第1部 復元研究の目指すもの

〔1〕復元の企画      森   幸 彦

1 福島県文化財センター白河館「まほろん」と研究復元製作
 本報告は、平成13年7月、福島県白河市白坂の地に設立された福島県文化財センター白河館(愛称「まほろん」−以下「まほろん」と記載)の常設展示資料である西白河郡東村笊内古墳群出土資料と相馬郡鹿島町真野古墳群A地区20号墳出土金銅製双魚佩の復元製作過程を記録したものである。
 「まほろん」は出土文化財を中心とする文化財の収蔵保管、文化財に関する教育普及(展示公開、情報発信、体験学習等)、文化財調査の研修という3つの機能を備え、これらの業務に関する調査研究活動をも行う施設である。
 館内には教育普及活動の一環として、収蔵資料を中心とした「常設展示室」がある。この常設展示室を設計するに当たっては、専門的になりがちな考古資料の展示を可能な限りわかりやすく、しかも文化財に親しんでもらうことを目的に構成していくことを標榜し、平成9年度に展示基本設計、10年度に展示実施設計を作成した。この過程で、県有資料の中でも古墳時代の金工資料(東村笊内古墳群出土遺物及び鹿島町真野20号墳出土金銅製双魚佩)を展示のひとつの目玉とする方針が出され、これらの資料の展示方法を検討することとなった。

写真1 福島県文化財センター白河館「まほろん」 写真2 「まほろん」の常設展示室

 遺跡から出土した金工資料は、有機質部分が腐蝕して消滅していることが多く、機能していた当時の姿を残している例は皆無と言える。金属部分は錆びや腐蝕によって当時の形状や質感を留めていることすら多くはない。これらを展示した場合、観覧者が実物資料からその機能や全体構造を推測するのは極めて困難と言える。かつての姿がわからなければ興味も削がれ、ひいては展示全体への興味が減衰してしまう結果となりかねない。「わかりやすい展示」を目指す場合、特に部分的な金属製品の展示に際しては、製作された当時の姿、あるいは機能していた当時の姿を復元製作し、実物資料と並列展示することが最も効果的な方法と判断された。
 一方、古墳時代の金属製品製作に際してはその目的物によって、鍛金、鋳金、彫金などの金工技術が必要とされたであろうし、さまざまな部品で構成される金属製品の場合には、金工にとどまらず木工、漆工、革工、繊維工等の多岐に亘る技術体系が必要であった。これらの技術体系の総体が古墳時代の工芸技術であり、その技術統合の成果品としてわれわれが目にする遺物がある。よって、出土遺物を製作当時の姿に復元する場合、単に形状のみを類推して近似したものにしていくだけでは何ら考古学・歴史学的意味を持たず、その遺物の詳細な観察・分析の結果から導き出された、遺物の背景に潜む技術体系をも含めて復元していくことこそ意義のある復元方法であると判断された。そして、このような技術復元を伴う研究復元製作は、本県域における古墳文化の内容解明に向けたひとつの端緒となり得るし、その技術比較から導き出される相似と相違は地域文化の特色を考究する素材ともなり得るであろうと考えたわけである。
 上記のような理由から、県教育委員会は遺物の「研究復元製作」を文化財センター白河館の設立準備事業のひとつとして特徴的に位置付けたのである。
 研究復元製作を行う場合、考古学的知識と技術史的知識を有する人材、そして何より製作技術を有する人材が揃って初めて可能となる。奈良県立橿原考古学研究所においてはリニューアルに際して既にこのような考え方に立って復元製作を行った実績があるとの情報を得て、「文化財と技術の研究会」(代表:鈴木勉氏)の存在を知り、製作意図を伝えて相談したところ、研究会のメンバーが快く協力を承諾下さったことから平成11年度事業として実現が可能な運びとなった。
 復元製作の対象としたものは、東村笊内古墳群37号横穴墓出土鉄地金銅張馬具一式(鏡板付轡1点・杏葉3点・雲珠1点・辻金具4点・締金具2点・飾帯金具15点・2点・座金具2点・双脚鋲2点)、銅鋺1点、6号横穴墓出土直刀1点、鉄鏃2点、21号横穴墓出土刀子1点、26号横穴墓出土直刀1点、41号横穴墓出土銅釧1点、15号横穴墓出土耳環1点、鹿島町真野20号墳出土金銅製双魚佩(甲・乙)2点である。
 馬具の復元製作に当たっては、「まほろん」の展示を考慮して2つの条件を付けた。一つは古墳時代の馬を仮想復元した模型に装着すること、もう一つは小学生以下の観覧者が馬具を装着した馬の模型に乗ることを可能にすることである。37号横穴墓の馬具が当時乗馬可能なものであったか否かはわからない。単なる威儀具であった可能性もある。この点は復元過程で明らかになっていくと考えられたが、一方で体験的展示をも目指していたことから、観覧者の「乗りたい」という欲求に応えるべく、大胆に条件設定を行った。当然ながら「乗る」ためには強度が要求される。正確な復元とは相反する条件であり、結果的に資料に忠実に製作するより強度を優先せざるを得なかった部分も少なからず出てしまった。この点は、製作者にとっては不本意なものであったことを特記しておくと共に企画側の反省点でもある。
 古墳時代の馬の実物大模型製作に当たっては、大阪府吹田市博物館の協力を得て、宮崎県都井岬に生息する御崎馬48号をモデルに製作した模型の原型を再利用させていただいた。ただし、たてがみについては埴輪馬の表現に近似させるため、多摩動物公園で飼育されている蒙古野馬「レオ」をモデルにして改変した。
 直刀の製作に当たっては、刀身をステンレスで製作する仕様とした。しかしながら、観覧者が古墳時代の「刀」に対して誤った認識を抱くおそれがあるとの配慮から、6号横穴墓出土直刀の刀身は別途、福島市在住の刀匠藤安将平氏に依頼して製作した。この復元製作については本稿では扱わなかった。
 刀子については、当初37号横穴墓出土刀子(図4−37横1)の復元製作を予定していたが、原資料の保存状態が悪かったため、21号横穴墓出土刀子(〔25〕−図2−1清喜裕二氏実測)に変更した。この資料は「笊内21号横穴墓 bQ 刀子 78年9月22日 玄室床面」とラベリングされているものであるが、概報(1)には出土記録があり、本報告(2)からは記録が脱落しているものである。
 なお、本論考は考古学、金工史学、技術史学、保存科学、分析化学に関し、さまざまな角度から研究を重ねている21人のメンバーが、その復元根拠とした考え方と製作記録を論じ集成したものである。よって、専門用語が頻出する上に用語に統一を欠いている部分も少なくないが、各々の学問的背景を尊重し、敢えて統一を図らないこととした。
 復元の原資料とした笊内古墳群出土資料は図4・5に示したが、これは発掘調査の本報告書(1)から転載したもので、遺物番号についてもこれを踏襲した(例「37横2」)。昭和54年の概報(2)とは番号が異なっているため、概報掲載番号はカッコ書きとした(例「(37−02)」)。但し、図5−40横1の耳環は概報で(40−01)と入れ替わって(36−01)と誤記されているが、(40−01)が正しい。本論考の本文中に記載されている番号は本報告の番号と対応するものである。

写真3 笊内古墳群全景 写真4 笊内37 号横穴墓馬具出土状況