〔16〕 笊内37号横穴墓 木製鞍・鐙の想定復元製作 小西 一郎・鈴木 勉
1 はじめに
第1回目の打合会に出席し、福島県文化課森幸彦氏から笊内37号横穴墓の木製鞍と鐙を復元製作することを聞いた。その説明によれば笊内古墳群からは金銅製や鉄製の馬具部品は出土したが、鞍と鐙本体については確認できていないという。有機質の鞍と鐙があったと想定すべきであろうとのことである。鞍にかかわる出土品は、鉄製のしおで締め金具と用途不明の鉄製鋲があるだけである。そのため、製作する鞍と鐙の形状は他の遺跡から出土している近い時代のものから想定することになった。
2 鞍資料の観察結果
1)山形県嶋遺跡の鞍(復元品−写真1)の観察と計測
最初に調査したのは山形県嶋遺跡出土木製鞍である。所蔵先の山形県立博物館へ行ってお話をうかがうと、出土品は行方不明で、出土して間もない頃に近隣の木工技術者が復元したものだけがあるという。報告書に記載されている出土鞍の実測図(1)と比較しながらその復元品を見るのだが、詳しい観察や考古学的調査が反映されているとは言い難く、今回の復元製作の参考にはならなかった。報告書の実測図からみれば、この鞍は装飾的な要素が少なく、実用鞍と考えられた。
復元品は材料に朴の木を使っていた。前輪は垂直で、後輪はほぼ45度に傾斜させていた。前輪と後輪を繋ぐ居木は直線の板で、左右に3枚ずつ合計6枚使っていた。居木は1枚に2個のほぞを作り前輪・後輪にそれぞれ6個の、ほぞ穴をあけこれに嵌合していた。また前後輪の外周は玉縁に加工していた。嶋遺跡の出土品は後輪のみで居木は無かったのであるから、他は想定復元ということになる。実測図によれば出土した後輪には6〜7個の穴が認められる。このうち4個は居木との結縛に使う穴であろう。後輪の外周が玉縁加工してあるのは藤ノ木古墳出土品と似ていると感じた。
2)藤ノ木古墳出土鞍金具B,Cセットの鞍の調査結果(橿原考古学研究所付属博物館にて)
次に調査したのは、奈良県藤ノ木古墳から出土した鞍である。最も有名な金銅製鞍金具Aセットではなく、B,Cの2セットの鞍である。藤ノ木古墳から出土した鞍金具はどれも装飾的な要素が強いもので、後輪の傾斜があるタイプである。笊内37号横穴墓にあったと想定する鞍が、装飾的なものか実用的なものかという推定は、遺跡の規模や他の出土品の装飾性から類推する他はなく、どちらに重点を置くかによ
チて鞍の形状や構造は大きく異なることになる。笊内37号横穴墓出土馬具の金銅製品は装飾性が高く、ある水準以上の装飾性を鞍にも鐙にも付加しなければならないだろう。とは言え、福島県文化課からの要望は、実際に乗ることができる鞍、つまり実用性を合わせ持った鞍ということになる。そこに製作上の難しさがあった。なお、藤ノ木古墳出土鞍に近い形となれば、後輪を傾斜させ、居木は磯金具が装着できて膨らみを持ち、ゆるやかに突き出た形となる。
藤ノ木古墳出土の鞍・鐙の観察と計測をした。大きさ(幅×高さ×厚さo)は前輪460×348×25、後輪532×348×25、であった。居木は出土しておらず、前輪・後輪は金属部分のみ出土している。そのため、木部の構造は観察出来なかった。外周は円弧をえがき、覆輪は玉縁状(13oR)になっていたと推定されている。磯部分は別の部材で作り金銅で覆っており、その内側に布目が観察できた。布目は金銅をかぶせるか巻きつける時に木部に張ったものであろう。
(馬の埴輪では、鞍は馬の前方に位置し前輪・後輪とも後方に傾斜しているものがある。鐙は輪鐙で前輪の近くに付くようにして作られている)
3)奈良県榛原町谷遺跡出土木製鞍の調査
また、谷遺跡出土木製鞍(5C.後半)の調査も行った。その鞍の後輪には丸まった居木の先端が当たって擦れた痕跡が認められ、居木と後輪との接続関係が推定できた。それは、前後輪と居木が釘や接着剤などで固定的に接続されるのではなく、ある程度のゆるみを持った接続法であったと考えられる。例えば革ひもで結縛されるにしてもそれほど固く締め付けないようにするといった方法である。柔軟な馬の背中に乗せてその上に人間が乗るのであるから、馬の背中を傷つけないためにも、あるいは鞍をしっくり馬の背中に安定させるためにも、そういった接続法をとるのが望ましいであろう。こういった接続関係をもって全体のバランスを保つ構造体を「柔構造」と言い、一方がっちりと互いに固定的に接続して全体の存在を保つ構造体を「剛構造」という。鞍の基本は「柔構造」の必要があると考えられる。
居木と前後輪との結合部の形状などは梁山夫婦塚出土馬具の復元写真を参考にした(2)。
4)福島県立博物館における馬体資料の調査
実測図で表現するのは難しいが、嶋遺跡出土後輪は曲線・曲面の多い形状をしていたと考えられる。生きた馬の背は筋肉の動きに従って刻一刻と形状を変えるし、人間の臀部も形状を変える。それに対応するためにはそれだけ複雑な曲面・曲線が必要なのであろう。
居木は三次元形状になると考えられるのであるが、その基礎となるのは馬の背の形状であろう。そのため、福島県立博物館にあるレプリカ馬の背の三次元形状を測定をした。
5)馬事文化財団・馬の博物館における鞍の観察と資料調査
正倉院鞍の例では、鞍橋は素地そのままで、居木に黒または赤漆を施したものもあった。居木の構成は4枚居木であった。正倉院鞍には居木先内蔵型と居木先露出型があり、ほぞ組み、または蟻ほぞ組みのものも見られた。居木先のくびれた部分に輪にした革紐を掛け、鞍橋及び居木にあけた穴に革紐を通し結んでいた。材料は牟久木・桑・柿・黒柿・樫が使われているという(3)。
3 鞍の製作技法(木材)
加工法については、台鉋が無い時代であるので、平面も曲線・曲面も槍鉋で加工したのであろうか?出土品からは読みとれなかった。また、穴は舞錐か焼きこてで開けたのであろうか?
形状を対称形に正確に作るには何らかの型紙や型板が必要であると想定した。
曲線・曲面の多い部材は、加工が進んでいくと部材の固定が難しくなる。加工は部材の固定が出来れば後は時間の問題と考えて良い。くさびなどを用いた万力の類がつかわれたのであろう。そのためにも、原則は加工順序は内側加工が先になり、次に外側を加工したものと考えるべきであろう。
木取りについては、鞍の強度を得るために木目を上手に使ったことが出土品から窺え、木の特徴を十分つかんで利用していたものと考えられる。
出土木製鞍や正倉院鞍の木は癖のある木目の木を使っている。根に近い部分や曲がったもの、2枚の木を接いであるものもあった(4)。
4 鞍の製作図
以上のような調査から製作図を起こした(図2,3,8,9)。
製作図を持って福島県会津岩舘村の小椋木材、長野県駒ヶ根の楽木工房牧野氏、神奈川県森林研究所七沢事務所の大木氏、東京都江戸川区の渡辺木材を訪ね、適当な木材を探したが、癖のある木目のものや適当な大きさの木材が見つからなかった。
木材は乾燥するのに、3p厚さのもので約1年かかると言われる。鞍には4.5から16.5pの厚さの木材を使うので、生木から乾燥するまで最低でも5年はかかると考えられた。それでは文化財センターの開館に間に合わないので、やむをえず乾燥した木材を江戸川区の渡辺木材から購入した。
すでに乾燥を終えた木材でも、環境が変わったり経年変化することで、ひび割れ・肉やせ・反り・捻じれが生じる。これを少し削ってはしばらく放置し、様子を見ながら修正していく必要がある。
5 鞍の加工手順
以下に加工の手順を示す。
1)反りの加工
@ 罫書き
曲面を含んだ角材を準備し、横から見ると曲った棒で、上から見ると真っ直ぐな棒になるよう罫書き(墨)を入れる。
A 真っ直ぐな棒状に削る。
平鉋を使った。
B 曲面の内側を削る。
2種類の外丸鉋・反り台鉋を使い、罫書きの曲率に合わせて成形する。木材繊維に直角に削る部分と、木材の端部から中央に向かって平行に削る部分がある。中央に近いところでは、逆目が出る可能性があるため、槍鉋や生反り刃を使って削り成形した。
C 曲面の外側を削る。
2種類の内丸鉋・平鉋を使い、罫書きの曲率に合わせて成形する。削る方向などは工程Bと同じ。
2)穴あけ
@ マーキング
壷錐に朱肉を付けて錐もみをすると、穴の周囲に朱肉が着く。これを居木または鞍橋に押しつけてマーキングした。
A 穿孔
深い穴なので長いドリルで穿孔した。ヘの字型または、くの字型に穿孔する場面では、両側から開けていくのであるが、2つの穴がなかなか合わなかった。これは、表面が既に曲面加工した後などで、錐が安定せず思うような位置に穴を開けられなかったためである。これを回避するには、練習を繰り返すか、角材のうちに穿孔するかの方法が考えられるが、角材のうちに穿孔するのは現代のような計算に基づいた加工技術の場合に可能な方法ではなかろうか。
6 鞍の1/2模型の製作(写真2)
復元模型製作のための検討模型として1/2サイズで試作した。以下にその工程と検討課題を示す。
1)設計
@ 居木の反り(曲面)は福島県立博物館で測定したレプリカ馬の背の曲率に合わせた。
A 居木は4枚とし、鞍橋との結合は居木先露出型とした。
B 居木は左右に2本ずつ計4本で構成し、鞍橋との接合は平行に紐で結んだ。この結縛方法は揺れによる歪みを吸収できるよう、やや遊びを持つ結縛(柔構造)とした。
(山形県嶋遺跡の後輪の穴のうち4個は居木を紐で結ぶための穴と想定した)
C 鞍は、人の大小・乗り方によって安定度に違いが出るので、自ずと設計は変わるが、今回は身長160p程度の大きさの人を想定した。前輪は垂直にし後輪は25度後ろに傾斜させ、人の尻を包みこむような形状とした。
D 前輪は居木と垂直に嵌合加工し、後輪は正倉院第1号鞍(金銀泥絵鞍)に似た形状とし、人の尻を包み込み安定させる形状に加工した。居木は、下面を馬の背に当たるため、馬の背の曲率に加工し、上面を人の尻を安定させる湾曲した形状に加工した。
2)各部材の結合と強度
@ 居木と鞍橋を革紐で結縛した。正倉院鞍と梁山夫婦塚出土鞍は、革紐の掛け方は平行方向であるが、嶋遺跡鞍などを参考にすれば革紐の掛け方は直角方向と平行方向の二通り考えられる。
A 平行方向に革紐で結び合わせる方が強度は高いと考える。
(平行方向は居木と鞍橋が移動し革紐を擦りながら揺れを吸収し、直角方向は革紐を引き合いながら揺れを吸収する。)
7 鞍の復元製作
1)型紙の作製
古谷氏と桃崎氏によって作られた復元図(製作図とは異なる)を元に、古谷氏,桃崎氏、押元氏、小西で打ち合わせをした。小西は全体に直線的な作りと考えていたが、復元図では居木に曲面が多いのに驚いた。今回の復元研究では復元図の考え方を優先して作ることにした。
前後輪と居木の製作図を作製した(図2)。前輪0.5度・後輪12度後方に傾斜して作った。復元図から40oピッチの方眼紙の中に図を画き、曲線のところは1oピッチの方眼をつくり1/4ないし1/5の図面寸法を落とし込んでいった。
製作図を元に厚紙を使って型紙を作成した(図8,9)。
前輪正面型紙を作成したが、その際前輪から突き出ている居木の先端形状についてもこの型紙を使用した。前輪の内側になる部分の居木の形状は、前輪正面型紙より12o大きい型紙を作成した。前輪の寸法については0.5度傾斜しているので作図によりその製作寸法を出した。
後輪後面型紙を作成したが、その際、後輪から突き出ている居木の先端形状についてもこの型紙を使用した。後輪の内側になる部分の居木の形状は、後輪後面型紙より12o大きい型紙を作成した。後輪の寸法については12度傾斜しているので作図によりその製作寸法を出した。
他に、居木上面の型紙、居木下面の型紙、居木外側の型紙をそれぞれ作製した。
2)前輪、後輪の製作
強度のことを考慮して栓材の板目材を使うことにした(写真3〜5)。先に作った型紙を使って木取りをする際に、割れにくい部分の木目を選んだ。
加工順序は次の通りである。
@荒取り、A厚さ決め、B罫書き作業、C内側加工、D外側加工、Eボス加工
鞍橋の外側は平面的であるが、内側は段差もあり曲面が多い。そこに居木のボスを合わせるのであるが、ここではボス上面と居木胴付面が合うように作った。
前後輪の端部で板が三角形状になるので、欠けてしまう可能性が高い。そこで端部については加工を最後にすることにした。金銅板などをかぶせる古墳時代の鞍では端部を補強したり、つないだりするために金属を被せた可能性も考えられよう。
使った工具を示す。
廻し挽き鋸、平鉋、南京鉋、平鑿、丸こて鑿、すくい鑿、くり小刀、木工万力
3)穴あけ
左右対称になるように、罫書きをして壷錐で浅く穴をあけ、のちにドリルで前輪に6個、後輪に6個の貫通穴をあけた。革紐が、鞍の表面に出っ張らないよう2個の穴をむすぶ溝を前輪に3本、後輪に3本作った。穴の周囲に朱肉を着け、居木嵌合部に転写した。
使った工具を示す。
ドリル、壷錐、朱肉、すくい鑿、くり小刀
4)居木の製作
とても複雑な三次元形状なので欠けや割れが生じないよう桜材を使うことにした。その際、上面側面に木裏が来るようにした。前輪側は0.5度、後輪側は12度後に傾斜させ、半ほぞで嵌合するようにした。
外側曲面形状の加工(写真6〜8)は、次の順序で行った。
@ 角材2面を木表側にし、基準面を作った(165×165×600o)
A 2本の角材に紙を挟んで接着した(165×330×600o)。これは左右同じ物を作る時に採用する方法である。
B 型紙を使って罫書きをした。
C 計画では内側から加工を始めたいと考えたが、内側は曲面が多いのでやむなく外側から加工することにした。
D 角を削り、全体にテーパ形状に削った(傾斜をつけた)。
E 中央部分を湾曲させるように削った。
F 型紙を使い上面形状を確認し、また側面形状を確認した。
G EとFを繰り返し行ない、仕上げていった。
H 前輪0.5度、後輪12度の傾斜を見こんで木口を削った。
内側曲面形状の加工(写真9)は次の順序で行った。
@ 紙を挟んで接着した(前項A)部材を剥がした。
A 角を削って丸くし、下部形状は凸型に削った。
B 型紙を使い、下面形状を確認した。
C AとBを繰り返し行い、仕上げていった。
使った工具を以下に示す。
平鉋、反り台鉋、南京鉋、平鑿、丸こて鑿、生反り刃、くり小刀、木工万力、鎌万力
「ほぞ」加工(写真10)は次の順序で行った。
@ 鞍橋に嵌合する「ほぞ」は長さ55oで、胴付面は12oとした。
A 鞍橋より外側に10o突き出すようにした。
B ほぞの長さ55oを罫書き、面欠き加工した。
C 前輪正面型紙から居木正面の形状を罫書きし、面欠き加工した。
D 「ほぞ」を先端から12oだけ段差をつけるよう削った。
E CとDを繰り返し行い、仕上げていった。
F 居木の鞍橋より突き出る部分を楕円形に削った。
G 鞍橋に朱肉でマーキングし、「ほぞ」を押し当てて写し取った。
H マーキングしたところを壷錐で浅く穴をあけ、ドリルで貫通させた。
5)組み立て(写真11)
前輪・居木・後輪を嵌合し、胴付き面をあわせ、革紐で直角に堅く結びあわせた。
8 鞍を馬に乗せてみる・・・鞍形状の変更
出来上がった鞍を、新たに作ったFRPレプリカ馬に乗せてみるが、大きすぎたり、馬の背の形状と居木の下部の形状が合っていないことが明らかであった。福島県立博物館のレプリカ馬と新レプリカ馬とは背の形状が全く異なっていた。つまり、当然といえば当然のことであるが、鞍は第一に馬体に合わせて作る必要があることが確認できた。
居木の下面を少し削ってみたが、今度は後輪内側が当たってしまい、不安定になった。そこで居木を切って詰めることにした。
既に三次元形状に加工してしまった居木にはもう加工基準面が無くなってしまっている。そのため、角度や曲面ををどのように把握し、加工していくか大いに頭を悩ました。そこで前後輪の位置を決めて、発泡スチロールを使って試作することにした。そのスチロール型をゲージにして前輪・後輪を修正加工することにした。居木は両端を切り、一部分細くなってしまったが、なんとか修正して使用することができた。しかし、基準面が無いので「ほぞ」の胴付き面の加工には苦労した。
鞍を作るのは初めての経験であるため、作る物の大きさ・作る手順・作り方・作る工具等を知るには作ってみる(試作)事が重要であった。試作を木で作るのは労力が大変なので、加工しやすく、切ったり貼ったりできる発泡スチーロルで試作を繰り返すべきであったと考えている。
9 鐙の製作(図1,4,5,6,7)
埼玉県池守遺跡出土三角錘型壷鐙(6世紀後半)、静岡県伊場遺跡出土三角錘型壷鐙(6世紀後半)を参考にした(5)。材料は桜材の角材2本(150×165×340o)を用意した。正面の形状は鳩胸形にした。曲面が多いので、型紙を作成し正確を期した。
内側の加工は次の順序で行った(写真12)。
@ 型紙を使い罫書きをした。
A 線の内側を面欠き加工した。
B 内側を彫り込むが、彫り込みが進むと鑿が届かなくなったり、鑿を握る手が入らなくなったりした。
外側の加工は次の順序で行った。
@ 型紙を使い罫書きをした。
A 正面を鳩胸形状に切り落とし、面欠き加工して、鑿、鉋で平面に削った。
B 側面を切り落として(写真13)、面欠き加工し、鑿、鉋で平面に削った。
C 平面加工してあった稜線の部分を曲面に加工した。
D 仕上げ肌は、鑿および鉋の削り肌とした。
E 力革を通す角穴をあけた。
<参考文献>
(1) 『山形市史別巻1嶋遺跡』1968年
(2) 森實、尾谷義彦、神谷正弘(金斗訳)「韓國慶尚南道梁山夫婦塚出土金銅装鞍
復原」『博物館研究論集4』釜山廣域市立博物館 1995年
(3) 『日本馬具大鑑2古代下』
(4) 山田良三「古代の木製馬鞍」『橿原考古学研究所論集第十二』1994年
(5) 永井宏幸「古代木製鐙小考」