まほろんQ&Aコーナー

 開館以来、まほろんへは、小中学生のみなさんからたくさんの質問が寄せられました。
 このコーナーは質問に対しての職員からの回答を掲載するコーナーです。
 質問が来れば、順次増やしていく予定です。
 歴史の勉強の参考にしてみてください。
旧石器・縄文時代に関する質問
<生業と道具>
● 弓の紐(ひも)の部分は、どんな材料を使っていますか?
 正直言ってわかりません。弓の弦(つる)のように細くて植物でできたもの(動物の腱(けん)かもしれません)は大変くさりやすいものです。
 そのため、遺跡からみつかったことがありません。
  しかし、麻(あさ)やカラムシといった草の茎(くき)から繊維(せんい)をとって作ったひもが、縄文時代や弥生時代の遺跡からごくわずかですが、みつかっています。
 このことから、弓の弦にはこうした紐(ひも)が使われた可能性があります。
 この他に、鹿や熊など、大きな動物の腱(けん)が使われたことも考えられます。
 なお、弓の方は、マユミやイヌガヤといった、じょうぶでよくしなる木の枝を使って作っています。
 今の日本の弓は、竹を合わせて作っているそうです。
● 矢の先は、どんな石がいいのですか?
 もちろん硬いこと、そして割ったときに鋭い刃ができることが、矢じりにむいた石の条件です。
 遺跡からは様々な石でできたものが出土しますが、福島で出土する代表的な矢じりの石材には「頁岩(けつがん)」、「黒曜石(こくようせき)」、「流紋岩(りゅうもんがん)」があげられるでしょう。
 どれでも手が切れるような鋭い矢じりを作ることができます。
● 弓矢はどうやってあつかうのですか?
 縄文時代の記録は残っていないので、詳しくはわかりませんが、右利きの人がまほろんで弓矢体験を行う場合は、左手で弓の真ん中あたりをにぎり、右手で弦(つる)に矢をかけます。
 左手の人差し指あたりに矢をのせ、右手で思いきり矢を引いて、ねらいをさだめたらパッと右手から矢をはなします。
● なぜ弓矢に羽をつけるのですか?
 縄文時代の矢の羽は見つかっていませんが、矢の羽は、風を整えて矢をまっすぐに飛ばす役割があります。 
 特に長い距離を飛ばすときに効果があるそうです。
 ちなみに、現代の大砲の弾にも、羽のついた矢のような形のものがあって、これが一番正確に飛ぶそうです。
● プロなら弓矢は遠くまで飛ばせるのですか?
 縄文時代の弓を復元したものをまほろん職員が飛ばしたところ、約80mほども飛んだことがあります。
 ちなみに現代のカーボン・コンポジットボウという弓(金属や炭素の繊維を重ね合わせて反発力を強めた弓)だと、400m以上は楽に飛ばせるそうです。
 進歩(しんぽ)ってすごいですね。
● 弓矢は1人1つ持ってたのですか?
 弓は木でできているため、くさりやすく、どのくらいの数の弓が家にあったのかはよくわかっていません。
 一方、矢じりは石でできているので、腐(くさ)ることはありません。
 縄文時代の遺跡の多くで、大量の矢じりが出土していますから、かなりの数の矢が使われていたものと考えられます。
 これを射(い)るための弓も、いずれは折れるものですから、たくさんの弓が準備(じゅんび)されていたと考えたほうがいいと思います。
 ちなみに平安時代の軍団兵士は1人50本の矢を持つことが決められていました。
● 弓矢は、縄文時代と弥生時代で、どちらの方が多く使われていたのですか?
 縄文時代にも弥生時代にも狩(か)りは大切な仕事でしたので、どちらも弓はたくさん使っていたと考えられます。
 どちらかといえば、米作りがない分、食料の一部を狩りに頼るのは縄文時代のほうが多かったので、弓矢もその分多く使われたかもしれません。
● 最初に「もみぎり」を考えた人は、どのように思いついたのですか?
 はっきりとはわかりませんが、風で木と木がこすれあって火がおきたところを見ていたか、こすれた面が熱くなっていることに気づいた人が、自分でこする方法を色々考えてみたのではないでしょうか。
 ただ、もみぎりは結構大変なことはみなさんもおわかりでしょう。
 みなさんが体験した舞ぎりから、マッチや現在のライターまで、多くの人の工夫(くふう)によって火おこしの道具もどんどん進化してきたのですね。
● 火おこしに使う木はどんな木でもいいのですか?
 火をおこす道具には火きり棒と火きり板が必要です。
 まず、火きり棒については、案外どのような木でも良いみたいですが、火のつきやすいものと、つきにくいものはあるようです。
 まほろんでは舞ぎりの先には「スギ」を、もみぎりについては「ウツギ」の木を使っています。
 「アジサイ」の茎がいいという人もいるようです。
 火きり板のほうは遺跡から出土しているもののほとんどが「スギ」であることも考ると、どうもスギが使いやすいようです。
 いずれにしても、よく乾燥(かんそう)した木である必要があります。
● 火おこしは、最短で何秒でつけられるのですか?
 火をおこす道具には火きり棒と火きり板が必要です。
 まず、火きり棒については、案外どのような木でも良いみたいですが、火のつきやすいものと、つきにくいものはあるようです。
 まほろんでは舞ぎりの先には「スギ」を、もみぎりについては「ウツギ」の木を使っています。「アジサイ」の茎がいいという人もいるようです。
 火きり板のほうは遺跡から出土しているもののほとんどが「スギ」であることも考ると、どうもスギが使いやすいようです。
 いずれにしても、よく乾燥(かんそう)した木である必要があります。
● 火おこしは、最短で何秒でつけられるのですか?
 火おこし名人の最短記録は、炎(ほのお)の状態までで何と7秒!だそうです。
 まほろんの名人は、30秒くらいでおこせますよ。
● 回転させて火をおこすものの紐(ひも)は何だったのですか?
 「弓ぎり」や「紐ぎり」という火おこし法についての質問だと思いますが、これらに使う紐(ひも)は、カラムシや麻(あさ)のような天然の草木などから繊維(せんい)を取り出して、それを使っていたと考えられます。
 他にも動物の皮をひものようにしたものや、植物のつるでも使えると思います。
● 木と木を擦り合わせて火がつくのはどうしてですか?
 物がこすれあうと、摩擦熱(まさつねつ)というものがおきます。木は表面がざらざらで、また熱を他に伝えにくいので、比較的摩擦熱がたまりやすい材質といえます。
 発生した摩擦熱が一か所にたまると、いずれ火がつくほどの高温になります。
 高温になるとこすれてたまった木の粉に引火するわけです。
● 土器はどのように作られ、何に使われたのですか?
 縄文時代が始まるころ、だいたい今から1万3千年前くらいに、世界の気候が全体に暖かくなってきます。
 日本ではドングリの木や栗の木のような「落葉広葉樹(らくようこうようじゅ)」という木が増えはじめ、動物もシカやイノシシなどの小形のものが増えてきます。
 それまでの旧石器時代には、マンモスやナウマンゾウなどの大型の動物を食料としてきましたが、それらが絶滅してしまいました。
 それらに変わる食料として、植物の実などを煮て食べることが必要になり、丈夫な煮炊(にた)きの道具として作られたものが土器だと考えられます。
 これにより、人々はムラをつくり、あまり移動をしない定住生活(ていじゅうせいかつ)を始めます。
 ですから縄文時代以来、ずっと土器は主に煮炊きの道具として活躍します。
 他には弥生時代以降には、種もみなどを貯蔵(ちょぞう)する道具としても、使われるようになったと考えられます。
● 縄文土器と弥生土器とで使い方は違うのですか?
 縄文土器には「深鉢(ふかばち)」とよばれるバケツ形の土器が多く、主に煮炊(にた)きに使われていたと考えられます。
 一方、弥生土器では煮炊きに使ったと思われる甕(弥生時代以降は煮炊き用の土器を甕(かめ)とよびます)のほか、穀物(こくもつ)などを保存するための壺(つぼ)が加わるところが大きな違いです。
 この変化は、米を作って貯蔵(ちょぞう)しておくという弥生時代の社会への変化を表しているものだと考えられています。
● 土器を作るのには何日かかったのですか?
 いい粘土(ねんど)を準備する時間を除いても、土器を作るにはなかなか時間がかかったと思います。
 形をつくるだけなら、慣(な)れた人だと一日で何個も作ることもできます。
 しかし、水漏れを防ぐためには、少し乾かして土器の内側をていねいに、なでたりみがいたりする作業もしなければなりません。
 これを完全に乾燥(かんそう)させるのに最低2週間として、焼くのにさらに1日必要です。
 そうすると、少なくとも3週間くらいはみないとダメですね。じっさいには、何人もの人が、一度に1個ではなく何個も一緒につくって、暮らしに必要な分をまかなったと考えられます。
旧石器・縄文時代に関する質問
<住まい>
● 縄文時代の家の床(ゆか)は土のままだったのですか?
 縄文時代の家の床にどんなものを敷いていたのかについては、これまで行われた発掘調査(はっくつちょうさ)でもわかっていませんが、湿気を防ぐために、網代(あじろ)、アンギン編(あ)みの布、毛皮などを敷いていた可能性があります。
● 縄文時代の家の中は寒そうですが、冬はどのように暮らしていたのでしょうか?
 冬の寒さを防ぐために、縄文時代の人々がどんな工夫をしていたのかについては、発掘調査(はっくつちょうさ)からは、なかなかわかりません。
 雪がたくさん降る地方では、子どもたちが雪を積み重ねて中をくりぬいて作る「かまくら」で遊びますが、「かまくら」の中は風が吹き込んでこなければ意外に暖かいようです。
 そこで、縄文時代の家も炉で暖をとることができることから、入り口から入る風を防ぐ工夫(くふう)さえできれば意外に暖かかったのかもしれません。
 また、土葺(つちぶ)き屋根の家がいくつか発見されていますが、これは冬の寒さを防ぐためのものだったのかもしれません。
 さらに、縄文時代はイノシシやシカなどの動物をとって食料にしていたわけですから、それらの動物の毛皮も敷物として利用したり、冬の防寒着として利用したりしていたことでしょう。
● 大昔の人は、家の中をそうじしたのですか?(そうじ道具などはあったのか)
 1000年以上も昔の人は地面をほりくぼめた「竪穴住居(たてあなじゅうきょ)」に住んでいることが多かったようです。
 そうじの道具らしいものは見つかっていませんが、きちんと整理していたようです。
 発掘(はっくつ)して見つかった家の中は道具の置く場所が決まっていて、作りかけの道具をあちらこちらに置いていたというようなことはありません。
 きっと毎日おそうじをしていたのでしょうね。
● 縄文時代の家の屋根は、今の家の屋根と同じだったのですか?
 縄文時代の家のつくりを考える時に、火事にあった当時の家の跡がとても参考になります。
 発掘調査をすると、火事になった家の中からは炭になった柱や屋根の材料などが発見され、残った材料から屋根がどのように作られていたかが、ある程度わかります。
 地面を掘りくぼめてつくる竪穴住居(たてあなじゅうきょ)は、外から見ると、地面の上に屋根をのせた「円すい形」に近い形の家だったようです。
 屋根の骨組みは家の天井の中心に向かって木を縦に並べ、細い木をその間に横にしばりつけて作っていたようですが、その上には木の皮や萱(かや)をのせて屋根を葺(ふ)いたようです。
 最近、岩手県一戸町にある御所野遺跡(ごしょのいせき)や福島県福島市にある宮畑遺跡(みやはたいせき)で、屋根の上に土を葺いたと考えられる縄文時代の竪穴住居が発見されており、屋根の上に土をのせた家があったのではないかと考えられるようになりました。
 しかし、このような土を葺いた屋根の家がどのぐらいあったのかについては、まだわかっていません。
 なお、まほろんの野外展示にある縄文時代の家は、カヤ葺(ぶ)き屋根で復元しています。