市 町 村 名 |
時代 |
名称・所在地ほか |
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会 津 若 松 市 |
縄文 時代 |
本能原遺跡 | 会津若松市大戸町大豆田 |
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縄文時代の中期のムラで住居跡や貯蔵のための穴が環状にめぐるように発見されました。 中でも長さが10mを越える大形の住居跡は注目されます。 |
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弥生 時代 |
一ノ堰B遺跡 | 会津若松市門田町一ノ堰 | |
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100基以上のお墓が発見されました。お墓からはたくさんの壷の破片が出土しました。生前使っていた土器をわって死者とともに埋めたものです。 | ||
古墳 時代 |
田村山古墳 | 会津若松市和合字塚越甲 | |
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田村山古墳は前期の前方後円墳で現状はかなり変形されていますが、相当大きな古墳であったと思われます。 この他に6基の古墳があったようです。 出土品には銅鏡・管玉・直刀などがあります。銅鏡は東北地方では大変珍しい種類です。 |
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和泉遺跡 | 会津若松市和泉字下分 | ||
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古墳時代初頭のムラの跡が発掘され、11軒の家の跡が発見されました。この時期の住居跡がたくさん見つかることは会津地方ではめずらしいことです。 | ||
会津大塚山古墳群 | 会津若松市一箕町 | ||
国指定史跡 |
東北地方を代表する古墳時代前期の前方後円墳。 後円部には2箇所の棺の跡が発見され,多くの副葬品が発見されました。 中でも三角縁神獣鏡は東北地方で唯一のものです。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
上吉田遺跡 | 会津若松市高野町字柳川 | |
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会津盆地のほぼ中央にある遺跡で、当時の川の跡からたくさんの墨で字の書かれた土器が出土しました。 水辺でお祭りをした跡と考えられます。 |
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大戸古窯跡群 | 会津若松市大戸町雨屋 | ||
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須恵器を焼いた窯が総数300基以上発見されています。 東北地方南部で発見される須恵器の多くが個々で焼かれたものであることが分かりました。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
延命寺地蔵堂 | 会津若松市河東町倉橋字藤倉 | |
国指定重要文化財 | 禅宗様の建築で、屋根の下にひさしが突き出てこれを柱で支える変わった形をしています。 | ||
八葉寺阿弥陀堂 | 会津若松市河東町広野字権現塚 | ||
国指定重要文化財 | 入母屋造りの建物で、萱葺き屋根の美しい反りが特徴的です。 | ||
江戸 時代 |
旧滝沢本陣横山家住宅 | 会津若松市一箕町大字八幡 | |
国指定重要文化財 | 滝沢組11ヶ村の郷頭を命じられ、幕末まで続きました。 また会津藩主が休憩するための本陣としても利用されました。 |
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会津松平家院内廟所 | 会津若松市東山町石山 | ||
国指定史跡 | 会津松平家初代正之の長子正頼と二代正経以降の当主と家族の墓があります。 | ||
会津松平氏庭園 | 会津若松市花春町 | ||
国指定名勝 | 会津藩主松平氏の別荘で、江戸時代中期に築造されたものです。 園の中央に屈曲した心字の池があります。御薬園とも呼ばれます。 |
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旧正宗寺三匝堂 | 会津若松市一箕町大字八幡 | ||
国指定重要文化財 | 通称「さざえ堂」と呼ばれ、内部にらせん状のスロープがあります。 西国札所の三十三観音象がまつられ、一度入ると巡礼を終えたことになると考えられました。 |
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神指城跡 | 会津若松市神指町中四合 | ||
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越後から会津へ移った上杉景勝が築城した城跡。 二重の堀を持つ平城で築城途中で関ヶ原の戦いが始まり、完成を待たずに廃城となりました。 |
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現 在 |
赤井谷地沼野植物群落 | 会津若松市湊町大字赤井 | |
国指定天然記念物 | 泥炭層の上に発生した特殊な植物群落で標高520mにあります。 北樺太と共通する植物が多い貴重なものです。 |
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白山沼イトヨ生息地 | 会津若松市下荒井字中里前 | ||
県天然記念物 | イトヨはトゲウオ科の体長5cm程度の小魚でからだの割に大きな3本の刺があり、巣を作る魚として注目されます。 | ||
高瀬の大木(ケヤキ) | 会津若松市神指町大字高瀬 | ||
国指定天然記念物 | 推定樹齢400年の大木で、根本の周囲12.6m、高さ16mあります。 | ||
喜 多 方 市 |
縄文 |
常世原田遺跡 | 喜多方市塩川町常世原字原田 |
県指定史跡 | 縄文時代早期は小規模な遺跡が一般的ですが、この遺跡の場合は土器・土偶・石器などが多量に出土する貴重な遺跡です。 とくに出土した土器は「常世式」土器と呼ばれ、考古学の研究上重要なものです。 |
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弥生 時代 |
舘ノ内遺跡 | 喜多方市塩川町吉沖字舘ノ内 | |
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発掘調査では4本の溝で囲まれた弥生時代の終わり頃のお墓が発見されました。 そのうち3本の溝は弓のように反っていてお墓の四隅が出たようになっています。 このようなお墓は北陸地方によく見られるもので、出土した土器も北陸地方の特徴を持っています。 |
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古墳 時代 |
糠塚古墳群 | 喜多方市岩月町宮津 | |
県指定史跡 | 3基の円墳からなる古墳群で、その中の糠塚古墳は直径17m、高さが5mあります。 | ||
輪具古墳群 | 喜多方市熊倉町都 | ||
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2つの古墳が発見されました。 1号墳からは積石の竪穴石室が見つかり、中から鉄斧・管玉・ガラス玉・耳飾りが出土しました。 |
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古屋敷遺跡 | 喜多方市塩川町大田木字古屋敷 | ||
国指定史跡 | 幅5mの堀と柵の列が2重に四角くめぐらされた遺跡で、内側から竪穴住居が発見されています。 | ||
奈良 ・ 平安 時代 |
鏡ノ町B遺跡 | 喜多方市塩川町四奈川字鏡ノ町 | |
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古代会津郡または耶麻郡役所に関係の深い人物の屋敷跡と考えられ、河川の跡からおはらいに使ったと思われる人物を墨で書いた土器が見つかりました。 人物の全身を描いたものは大変珍しいものです。 |
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御前清水遺跡 | 喜多方市山都町三津合字諏訪南 | ||
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遺跡の性格は真だ明らかではありませんが、湿地から木椀・下駄のほかに箸状や卒塔婆状の木製品が出土しています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
熊野神社長床 | 喜多方市慶徳町新宮 | |
国指定重要文化財 | 熊野神社の拝殿で、萱葺き寄せ棟造りの建物です。 44本の柱が5列に並び壁が無い構造で、寝殿造りの雰囲気が残っています。 本殿は県の重要文化財に指定されてます。 |
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新宮城跡 | 喜多方市慶徳町新宮 | ||
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鎌倉時代に作られ、芦名氏に滅ぼされるまでの約200年間、新宮氏の居城となりました。 発掘調査の結果二重の堀と土塁で囲まれた方形の城であることが分かりました。出土品には金銅仏があります。 |
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勝福寺観音堂 | 喜多方市関柴町三津井 | ||
国指定重要文化財 | 寄せ棟造りの萱葺きの三間仏堂で、室町時代末ごろの手法が見られ、当時の仏堂の中でも規模が大きいものです。中には千手観音像がまつられています。 | ||
江戸 時代 |
旧一ノ戸村制札場 | 喜多方市山都町一の木字本村乙 | |
県指定史跡 | 旧会津藩内に24か所あった制札場のうち唯一現存するものです。 | ||
別府の一里塚 | 喜多方市塩川町小府根字五百刈 | ||
県指定史跡 | 若松から米沢に向かう米沢街道に設けられた一里塚で、当時旅の目安とされたものです。 | ||
北 塩 原 村 |
現 在 |
雄国沼湿原植物群落 |
北塩原村檜原字雄国山 |
国指定天然記念物 | 標高1089mにある沼地にミズゴケなどの湿原植物のほかに、珍しい高冷地性植物が生育しています。 また山麓のツツジは見事な花を咲かせます。 |
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西 会 津 町 |
縄文 時代 |
塩喰岩陰遺跡 | 西会津町野沢字塩喰家ノ上ほか |
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厚く土層が積み重なり、縄文時代の全体をつうじて利用されていたことが分かりました。 層の上下関係から、道具のうつりかわりをとらえることができます。後期のお墓からはサメの歯が出土しています。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
羽黒山館跡 | 西会津町野沢字妙法寺 | |
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お城の中心部は現在雷山公園として整備されています。 発掘調査は山城の裾で行なわれ、建物の跡と井戸跡が見つかりました。 |
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円満寺観音堂 | 西会津町下谷字宮ノ後 | ||
国指定重要文化財 | 室町時代末期の代表的な方三間仏堂です。屋根は入母屋造りで萱葺きです。 | ||
江戸 時代 |
如法寺観音堂(附仁王門) | 西会津町野沢字如法寺 | |
県指定重要文化財 | 豪華で細かい彫刻がほどこされた近世初期の仏堂です。 仁王門も合わせて指定されています。 |
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現 在 |
束松塩坪層の漣痕 | 西会津町大字束松字鳥屋丁 | |
県指定天然記念物 | 新生代第三紀の海で出来た地層上に残された文様で、水の働きによって作り出されたものです。 | ||
如法寺のコウヤマキ | 西会津町野沢字如法寺 | ||
県指定天然記念物 | コウヤマキは福島県を北限とする日本特産の常緑高木です。高さ30mでコウヤマキとしてはまれな巨木です。 | ||
磐 梯 町 |
縄文 時代 |
角間遺跡 | 磐梯町更科字角間 |
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後期のムラの跡で26軒の住居跡が発見されました。 この時期ではめずらしい大きなムラの跡です。 |
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法正尻遺跡 | 磐梯町更科字法正尻 | ||
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県内で最大級の縄文時代中期の大規模なムラの跡です。 住居の跡は約130軒見つかっています。 |
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天光遺跡 | 磐梯町更科字天光 | ||
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早期と中期の住居の跡、中期の配石遺構が発見されました。 早期のヘラ状石器は1ヶ所から集中して見つかりました。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
慧日寺跡 | 磐梯町・磐梯字本寺八幡ほか | |
国指定史跡 |
慧日寺は最澄や空海と論争を行なった徳一によって9世紀初めに建てられた寺院です。 中門・金堂・講堂・食堂が南北線上に並ぶ配置が確認されました。 |
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猪 苗 代 町 |
旧 石器 時代 |
林口遺跡 | 猪苗代町川桁字林口 |
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尖頭器・彫刻頭形石器・エンドスクレーパーなどの石器が出土しました。 石器の組合せから終末期のものと考えられます。 |
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縄文 時代 |
登戸遺跡 | 猪苗代町関都字登戸ほか | |
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前期の落とし穴が250基・後期の住居跡が発見されました。 落とし穴は中に積った火山灰で年代が判明しました。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
観音屋敷遺跡 | 猪苗代町堅田字入江村前 | |
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「万福」と吉祥を示す墨書きのされた土師器が出土しました。その両側には梵字が書かれた珍しいものです。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
猪苗代城跡 | 猪苗代町字古城跡他 | |
県指定重要文化財 | 中世、猪苗代氏の本拠地で、その後、中通り地方への守りの拠点として若松城の支城として存続しました。 | ||
観音寺石造宝篋印塔 | 猪苗代町川桁字村北 | ||
県指定重要文化財 | 高さ1.18mの安山岩製の石の塔です。 もともとは現在地の東約4kmの旧観音寺跡にあったと伝えられます。 |
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現在 |
猪苗代湖ミズスギゴケ群落 | 猪苗代町千里ほか | |
国指定天然記念物 | 猪苗代湖北岸に近い水深3mの水底に生息しています。 水流の作用によりコケが球状または楕円状になるきわめて珍しいものです。 |
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見袮の大石 | 猪苗代町見祢 | ||
国天然記念物 | 明治21年の磐梯山の噴火で、頂上付近にあった輝石安山岩の巨魁が約5km運ばれたものです。 大石は長さ9.39m、幅6.06m、高さ3.03mの大きさです。 |
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猪苗代湖の白鳥およびその渡来地 | 猪苗代町猪苗代湖北岸 | ||
国天然記念物 | 毎年10月下旬から翌年4月までの長期にわたっておもにコハクチョウが飛来します。 | ||
会 津 坂 下 町 |
縄文 時代 |
大村新田遺跡 | 会津坂下町勝大字山下 |
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中期のムラの跡が発掘されました。住居跡からは複式炉という土器を埋め、石で囲んだ大型の炉が見つかりました。 | ||
鬼渡A遺跡 | 会津坂下町勝大字鬼渡 | ||
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縄文時代の土器がみつかっています。 | ||
弥生 時代 |
能登遺跡 | 会津坂下町勝大字能登 | |
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当時のごみ捨て場から多量の土器と石器が出土しました。 出土土器は「天王山式土器」呼ばれる種類で縄文の多用された弥生土器です。 |
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古墳 時代 |
亀ヶ森・鎮守森古墳 | 会津坂下町青津字館ノ越ほか | |
国指定史跡 | 亀ヶ森古墳は全長127mの前方後円墳で東北地方で2番目の大きさの古墳です。 鎮守森古墳は全長55mの会津地方で最大の前方後方墳です。 |
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会津坂下町稲荷塚 | 会津坂下町稲荷塚 | ||
国指定史跡 | 全長46mの前方後円墳です。 調査の結果、東北地方でも最古級の古墳であることが分かり、その重要性から、古墳は遺跡公園として整備されています。 |
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森北古墳群 | 会津坂下町大上字森北 | ||
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発掘調査された1号墳は全長47mの前方後方墳で、東北地方の前方後方墳ではじめて銅鏡が出土しました。 | ||
宮東遺跡 | 会津坂下町合川字宮東 | ||
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発掘調査で前方後円墳・前方後方墳・円墳が発見されました。 古墳は全て盛土が失われ周りの溝だけが残っていました。前方後円墳は県内で最も古い古墳の一つです。 |
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経塚古墳群 | 会津坂下町塔寺字経塚 | ||
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発掘された1号墳は円墳ですが、盛土は失われていました。 残った溝からは人物・馬・家の埴輪が出土しました。 |
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宮ノ北遺跡 |
会津坂下町合川字宮ノ北ほか | ||
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発掘された住居跡から管玉の未製品・台石・砥石・鉄針・石針など管玉製作の道具が発見され、玉造の村であったことが分かりました。 | ||
樋渡台畑遺跡 | 会津坂下町樋島字台畑 | ||
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発掘された竪穴住居の中には、他の住居跡よりも規模の大きい住居跡が2軒見つかりました。 これらは周りをさらに溝で囲んでいました。特別な人の住居であったのかも知れません。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
駒壇経塚 | 会津坂下町長井 | |
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かつては板沢古墳と呼ばれていましたが、調査の結果経塚だと分かりました。 盛土の頂上に穴を掘り、お経を入れた石の容器をさかさまに置いて小石を詰めた、珍しい埋納方法が明らかになりました。 |
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恵隆寺観音堂 | 会津坂下町塔寺字松原 | ||
国指定重要文化財 | 木造千手観音像を安置するお堂で、会津地方では珍しい、純和様建築です。 | ||
江戸 時代 |
旧五十嵐家住宅 | 会津坂下町塔寺字松原 | |
国指定重要文化財 | 寄せ棟造りの萱葺きの建物で、会津平野部の中規模農民の典型的な住宅です。 | ||
現在 |
天屋の束松 | 会津坂下町束松字八百刈 | |
県指定天然記念物 | 最大のものは高さ28mあります。 枝が急角度で分かれるため、あたかも束ねたような姿を示すのでこの名前が付きました。 |
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湯 川 村 |
鎌倉 ・ 室町 時代 |
北田館跡 | 湯川村三川字大館 |
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芦名氏の一族北田氏の拠点となった平城で、鎌倉時代に作られました。 遺跡には土塁の一部が残っていましたが、発掘調査で掘跡・溝跡・井戸跡などが見つかりました。 |
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奈良 ・ 平安 時代 |
勝常寺薬師堂 | 湯川村勝常字代舞 | |
国指定重要文化財 | 慧日寺の徳一が会津に55ヶ所の薬師堂を建立させたうちの一つといわれます。 本尊の薬師如来像は地方でまれな古像で国宝に指定されています。 |
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江戸 時代 |
常法寺経塚 | 湯川村三川字二城乙 | |
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小さな石に一文字ないし数文字の経文を書いて、石櫃の中に入れたものです。 現在でも信仰の対象になっています。 |
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柳 津 町 |
縄文 時代 |
石生前遺跡 | 柳津町郷戸字石生前 |
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縄文時代中期から後期にかけてのムラの跡が発掘されました。40軒近い住居の跡と、多量の土器と石器が出土しました。出土器には優品がたくさんあります。 | ||
江戸 時代 |
花田A遺跡 | 柳津町郷戸字花田 | |
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発掘調査で掘建柱建物跡や井戸跡・池跡・五輪塔・石碑・中国の陶磁器などが見つかりました。 池跡とそばの建物跡はかつての華蔵寺の跡と考えられます。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
奥之院弁天堂 | 柳津町柳津字門前町 | |
国指定重要文化財 | 方三間、宝形造、萱葺の小さな仏堂です。 各部にほどこされる絵様彫刻は華美なものです。 |
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現在 |
柳津ウグイ生息地 | 柳津町柳津字諏訪町 | |
国指定天然記念物 | かつて弘法大師が菩薩像を刻み、その木片を只見川になげいれたところ、ウグイと化したという伝説が、菩薩信仰と結びつき、殺生禁断の地として人々から愛護されています。 | ||
会 津 美 里 町 |
縄文 時代 |
下谷ヶ地平C遺跡 | 会津美里町松坂下谷ヶ地平 |
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縄文時代晩期の住居跡が2軒と貯蔵の穴が見つかりました。 この時期の小規模なムラ跡の調査例として貴重です。 |
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弥生 時代 |
権現山下遺跡 | 会津美里町八木沢字権現山下 | |
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土坑(地面を掘りくぼめた穴)や性格不明の遺構がたくさん見つかりました。 その中には土器がいれられたものもあり、お墓である可能性があります。弥生土器には東海地方の特徴を持つものがあります。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
福生寺観音堂 | 会津美里町富川字富岡 | |
国指定重要文化財 | 禅宗様式の建物で、室町時代末期の様式を示しています。 | ||
向羽黒山城 | 会津美里町字船場ほか | ||
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蘆名盛氏の築いた山城です。 天守閣や石垣などが作られる以前のもので、自然の地形を利用した堀や土塁の跡が今でもよく残っています。 |
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常福院薬師堂 | 会津美里町新屋敷山王塚 | ||
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入母屋造りの小型の仏堂です。軒の出が深く、屋根が旧勾配で、地方の禅宗様仏道の特色を示しています。 | ||
弘安寺弁天堂 | 会津美里町米田字堂ノ後 | ||
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もともとは観音堂の厨子で江戸時代の観音堂の改築にあたり堂の外に出され、弁天がまつられました。昭和の修理で建立当時の形に復元され、現在は覆堂の中に納められています。 | ||
江戸 時代 |
法用寺三重塔 | 会津美里町雀林字三番山下 | |
県指定重要文化財 | 高さ約19mの三重塔です。 初層に釈迦三尊をまつっています。 |
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現在 |
蓋沼の浮島 | 会津美里町雀林字真奈板倉 | |
県指定天然記念物 | 浮島は多少移動しますが、活発ではありません。 その上に人の手の及ばない湿原植物が保存されています。 |
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米沢の千歳サクラ | 会津美里町米田字池南 | ||
県指定天然記念物 | 高さ14mのベニヒガンザクラの大木です。 花は濃紅色で満開時は見事なながめです。 |
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三 島 町 |
弥生 時代 |
荒屋敷遺跡 | 三島町桑原字荒屋敷 |
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西日本でよく出土する弥生時代初めの土器が出土しました。 稲作の情報と共にもたらされたのかもしれません。 |
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南 会 津 町 |
縄文 時代 |
寺前遺跡 | 南会津町田島字寺前 |
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発掘調査で縄文時代中期のムラの跡が見つかりました。 住居の跡は3軒確認され、この他にたくさんの出土品があります。 縄文土器は福島県でよく見られるものの他に、関東地方や北陸地方に特徴的なものも見つかり、当時すでに各地域と交流していたことがわかります。 |
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堂平遺跡 | 南会津町小塩字堂平 | ||
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地面に穴を掘り、底と壁に石を敷き詰めた縄文時代後期の石棺墓が40基以上発見されています。 | ||
村下遺跡 | 南会津町山口字村下 | ||
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縄文時代晩期のムラの跡で、土版という土で作ったまつりの道具が出土しています。 | ||
鎌倉 ・ 室町 時代 |
鴫山城跡 | 南会津町田島字愛宕山ほか | |
県指定史跡 | もともと長沼氏の支配下にあった典型的な山城です。 その後蒲生氏や上杉氏によって、石垣などが作られました。 |
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壇原経塚 | 南会津町八総字秣場 | ||
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もともとは直線上に並ぶ8基の塚群で、現在その内の2基が保存されています。 発掘調査ではお経を埋めるときの容器である経筒の破片が出土しています。 |
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旧山内家住宅 | 南会津町界字川久保 | ||
県指定重要文化財 |
長さ23m、幅8.6mの直家の建物で、会津地方には数少ない内縁がみられる上層農民の家として貴重です。 | ||
明治 時代 ~ 現在 |
旧南会津郡役所旧南会津郡役所 | 南会津町田島字丸山 | |
県指定重要文化財 | 明治18年に作られた郡の役所です。 中庭式では県内で最大規模の洋風建築です。 |
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現在 |
古町のオオイチョウ | 南会津町古町字居平 | |
県指定天然記念物 | 古町小学校の校庭にあるイチョウで、高さが35mあります。イチョウでは県内で屈指の老樹です。 | ||
駒止湿原 | 南会津町静川・昭和村大字大芦 | ||
国指定天然記念物 | 南会津町と昭和村にまたがった、標高1100 mのブナ林にある湿原です。 湿原植物の種類は尾瀬と共通するものが多く見られます。 |
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下 郷 町 |
鎌倉 ・ 室町 時代 |
旭田寺観音堂 | 下郷町中妻字観音前甲 |
国指定重要文化財 | 室町時代初期頃の特徴をもつ建物です。 方三間の寄棟造の萱葺きの仏堂ですが、保存のため今の屋根は銅板葺きとなっています。 |
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江戸 時代 |
下野街道 | 下郷町大字大内・中山・栄富・豊成 | |
県指定重要文化財 | 会津から江戸へ向かう本街道として栄え、物資の輸送や参勤交代に利用されました。 | ||
大内宿 | 下郷町大内 | ||
国選定重要伝統的建造物群保存地区 | 会津藩の旧下野街道に沿ってつくられた宿場町です。 旧街道の両側に萱葺きの主屋が建ち並び、お寺や神社とともに当時の面影を今に伝えています。 |
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現在 |
塔のへつり | 下郷町白岩字小牧 | |
国指定天然記念物 | 凝灰岩の岸壁が阿賀川によって侵食され、塔が並列して立っているような景色が作られています。 「へつり」とは方言で川にせまった崖や急斜面のことです。 |
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中山風穴地特殊植物群落 | 下郷町湯野上字中山ほか | ||
国指定天然記念物 | 標高約850mの中山山腹に数カ所の風穴があります。風穴の中の温度は外気と比べてとても低く、ミズゴケなど周辺の草原にはみられない貴重な植物が生育しています。 | ||
檜 枝 岐 村 |
現在 |
檜枝岐の舞台 | 檜枝岐村字居平 |
国重要有形民俗文化財 | 檜枝岐歌舞伎の舞台で、毎年雪解けをまって上演されます。 | ||
尾瀬 | 檜枝岐村尾瀬 | ||
国指定特別天然記念物 | 日本で有数の湿原で、生育する植物はたくさんの固有種や希産種があり、植物学上大変貴重な自然の宝庫です。 | ||
只 見 町 |
弥生 時代 |
窪田遺跡 | 只見町大倉字窪田 |
県指定史跡 | 発掘調査で、弥生時代住居跡3軒と再葬墓13基が発見されています。 住居跡と再葬墓ががいっしょに見つかることは少なく大変貴重です。 |
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鎌倉 ・ 室町 時代 |
成法寺観音堂 | 只見町梁取字仏地 | |
国指定重要文化財 | おそらく鎌倉時代につくられた仏堂で、現在の建物は16世紀に再建されたものと考えられます。 中世の仏堂建築の流れを知る上で貴重なものです。 |
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江戸 時代 |
旧五十嵐家住宅 | 只見町只見字上町 | |
国指定重要文化財 | 18世紀前半に建てられた住居で、上屋を支える柱は25cm前後と太く、密に並んでいます。 | ||
旧長谷部家住宅 | 只見町叶津字居平 | ||
県指定重要文化財 | 長さ24mの大規模な曲り家で、江戸時代後期のものと思われます。 長谷部家は旧叶津村の肝煎をつとめ番所や制札所もありました。 |
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現在 |
比良林のサラサドウダン | 只見町大倉字余名沢山 | |
県指定天然記念物 | サラサドウダンはツツジ科の落葉低木です。 比良林公園のものは根回りが4mを越える大木で、大変珍しいものです。 |
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