木ではなく、表面に何らかが塗布されたと推測される(2)。
図2 6号横穴墓出土大刀想定復元
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2)復元案とその根拠(図2)
大刀の編年的位置 金属製の装具を有する大刀は、6世紀前葉に出現して次第に増加し(3)、6世紀末葉以降は普遍的存在となる(4)。また、吊手孔付足金具の出現は6世紀後〜末葉と考えられているため、本例の年代はそれ以降であることが確実である。吊手孔付足金具における吊手孔の位置は、佩裏側に大きく寄るものから真上にくるものへと徐々に変化することが指摘されており(新納1987)、本例は吊手孔付足金具をもつ大刀のなかで最古段階にはさかのぼりえない。一方、装具の材質に銀を多用する大刀は、金属装大刀のなかでも比較的古い時期のものに多い。以上をもとにすれば、本例の年代は6世紀末葉から7世紀初頭を中心とする時期に位置づけるのが妥当と考えられる。
復元の根拠 本例には比較的多くの装具が残存していたが、把頭と鞘尾にかんする情報を全く欠いており、木製の把頭および鞘尾を想定せざるをえなかった。本例の年代に相当する時期には環頭大刀や頭椎大刀などの装飾付大刀が盛期を迎えている反面、6世紀前半以前に主体をなした円柱形や楔形の把頭をもつ木装・鹿角装大刀が姿を消しつつあるとみられるため、非金属製の把頭と鞘尾の形態には不明な点が少なくない。したがって、本例の把頭と鞘尾の復元にあたっては、装飾付大刀の把頭と鞘尾を木製品に置き換えることが次善の方法と考えられた。ただし、木製の環頭把頭を想定するのはやや無理があることから、環頭大刀は考慮の対象からはずしている。
このような前提のもとで参考となるのが、本例において、把握部の背側と腹側のラインがほぼ平行する点、喰出鐔を着装する点、吊手孔付足金具により2足佩用される点である。このような特徴が頭椎大刀に兼ねそなえられることはなく、また、本例の時期は方頭大刀の出現以前にあたる。したがって円頭大刀もしくは圭頭大刀が具体的な検討対象となるが、木製把頭の報告例が散見される円頭大刀をモデルとすることが、より適当と考えられた。私見では、円頭大刀には6世紀以降に新たに舶載された朝鮮半島の大刀の系譜をひく例(A類)と、5世紀以前のいわゆる倭装大刀の系譜をひく例(B類)の2者があり、両者は島根県岡田山1号墳で共伴している(山本・松本ほか1987)。著名な「額部臣」銘の象嵌をもつ円頭大刀がB類、もう1点の銀装円頭大刀がA類である。本例の特徴はA類により近い。
把の復元 把頭については円頭大刀A類に近い形態を想定し、やや古い時期の例ではあるが、さきの岡田山1号墳出土円頭大刀A類の形態をほぼそのまま採用した。懸通孔や責金具状の突帯も表現することにした。古墳時代の刀剣類は片手に持って使用されたことがほぼ確かであるため、把握部の長さは成人男性の手のひらがおさまる10p程度とした。把木は、広葉樹を用いることにしたうえで、観察で材の合わせ目が確認できなかったことをもとに、一本の材の一小口から孔を掘り込み、ここに茎を差し込んで目釘を固定する一木造りと想定した(5)。手貫緒および把間に巻かれた糸の材質は、当時確実に入手できる素材を選択した。
鞘の復元 円頭大刀A類には、端部に平坦面をもつ筒形の鞘尾金具がともなうため、本例の場合も同様の形態の鞘尾を表現することにした。鞘の形状は、鞘口金具と足金具から推測される形態を基本的に延長したものである。鞘材には針葉樹が二枚合わせで用いられた可能性が高く、把とのバランスを考え、表面に黒漆が塗られたと推定した。
図3 26号横穴墓出土大刀(報告書より)
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2 笊内第26号横穴墓出土大刀
1)大刀の現状(図3)
復元の対象となったのは、報告書において「直刀26−01」とされた鉄装大刀である。これについても改めて現状を報告する。各部の法量については復元図を参照していただきたい。
刀身 平背・平造りの鉄製直刀で、刃部・茎部ともほぼ完全に残る。関は、背側と腹側から小さく均等に落ちる両関である。鋒はいわゆるカマス鋒の形状をとる。茎尻は丸みをもつ栗尻で、この近くに鉄製目釘が1本佩表側から打ち込まれている。
把 残存するのは把縁金具、鐔、そして把木である。
把縁金具は薄い鉄板を巻いたもので、やや縦長の倒卵形を呈する。把縁金具としては類例の少ない形態であり、むしろ形態はと共通している(6)。
鐔は鉄製の喰出鐔である。鐔の内孔長径と茎の元幅の値が等しいため、茎の背と腹が鐔の内孔に接することになる。
把材を観察できる部分はごくわずかで、樹種ばかりでなく形態や構造を推測する材料が乏しい。把縁装具の形状から把握部の縦断面が縦長の倒卵形であることが知られる。
鞘 鞘口金具、足金具2点、鞘尾金具、そして鞘木の一部が残存している。
鞘口金具は薄い鉄板を巻いたものである。金具の内部には鞘木が入り込み、鐔まで達している。金具の上面には非常に目の細かい布がのっており、さらに黒色の樹脂状のものがその上に厚く塗られている。
足金具2点はほぼ同形同大の鉄製品である。幅0.5p前後、厚さ0.2pの鉄棒を「8」字状に曲げて加工し、吊手孔部と責金具部を一連につくっている。報告書の実測図には鐔から鋒側へ約11p離れた位置に一の足金具が、さらにそこから約16p鋒側の位置に二の足金具がしめされているが、現在は2点とも刀身から遊離しており、着装位置を検証・特定することがむずかしい。
鞘尾金具は鉄製で、袋状の本体とそれを固定する責金具1点からなる。本体は鉄板によって覆輪状の外枠がつくられ、両側面に大きな透かしが開けられている。透かしの内側には樹脂状の厚い皮膜が残着する。本体の背側と腹側には刀身と平行するゆるい稜が各2本ずつつくり出され、それによって鞘尾金具の縦断面が縦長の八角形を呈するようになる。本体の鋒側の端部にも稜によって楕円形の平坦面がつくり出されている。金具の内部には鞘木と刀身が入り込み、鋒の先端は金具の鐔側の端部から4.5pの位置まで達する。責金具は、横断面が半円形(カマボコ形)を呈する幅0.5p、厚さ0.3pの鉄線を倒卵形に巻いてつくられている。
鞘木はごく一部が刀身に付着して残存するのみであるが、まっすぐに通る木目が観察される。鞘口金具と鞘尾金具でともに樹脂状の皮膜が認められたことから、鞘の表面全体に漆状のものが塗布された可能性が高い一方、鞘口部分で確認された布がどの部分にまで巻かれていたかは定かでない。
図4 26号横穴墓出土大刀想定復元
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2)復元案とその根拠(図4)
大刀の編年的位置 本例 煖熨ョ装大刀であることから6号横穴墓出土大刀と年代根拠において基本的に共通するが、鞘の厚みが薄い点や鞘尾金具の形態は明らかに年代的に後出する特徴をしめしている。本例に着装された吊手孔付足金具および鞘尾金具を根拠に、本例の年代は、吊手孔付足金具の年代的下限で、なおかつ覆輪状の外枠をもつ鞘尾金具の上限となる7世紀後葉を中心とする時期に求めるのが最も適当と判断される。
復元の根拠 本例は鞘尾の形態が明らかであることから、把頭の復元が最も重要な課題となる。これにあたっては、6号横穴墓出土大刀と同じく、金属装大刀の把頭を木製品に置き換える方針をとることにした。
本例が製作された7世紀後葉は、各種の装飾付大刀の生産が終了し、方頭大刀が金属装大刀のなかで顕著な存在となる時期に相当する。このため、方頭大刀を復元の基本的なモデルとすることで問題ないと考えられるが、方頭大刀の把頭の形状は必ずしも一様でない。また、この時期には墳墓にたいする大刀の副葬が終了に向かうため、全体が判明する大刀がきわめて少ない(7)。これにたいし、奈良県正倉院伝世刀は、古代の刀装を検討するうえできわめて重要な位置をしめ、本例よりやや降る時期ではあるが貴重な参考例となる(正倉院事務所編1977)。
正倉院伝世刀群のなかで、本例と同じく覆輪状の外枠をもつやや縦長の鞘尾金具を着装する大刀は、「第14号黒作大刀」など7例が確認でき、これらにおける把頭の形態は、鞘尾と同じ覆輪形式であるもの、単純な筒形であるもの、いわゆる蕨手形であるものの3者に大別される。したがって、そのいずれかを採用するのが妥当と考えられるが、形態の複雑な覆輪形式や蕨手形をあえて木製品に置き換える根拠は乏しいと判断し、単純な筒形の把頭もつ方頭大刀をモデルとすることにした。
把の復元 以上から、把頭は正倉院第14号大刀などに近い形態を想定し、懸通孔や責金具状の突帯も表現することにした。把木は、広葉樹を用いることにしたうえで、二枚合わせと想定した。正倉院伝世刀の把間は、背側と腹側が内湾する形態で、かつ把握部の長さが10p程度でほぼ共通している一方、鮫皮貼り・金属線巻き・糸巻きなど多様な方法が認められる。本例では正倉院刀の把の形態と法量に共通させたうえで、最も普遍的な糸巻きを採用することにした。手貫緒および把間に巻かれた糸の材質は、当時確実に入手できる素材を選択した。
鞘の復元 鞘材には針葉樹が二枚合わせで用いられた可能性が高いと考えたうえで、鞘全体の形状は、鞘口金具・足金具・鞘尾金具を基本的に結んだものとした。鞘口金具および鞘尾金具の観察をそのまま生かせば、白木の鞘に目の細かい布を巻き、さらにその上に黒漆を厚く塗る復元となるが、押元氏により後述されるとおり、復元品の長期展示・保存の観点から布巻きを省略し、白木の鞘の上に直接黒漆を塗る方法を採用している。
註
(1) ここでの記述のとおり、筆者は本例における鐔との本体の素材を銅と認識し、報告書においても同様の記述が認められるが、後述のように押元氏はこれらを鉄製と認識して復元している。ごく狭い範囲の破損部分の観察にもとづいたこともあって、いずれの素材であるかは理化学的な分析を経なければ確定できないが、この点は相互の意見交換が十分でなかったことを認めなければならない。
(2) 図2と図4の想定復元図は、菊地が作成した大よその復元図をもとに、押元氏が実際の製作にあわせた仕様図を作成し、それをさらに菊地が製図したものである。したがって考証上の責任は菊地にある。
(3) 5世紀にも金属装大刀は存在するが、きわめて希少であり、大半が舶載品の可能性が高いと推測される。
(4) ここでしめす年代観は、新納泉による装飾付大刀の検討にもとづく(新納1987)。ただし、厳密にいえばこの年代観は製作年代をしめすため、副葬年代すなわち大刀が出土した墳墓の年代とは必ずしも一致しない。
(5) 把材が一木造りであるか二枚合わせであるかの判定は実際には容易でないが、正倉院伝世刀に両者が確認されていることから、古墳時代の刀剣類にも両者が存在した可能性は高いと考えられる。
(5) 本例のようなが用いられず関に直接鐔が接する金属装大刀は、全長の短い蕨手刀にみられるものの、そのほかでは非常に少ない。
の有無がしめす決定的な意味は必ずしも明確でないものの、
が古墳時代刀だけでなく正倉院伝世刀やその後の日本刀にも普遍的に採用されていることからみて、単なる時間的要素とは考えがたい。本例の把縁装具の形態が
と共通することとあわせ、26号横穴墓出土大刀は金属装大刀のなかで特異な装具の着装方法をもつ例として位置づけたい。
(6) 東北地方北部では、7世紀後葉以降における墳墓への大刀の副葬がむしろ盛んだが、出土する大刀のほぼすべてが、身幅が広く長さが短いという特徴をもち、本例と共通する要素が乏しい
スめ、参考の対象から除外している。
引用文献
佐藤博重・玉川一郎 「笊内古墳群」『母畑地区遺跡発掘調査報告V』福島県文化財調査報告書第74集 福島県教育委員会 89−172頁
正倉院事務所編 1977 『正倉院の大刀外装』 小学館
新納 泉 1987 「戊辰年銘大刀と装飾付大刀の編年」『考古学研究』第34巻第3号 考古学研究会 47−64頁
山本 清・松本岩雄ほか 1987 『出雲岡田山古墳』 島根県教育委員会