2 東村笊内古墳群について
笊内古墳群は、福島県西白河郡東村大字上野出島字笊内に営まれた古墳群で、阿武隈川の右岸、矢武川に挟まれた標高約300mの石英安山岩質熔結凝灰岩を基盤とする丘陵上に位置する。昭和53年、国営総合農地開発事業に伴う農業用地開発がなされるまで後世の盗掘をほとんど受けていなかった古墳群で、発掘調査によって東西約90mの範囲内に高塚古墳4基と横穴墓54基で構成されていることが明らかになった。墓道を共有する小群構成が明瞭な点に特徴があり、報告書(1)(2)ではA〜Lの12グループに分別している。
群構成について池上悟氏は、横穴墓群を11群に分別して、4基の高塚古墳との有機的つながりを指摘し、詳細な造営推移を明らかにしている(3)。
造営時期については、6世紀後半代に造営が開始され、7世紀半ばまでにほぼ造営は終えたものと考えられている(一部は8世紀まで利用されている)。
未盗掘であったため遺物量は豊富で、金属製品(武具・馬具・容器・装身具など)、石製品(砥石・玉類)、土製品(玉類)、ガラス製品(玉類)、須恵器、土師器などが出土している。特に1号横穴墓の錫釧、6号横穴墓の直刀や大型鉄鏃、23号横穴墓の馬具や直刀、26号横穴墓の直刀、37号横穴墓の馬具や銅鋺、15号横穴墓他の金銅製耳環などの金属製品は一つの古墳群から出土したまとまった資料であり、当時の金工技術の移転や他地域との関連を探る上で極めて貴重な資料といえる。
37号横穴墓は、平面形が奥行き2.15m×幅2.14m〜2.35mの隅丸方形で、ドーム形の天井を有する。馬具は玄室内左側の羨道寄りでまとまって床面から出土している。但し、雲珠は羨道の堆積土中から出土したらしい。また、辻金具1点(38横1)は38号横穴墓玄室の堆積土上層から出土したものであるが、同形同大であることから37号の馬具セットの一部を構成するものと判断される。よって、37号横穴墓の馬具セットはまとまった資料ではあるものの、馬具を構成する金属部品全てが遺存しているとは言い切れない。銅鋺は玄室に近い羨道部分(前庭部)の左壁添いで出土している。前庭部の堆積土中からは栗囲式の土師器とTK217相当の須恵器が出土しており、土器からは6世紀末葉〜7世紀初頭という年代観が考えられる。玄室奥壁付近で成人女性のものと思われる大腿骨体片(長約6p)が出土している。(4)