市 町 村 名 |
時代 |
名称・所在地ほか |
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新 地 町 |
旧 石器 時代 |
三貫地遺跡 |
新地町駒ヶ嶺字三貫地西 |
− |
後期旧石器時代のナイフ形石器や、その他の石器がまとまって発見されました。 平安時代にも集落が作られ、墨で「村」と書かれた土器も発見されています。 |
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縄文 時代 |
双子遺跡 |
新地町駒ヶ嶺字双子 | |
− |
江戸時代に塩を作る場所として使われていましたが、それよりも古い地層から長さが約5m以上ある縄文時代後期のものと考えられる丸木舟が2隻発見されています。 | ||
新地貝塚 |
新地町小川字貝塚西 | ||
国指定史跡 |
浜から離れた場所で貝殻が発見されるため、手長明神が長い手で海から貝をつかんで食事した場所だったという伝承が残っており、その社の跡も残っています。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
向田A遺跡 |
新地町駒ヶ嶺字向田 | |
− |
古墳時代の終わりごろから新地町・相馬市に広がる古代の製鉄コンビナートの一部で、製鉄炉でできた鉄を使って製品を作った鋳型も発見されています。 | ||
武井E遺跡 |
新地町今泉字武井 | ||
− |
物の中に火葬骨が入った須恵器が埋められていたことが確認され、新地町・相馬市に広がる古代の製鉄コンビナートを管理していた人の墓と考えられています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
新地城 | 新地町谷地小屋字館前 | |
− |
室町時代の新地町周辺は相馬氏と伊達氏の領地の境にあたり、たびたび戦がありました。 この城は伊達氏に対抗する相馬氏の重要な城の一つでした。 |
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江戸 時代 |
師山遺跡 | 新地町駒ヶ嶺字師山 | |
− |
縄文時代晩期の製塩炉、平安時代の製塩土器などが発見されており、古代から塩作りに適した場所でした。 江戸時代には塩田を使った塩作りが行われていました。 |
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明治 時代 〜 現在 |
観海堂 | 新地町谷地小屋字枡形 | |
県指定史跡 | 学制発布によって公立学校が作られる以前の明治五年(1872)に地元有志によって作られた学校です。 日本の学校教育のさきがけとして重要な場所です。 |
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新地町白幡のイチョウ | 新地町駒ヶ嶺字白薄 | ||
県指定天然記念物 | 相馬藩と伊達藩の藩境のすぐ北側にある、もと白旗八幡神社の境内に立っているイチョウです。 藩境をはさんで南側には同じようにシイノキの大木が立っています。 |
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飯 舘 村 |
縄文 時代 |
上ノ台A遺跡 | 飯舘村大倉字上ノ台 |
− |
縄文時代中期の集落で、このころ県内を中心に流行した、火を焚く場所が二つに分かれている「複式炉」と呼ばれる炉のある竪穴住居がたくさん発見されています。 | ||
羽白C遺跡 | 飯舘村大倉字羽白 | ||
− |
縄文時代早〜晩期の集落で、掘立柱建物などのまつりに関係する施設と竪穴住居が別な場所に作られており、当時のムラの中での生活のようすがわかります。 | ||
相 馬 市 |
縄文 時代 |
猪倉B遺跡 | 相馬市初野字猪倉 |
− |
縄文時代前期の集落で、竪穴住居が何軒も重なって発見されていることから、当時の人たちがこの場所に定住して、何度も家を建て替えていたことがわかりました。 | ||
段ノ原B遺跡 | 相馬市椎木字段ノ原 | ||
− |
縄文時代前期の集落で、発見された竪穴住居をみると、このころの住居は壁ぎわに細い柱を何本も立てて屋根を支えるような造りの家だったことがわかります。 | ||
古墳 時代 |
大森A遺跡 | 相馬市長老内字大森 | |
− |
古墳時代の集落とともに、水田が発見されました。 当時の水田の区画は、ほぼ1.5m四方と現在のものに比べ非常に小さかったことがわかりました。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
山田A遺跡 | 相馬市大坪字山田 | |
− |
新地町から相馬市に広がる古代の製鉄コンビナートの一部で、製鉄炉でできた鉄を使って香炉などの仏具を作るために使われた鋳型も発見されています。 | ||
黒木田遺跡 | 相馬市中野字明神前 | ||
− |
古墳時代の終わりごろに県内で最初に瓦葺きの寺が建てられた場所と考えられており、寺の中心建物の一つの講堂と考えられる建物が発見されています。 | ||
江戸 時代 |
中村城跡 | 相馬市中村字北町 | |
県指定史跡 | 慶長十六年(1611)に築城され、相馬氏歴代の居城として相馬藩の中心となった城です。 城内に相馬氏の氏神を祀った相馬中村神社が建てられています。 |
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鷲塚遺跡 | 相馬市新沼字広須賀 | ||
− |
砂浜にある塩田を利用して塩を作った場所で、塩田で作った濃い海水を岩盤をくりぬいた場所に溜め、釜で煮詰めて塩を取り出していました。 | ||
藩境土塁 | 相馬市椎木字北原・長老内字大森 | ||
− |
仙台の伊達藩と相馬藩の境を表すために土を盛って作られたもので、現在の岩手県にも伊達藩と南部藩の境を表す同じような土塁が作られています。 | ||
南 相 馬 市 |
旧 石器 時代 |
荻原遺跡 | 南相馬市小高区羽倉字荻原 |
− |
後期旧石器時代のナイフ形石器や、その他の石器がまとまって発見されました。それよりも上の地層からは、縄文時代早期の集落も発見されています。 | ||
縄文 時代 |
宮後A(上栃窪)遺跡 | 南相馬市鹿島区上栃窪字宮後 | |
− |
縄文時代中期の集落で、床に石を敷いた住居が発見されています。 この住居からは、人体を表した飾りのある珍しい縄文土器も発見されています。 |
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八重米坂A遺跡 | 南相馬市原町区片倉字八重米坂 | ||
− |
縄文時代早期〜前期の集落で、竪穴住居が何軒も重なって発見されていることから、当時の人たちがこの場所に定住して、何度も家を建て替えていたことがわかりました。 | ||
大富西畑遺跡 | 南相馬市小高区大富字西畑・東畑・犬塚 | ||
− |
縄文時代中期の集落で、このころ県内を中心に流行した火を焚く場所が二つに分かれている「複式炉」と呼ばれる炉のある住居がたくさん発見されています。 | ||
浦尻貝塚 | 南相馬市小高区浦尻字南台・西向・台ノ前・小迫 | ||
国指定史跡 | 縄文時代前期から晩期にかけて長期間に渡って営まれた貝塚で、アサリを主体とする4ヶ所の貝層が確認されています。 貝層に含まれている各時期の各種動物の遺存体から、縄文時代の漁労活動の変遷をとらえることのできる貴重な遺跡となっています。 |
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弥生 時代 |
天神沢遺跡 | 南相馬市鹿島区江垂字天神沢 | |
− |
弥生時代に稲刈り用の石器として使われた「石包丁」を大量に作っていた集落で、完成品になる途中の段階の石庖丁がたくさん発見されています。 | ||
南入A遺跡 | 南相馬市鹿島区烏崎字南入 | ||
− |
谷に面した場所に作られた弥生時代中期の集落で、谷の部分からいろいろな形の石斧や石庖丁など、弥生時代に使われた石器が発見されています。 | ||
古墳 時代 |
真野古墳群 | 南相馬市鹿島区寺内字大谷地・佛方・八幡林・小池字長沼 | |
国指定史跡 | 古墳時代中〜後期に、真野川の南側を治めていた豪族が造った前方後円墳2基を含む古墳群です。 前方後円墳からは金銅製双魚袋金具などが発見されています。 |
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羽山横穴 | 南相馬市原町区中太田字天狗田 | ||
国指定史跡 | 現在の原町市の南側を治めていた豪族の墓と考えられています。 横穴の壁に人物や馬などの絵が描かれており、絵の描かれた横穴は県内でも珍しいものです。 |
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浪岩横穴古墳群 | 南相馬市小高区泉沢字浪岩 | ||
市指定史跡 | ほぼ横1列に18基の横穴が確認されています。 12号横穴墓は、奥の壁際に棺を置く台を削り出し、壁には白と赤の丸い模様が描かれています。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
大迫遺跡 | 南相馬市鹿島区川子字大迫 | |
− |
南相馬市金沢地区から続く平安時代の製鉄コンビナートの一部です。 製鉄を行う際に必要な木炭を焼いた窯と製鉄炉がセットになって発見されています。 |
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大船迫A遺跡 | 南相馬市原町区金沢字大船迫 | ||
− |
平安時代の製鉄コンビナート地帯の一部で、掘立柱建物がまとまって建てられている場所は、製鉄作業を管理する事務所のようなものだったと考えられています。 | ||
鳥打沢A遺跡 | 南相馬市原町区金沢字鳥打沢 | ||
− |
平安時代の南相馬市の海岸地帯に広がる製鉄コンビナート地帯の一部で、発見された製鉄炉が現地に保存され、当時の姿に復元されています。 | ||
薬師堂石仏 | 南相馬市小高区泉沢字薬師前 | ||
国指定史跡 | 観音堂石仏の近くにある石仏群で、平安時代の終わりごろに作られたものです。 薬師如来を中心とする8体の仏像が彫られており、すぐ脇には阿弥陀堂石仏もあります。 |
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観音堂石仏 | 南相馬市小高区泉沢字後屋 | ||
国指定史跡 | 薬師堂石仏の近くにあり、中心の観音と考えられる大きな仏像の上には「大悲経」という経典に出てくる仏(賢劫千仏)が彫られています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
小高城跡 | 南相馬市小高区小高字古城 | |
県指定史跡 | 室町時代の相馬氏の本拠地として使われた城です。 城内にある小高神社は相馬氏の守護神妙見を祀った社で、相馬野馬追には野馬懸が行われます。 |
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江戸 時代 |
菖蒲沢・ 高木戸の野馬土手 |
南相馬市小高区羽倉字菖蒲沢・高木戸 | |
市指定史跡 | 江戸時代の原町市周辺には野馬土手で囲まれた馬の放牧地があり、出入り口の部分には石垣積みの木戸が多い時で30ヶ所設けられていました。 | ||
旧武山家住宅 | 南相馬市原町区北原字大塚 | ||
国指定重要文化財 | 相馬藩の在郷の武士の屋敷だったもので、入り口の土間の側面に別棟で「かまや」「うまや」をつなげる造りの住宅です。 | ||
初発神社のスダシイ樹林 | 南相馬市原町区江井字西山 | ||
県指定天然記念物 | 初発神社の境内は、スダシイが主となる自然林です。 スダシイは 暖かい地方に生えるブナ科の植物で、この場所はスダシイの北限の地として知られています。 |
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泉の一葉マツ | 南相馬市原町区泉字町池 | ||
県指定天然記念物 | この松には弁慶にまつわる伝説があり、別名「弁慶マツ」とも呼ばれています。 一つの枝に一葉と二葉の葉が混じる県内でも珍しいクロマツです。 |
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現在 |
海老浜のマルバシャリンバイ自生地 | 南相馬市鹿島区南海老字北原 | |
県指定天然記念物 | シャリンバイは西日本の海岸部に自生するバラ科の植物ですが、海老浜の海岸でもみられます。 この場所は、シャリンバイの自生地としては北限にあたります。 |
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浪 江 町 |
縄文 時代 |
中平遺跡 | 浪江町大堀字中平 |
− |
縄文時代中期の集落のほかに、江戸時代の大堀相馬焼の窯場の一部も発見され、江戸時代の大堀相馬焼でどんなものが焼かれていたのかがわかりました。適確 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
鹿屋敷遺跡 | 浪江町棚塩字鹿屋敷 | |
− |
古墳時代から平安時代まで続いたこの地域の中心となる集落で、平安時代の焼印と考えられる鉄製品が発見されています。 | ||
江戸 時代 |
大堀長井屋窯跡 | 浪江町大堀字漆畑 | |
− |
大堀相馬焼の窯の中で窯本体が発掘調査されているのは、ここだけです。 皿・茶碗・土瓶・急須・銚子など日用品を中心に焼かれていたことがわかりました。 |
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旧渡部家住宅 | 浪江町北幾世橋字北原 | ||
県指定重要文化財 | 相双地方の上層農民の住宅の特徴がよく表されている建物で、解体復元の時に柱のほぞから木札が発見され、文化八年(1811)に建てられたことがわかりました。 | ||
初発神社本殿 | 浪江町北幾世橋字町後87 | ||
県指定重要文化財 | 相馬中村藩21代藩主昌胤が造営させた2間四方の切妻造りの建物で、元々相馬中村城内にあったものを移築したものと推定されます。 殿内には見事な装飾が施され、県内の社寺建築の中でも特異な存在であり、棟札とともに貴重な資料となっています。 |
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現在 |
大聖寺のアカガシ樹群 | 浪江町北幾世橋字北原 | |
県指定天然記念物 | 大聖寺の周辺には、アカガシの大木が群生しています。 アカガシが幹周り約6mの大木になることは珍しく、大木が群生しているのはさらに珍しいことです。 |
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葛 尾 村 |
縄文 時代 |
六良田A遺跡 | 葛尾村野川字六良田 |
− |
縄文時代早〜前期の集落の他に江戸時代の製鉄炉も確認されており、鉄の精錬で財をなした葛尾大尽の活躍がしのばれます。 | ||
双 葉 町 |
旧 石器 時代 |
手子塚A遺跡 | 双葉町山田字手子塚 |
− |
旧石器時代のナイフ形石器などが発見されています。 この丘陵は、この後も縄文時代〜弥生時代の初めにかけて継続して集落がつくられていました。 |
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弥生 時代 |
猿田沖遺跡 | 双葉町山田字手子塚 双葉町大字上羽鳥字猿田沖 | |
− |
発掘調査が行われていないため詳しい内容はわかりませんが、発見される土器から弥生〜古墳時代の集落と考えられています。 | ||
古墳 時代 |
清戸迫横穴 | 双葉町新山字清戸迫 | |
国指定史跡 | 内部の壁には、渦巻きや帽子を被った人物、狩りをしている様子の絵などが描かれており、横穴に葬られた豪族の生涯を描いたものと考えられています。 | ||
沼ノ沢古墳群 | 双葉町郡山字沼ノ沢 | ||
− |
奈良時代にこの地方の役所が建てられた地域にあり、清戸迫横穴群に葬られた豪族とともに当時の双葉地方を治めた有力な豪族の墓と考えられています。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
郡山五番遺跡 | 双葉町郡山字五番 | |
− |
双葉郡地方は当時標葉郡と呼ばれており、標葉郡の役所があった所です。 相馬・原町地方の郡役所で発見される瓦とよく似た模様の瓦が発見されています。 |
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榎内経塚群 | 双葉町上羽鳥字榎内 | ||
− |
平安時代の終わりごろ、死後極楽に行けることを祈って、経典の入った容器を石の塚に納めたものです。 これらの塚は、現在、当時の姿に復元整備されています。 |
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現在 |
前田の大スギ | 双葉町前田字稲荷前 | |
県指定天然記念物 | 稲荷神社境内にあるこのスギは、高さ約21m、幹周り約8mの大木で、浜通り地方のスギでは大悲山の大スギに次ぐ大きさです。 | ||
大 熊 町 |
江戸 時代 |
山神窯跡 | 大熊町野上字山神 |
− |
江戸時代の相双地方では、大堀相馬焼と同じようなやきものの窯がたくさん作られました。 これらの窯では、茶碗などの日用雑器が焼かれていました。 |
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川 内 村 |
現 在 |
平伏沼モリアオガエル繁殖地 | 川内村上川内字平伏森地内 |
国指定天然記念物 | 平伏山の山頂にある平伏沼は、モリアオガエルの集団繁殖地として有名です。 6月中旬の産卵時期になると、水面に張り出した枝に泡状の卵が産み付けられます。 |
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富 岡 町 |
縄文 時代 |
関根遺跡 | 富岡町本岡字関ノ前 |
− |
縄文時代晩期の埋甕や、表面が赤く塗られた皿や壷、注ぎ口の付いた土器などがたくさん発見されており、当時の祀りを行った場所と考えられています | ||
江戸 時代 |
清水一里塚 | 富岡町上郡山字清水 | |
− |
一里塚は街道の両側に造られましたが、直径約10m、高さ約6mの西側の塚しか残っていません。 約4km南には楢葉町井出一里塚があります。 |
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楢 葉 町 |
縄文 時代 |
山所布B遺跡 | 楢葉町大字井出字所布 |
− |
縄文時代晩期の集落で、縄文土器や石器がたくさん発見されています。 その中には、人の顔の飾りが付いた小さな壷などの珍しい土器も含まれています。 |
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馬場前遺跡 | 楢葉町上小塙字馬場前ほか | ||
− |
相双地域の縄文時代中期を代表する集落跡で、多数の竪穴住居跡や土坑及び埋甕などが見つかりました。 土坑の大半は貯蔵用の穴で、完全な形の土器がたくさん出土した貯蔵用の穴も見つかっています。 また、住居跡や土坑からは、多量の縄文土器をはじめ、土製品や石器・石製品などの遺物が出土しています。 |
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弥生 時代 |
天神原遺跡 | 楢葉町大字北田字上ノ原 | |
県指定史跡 |
弥生時代中期の集団墓域であり、昭和37年の発見以来、土器棺33基、土坑墓49基が見つかっています。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
鍛冶屋遺跡 | 楢葉町上小塙字鍛冶屋 | |
− |
平安時代になると掘立柱建物などが作られ、「厨」・「主屋」などと書かれた土器が出土することから、有力者の住んだ集落と考えられています。 | ||
赤粉遺跡 | 楢葉町下繁岡字赤粉・井出字館ノ沢 | ||
− |
この遺跡からは、筒型土器と呼ばれる塩を作る時に使われた土器がたくさん発見されていることから、塩作りに関係した集落だったと考えられています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
小塙城跡 | 楢葉町下小塙字正明寺 | |
− |
室町時代の終わりごろに、この地方を治めた猪狩氏の城と考えられており、東西に広がる台地を2本の空堀で区切って城を造っています。 | ||
江戸 時代 |
井出一里塚 | 楢葉町井出字向ノ内 | |
− |
主な街道で一里(約4km)ごとに道路の両側に築かれた塚が一里塚です。 直径7m、高さ約3mほどの塚が両方残っていて当時の浜街道の道筋がわかります。 |
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広 野 町 |
縄文 時代 |
上田郷Y遺跡 | 広野町上北迫字上田郷 |
− |
縄文時代早期〜前期の集落で、竪穴住居のそばに当時のゴミ捨て場が発見されており、この頃使われていた縄文土器がたくさん発見されています。 | ||
弥生 時代 |
折木遺跡 | 広野町折木字館 | |
− |
弥生時代中期の竪穴住居から少し離れた場所に焼けた土や粘土の塊がまとまって発見されており、この場所で土器が焼かれたと考えられます。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
高倉城跡 | 広野町折木字高倉 | |
町指定史跡 | 室町時代の広野町は浜通り地方の統一をめざす北の相馬氏と南の岩城氏の勢力が衝突する地域で、どちらの勢力にとっても重要な城でした。 | ||
い わ き 市 |
縄文 時代 |
大畑貝塚 | いわき市泉町下川字大畑 |
− |
集落の近くに当時のゴミ捨て場だった貝塚があり、貝塚からは手足を曲げて葬られた人骨や、アワビを使った祭りを行った場所などが発見されています。 | ||
薄磯貝塚 | いわき市平薄磯字三反田 | ||
− |
当時の人たちのゴミ捨て場だった貝塚からは鹿の角がまとまって発見された場所があり、この場所は縄文人が祭りを行った場所と考えられています。 | ||
愛谷遺跡 | いわき市平赤井字窪田 | ||
− |
縄文時代から古墳時代の集落が発見されており、室町時代の城としても利用された場所です。人の顔の飾りの付いた縄文土器も発見されています。 | ||
寺脇貝塚 | いわき市小名浜字古湊 | ||
− |
縄文時代後期〜晩期の貝塚で、鹿の角や骨を加工して作った釣針や銛などがたくさん発見されており、縄文人の魚を獲る技術が高い水準だったことがわかりました。 | ||
弥生 時代 |
龍門寺遺跡 | いわき市平下荒川 | |
− |
弥生時代中期の竪穴住居が発見されていますが、そのうちの1軒からは住居の中で使っていた土器がまとまって発見されました。 | ||
番匠地遺跡 | いわき市内郷御厩町番匠地 | ||
− |
福島県で初めて弥生時代の水田が発見されました。 また、平安時代の金属製品を作る鋳型も発見されており、「磐城郡印」や「常」などのハンコが作られていました。 |
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平窪諸荷遺跡 | いわき市平下平窪字諸荷 | ||
− |
弥生時代の集団墓地が発見されています。方形周溝墓と呼ばれる高い地位の人の墓や棺を穴に埋めるだけの墓まで、いろいろな種類の墓がみられます。 | ||
古墳 時代 |
中田横穴 | いわき市平沼ノ内字中田 | |
国指定史跡 | 棺を納める部屋の四方の壁に白と赤の顔料で連続する三角模様が描かれています。勾玉などの玉類のほかに、銅釧などの金属製品がたくさん発見されました。 | ||
金冠塚古墳 | いわき市錦町中田字堰下 | ||
県指定史跡 | 直径30mの円墳に作られた長さ約8mの大きな横穴式石室の中に10体分の遺体が発見され、金銅製の冠や耳環などの金属製品がたくさん発見されています。 | ||
甲塚古墳 | いわき市平荒田目甲塚 | ||
国指定史跡 | この地域は、郡役所がある古代磐城郡の中心地でした。 この古墳は直径約40m、高さ約8mの大型の円墳で磐城国造と関係する豪族の墓と考えられています。 |
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神谷作古墳群 | いわき市平神谷作 | ||
− |
前方後円墳の101号墳から男性埴輪が発見されました。 近くにある中田横穴の壁の模様と、埴輪の服や冠の模様が同じであることから両者の関連が考えられます。 |
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八幡横穴 | いわき市平下高久字八幡 | ||
− |
法隆寺の幡金具に似た飾金具など、珍しい副葬品が発見されています。 中田横穴や神谷作古墳の近くにあり、この地域は当時のいわき地方の中心地のひとつです。 |
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玉山古墳 | いわき市四倉町玉山字林崎・塚後 | ||
県指定史跡 | 全長約110mの浜通り地方では最大・最古の前方後円墳で、古墳時代前期のいわき地方では最大の勢力を持った豪族の墓と考えられています。 | ||
タタラ山遺跡 | いわき市四倉町玉山字南タタラ山 | ||
− |
古墳時代後期を中心とした集落跡で、カマドから良好な形で遺物がみつかっています。 また、石製模造品の完成品のほか、未製品や滑石片が多量に出土しており、この地で石製模造品を製作していたことが伺えます。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
根岸遺跡 | いわき市平下大越字根岸 | |
− |
古代磐城郡の郡役所があった場所で、豪族の屋敷の近くに税金の米を入れた倉庫群や事務を行う建物群など、役割ごとに建物がまとまって発見されました。 | ||
荒田目条里遺跡 | いわき市平荒田目字甲塚・砂畑・明星町 | ||
− |
平安時代の川から木簡や墨書土器などが発見されました。 木簡には郡役所からの命令書などが含まれており、役所も関係した祭りが行われた可能性があります。 |
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小茶円遺跡 | いわき市平山崎字小茶円 | ||
− |
当時、役所から種籾を借り、収穫時期に利子分を加えて返す「出挙」という制度があり、役所に納める米に付けられた平安時代の荷札が発見されています。 | ||
砂畑遺跡 | いわき市平菅波字砂畑 | ||
− |
墨で人の顔を描いた平安時代の土器が発見されています。 このような土器は、病気や死などの穢れを祓うための祀りに使われたものと考えられています。 |
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夏井廃寺 | いわき市平下大越字石田 | ||
県指定史跡 | 奈良時代の直前に造られたお寺で、古代の磐城郡役所と同じ瓦が使われていることから、磐城郡の役人となった豪族に関係するお寺と考えられています。 | ||
白水阿弥陀堂境域 | いわき市内郷白水町広畑・大門 | ||
国指定史跡 | 平安時代の終わりごろに造られたお寺です。 境内は阿弥陀堂を中心に極楽浄土の世界を表した浄土式庭園となっており、阿弥陀堂は国宝に指定されています。 |
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上ノ原経塚 | いわき市好間町北好間字上ノ原 | ||
− |
死後、極楽浄土に行けるように経典を埋めることが平安時代に流行しました。 ここでは、銅でできた容器に経典が入った状態で発見されました。 |
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大猿田遺跡 | いわき市四倉町中島字大猿田 | ||
− |
須恵器を焼いたり、木を加工していろいろな製品を作っていた場所で、木簡などが発見されていることから平安時代の役所に関係した施設と考えられています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
専称寺境域 | いわき市平山崎字梅福山 | |
県指定史跡および名勝 ※本堂は県指定重要文化財 |
梅の名所で知られる専称寺は、室町時代に建てられ、江戸時代には浄土宗名越派の奥州総本山でした。本堂は、江戸時代の建築として有名です。 | ||
砂屋戸荒川館跡 | いわき市平上荒川字砂屋戸 | ||
室町時代の山城で、城全体が発掘調査されました。 城の中心部からは当時高級品だった天目茶碗などの輸入陶磁器がたくさん発見されました。 |
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高久の古館 | いわき市平下高久古舘 | ||
県指定史跡 | 鎌倉時代にこの一帯を治めていた高久小次郎隆衡の居城と伝えられている山城で、滑津川流域を見下ろす場所に作られています。 | ||
江戸 時代 |
飯野八幡宮本殿 | いわき市平字八幡小路 | |
国指定重要文化財 | 飯野八幡宮は文治二年(1186)に京都の石清水八幡宮から勧請されたのが始まりで、大型の入母屋造りの現在の社殿は元和元年(1615)に作られたものです。 | ||
満照寺不動堂 | いわき市田人町黒田字別当 | ||
県指定重要文化財 | 「黒田不動堂」とも呼ばれている宝形造りの茅葺き屋根を持つ総欅造りの三間堂で、建物の特徴から江戸時代初めに建てられたものと考えられています。 | ||
住吉神社本殿 | いわき市田人町黒田字別当 | ||
県指定重要文化財 | 平安時代の延喜式に記載されている由緒ある神社で、現在の社殿は寛永十八年(1641)に湯長谷藩主内藤政興によって建立されたことが棟札からわかります。 | ||
高蔵寺三重塔 | いわき市高倉町鶴巻 | ||
県指定重要文化財 | 江戸時代中期に高蔵寺を盛りたてた隆承和尚によって建てられた三重塔で、屋根の先端にある銘文から安永三年(1774)に建てられたことがわかります。 | ||
旧樋口家住宅 | いわき市鹿島町下矢田字散野 | ||
県指定重要文化財 | 桁行7間、梁間4.4間の平面積31坪の農民の住宅で、18世紀末のいわき地域の一般農民層の住居の特色をよく残す貴重な資料となっています。 | ||
現在 |
照島ウ生息地 | いわき市泉町下川字大畑 | |
国指定天然記念物 | 周囲が断崖となっている照島は古くからウが生息することで知られています。 島に通年いるウは少数で、越冬のために毎年10月ころからウミウが飛来し始めます。 |
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沢尻の大ヒノキ(サワラ) | いわき市川前町上桶売字上沢尻 | ||
国指定天然記念物 | 高さ約35m、根周り約12mのサワラの大木で、現在のところ、サワラとしては国内最大のものです。 | ||
賢沼のウナギ生息地 | いわき市平沼ノ内字代ノ下 | ||
国指定天然記念物 | 沼ノ内弁天密蔵院の境内にある賢沼は、弁天信仰によって古くからウナギが保護され、巨大なウナギが生息することで有名な場所です。 | ||
中釜戸のシダレモミジ | いわき市渡辺町中釜戸字猿田 | ||
国指定天然記念物 | 高さ約6m、根周り約3mのモミジで、地上1.5mの部分で3本に枝分かれしています。 枝はねじれながら四方に広がり、小さい枝が垂れる特殊な形をしています。 |
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上平窪のシイノキ群 | いわき市平上平窪字横山 | ||
県指定天然記念物 | もと利安寺の境内にはシイノキの大木が7本あり、いずれも高さ約20m、幹周り5m前後のものです。 県内でシイノキの大木がまとまって生えているのはここだけです。 |
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石森のカリン | いわき市平四ツ波字石森 | ||
県指定天然記念物 | 石森山の忠教寺の境内には、高さ11m、幹周り約3mのカリンの大木があります。 全国でもこれほど大きなカリンは珍しいものです。 |
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八坂神社の二本スギ | いわき市遠野町入遠野字天王 | ||
県指定天然記念物 | 八坂神社の社殿の脇には、高さ35m前後、幹周り約6mのスギの大木が並んで立っています。 これほどのスギの大木が二本並んでいるのは、珍しいことです。 |
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